子供の涙、大人の涙
「わかんないよ、そんなの……大人はひとつになんて選べないんでしょ?」
「ぶーっ!」
どことなく楽しげに、ナオミはリュウタロスの言葉を一蹴した。そういうことではありませんー、と。
「なにそれ! 複雑すぎるよ! 言ってることがむちゃくちゃだよ!」
「大人はそれでいいんですー」
「ずるい!」
なんだか無理やり自分を子供扱いにしようとしているように感じて、リュウタロスはまた怒り出す。ずるい、ずるいよ、と連呼して、けらけらと笑うナオミの科白を撤回させようと騒ぐ。
「でも、ちょーっとだけでも、リュウちゃんが大人になったのは事実ですからー」
「そんなの、納得いかない! 僕、子供じゃないもん! 子供はいやだ!」
いいんですー、と、ナオミはまた歌うように言った。
「リュウちゃんは、とってもがんばりました。つらかったね」
急に。そんな急に、優しい声を出したりして。
さっきまで笑っていたくせに、自分をばかにしていたくせに、ナオミの口調はどこまでも暖かくて、いきなりのことに、リュウタロスは戸惑った。
うっかり、涙が出そうになっている自分に気がつくと、リュウタロスはさらに力を込めて膝を抱きしめる。そんな言い方、ずるい。なんだか本当に自分が子供みたいだ。だって、なんだかナオミが大人に見えるから。遠く見えるから。こんなに近くに、体温が感じられるほど近くにいるのに、まるで自分とはかけ離れているみたいに見えるから。
リュウタロスは、唐突に不安に襲われた。自分はイマジンで、愛理は人間で、未来は同じではなかった。だったら、ナオミは? ナオミも、自分とは違う存在なのか? いつか、このお気楽な笑い顔から、離れるときが。
「ねえ!」
考える間もなく、声が出ていた。
「僕が大人だったら、大人になったら、なにか変わるの?」
やっとの思いで口にした言葉は、要領を得なかった。そうじゃなくて、言いたいことは、訊きたいことは、そうじゃなくて。
「なに言ってるんですかー」
本当に伝えたかった言葉は伝わらないまま、ナオミは笑う。
「リュウちゃんはそのままでいいんですよー。いつまでも……ってわけにはいかないけど、単純でわがままで、お子様なリュウちゃんでいいんですー」
「……やっぱり、ばかにしてる!」
せっかく、真面目な話をしていたのに。結局はぐらかされて、からかいの種にされてしまった。しかも、まるで自分で自分が子供だと認めたみたいになってしまった。
「僕、向こう行くよ! もう知らない!」
「じゃあ、わたしも戻りますー!」
「なにそれ! いったいなにしにきたの!」
一瞬の間ののち、ナオミは思い切り噴き出した。
「やっぱり、リュウちゃんは子供!」
「子供じゃない!」
すっかり堂々巡りのやりとりにも、飽きることなくナオミはよく響く高い声で笑い続けた。目尻には涙まで浮かんでいる。とても失礼だ。
この鬱憤は、モモタロスで遊んで晴らそう。そう心に決めて、リュウタロスは埃を払いながらその場を立ち去ろうとする。
「リューウちゃーん」
まだ笑い転げたままのナオミは、妙な音程をつけてリュウタロスを呼ぶと、やっとリュウタロスの顔を正面から見つめた。
「あんまり、急いで大人にならないでくださいねー?」
「もう! 相手にしてられないよ!」
怒り心頭のリュウタロスは、軽々とステップを踏むようにしながら、走り去った。食堂車へと飛び込んでいく姿を見送ったナオミは、目尻の涙を拭う。
ナオミもさっさと戻らなくてはならない。本当は、人のいる食堂車をこんな風に離れてはいけないのだ。
「リュウちゃんが大人になっちゃったら、寂しくなっちゃいますからねー」
誰にともなく、ぽつりと呟いたナオミの独り言。もちろん返事をする者など、いなかった。