北の国から
「明日あたり、そちらに行くかもしれませんよ」
そんなムウからの電話が、東シベリアのカミュの元へかかってきたのは、昨日の夕方の話だった。
カミュは突然こう話を切り出されたが、ムウが何を伝えようとしているのかを正確に察していた。
「やはり、食べ物に困った様子だったか?」
「ええ。この数日はうちに来ていたのですが、さすがにシオン様が……」
「……だろうな。教皇は只飯食らいをひどく嫌っておられるからな」
「ミロでは……あまり面倒な仕事は任せられませんしねぇ」
「目下の人間には評判が良いのだから、雑兵の訓練を任せればよいのだ」
「ああ、ミロ本人は『目下の訓練』を手伝うつもりらしいですよ。そちらで」
『そちらで』の言葉にやけに力がこもっているのに気付いたが、指摘しても何も状況は変わらないので、カミュは小さくため息をつくだけに留めた。
「食費が辛くなるかもしれませんが、頑張って下さいね。カミュ」
「忠告感謝する」
カミュはそれだけ応えると、受話器を置いた。
師の長電話を不審に思ったのであろう。氷河とアイザックがドアの隙間からこちらをのぞいている。
ついつい苦笑するカミュ。
「ムウからの電話だ。またミロがこちらに向かっているようだ」
「またですか」
少々うんざりした様子のアイザック。ミロが東シベリアに来る目的はただ一つ。
食事だ。
ミロは他の同僚に比べて、給料が低い。
別にシオンが意地悪をしているわけではなく、ギリシャ語以外できないため海外出張に出かけられず、出張費が付かないのだ。
英語だけでも覚えれば他の地域への出張が可能になるのだろうが、ミロは「英文を見ると歯が痛くなる」とぼやくタイプの人間だ。
どうにもならない。
また、ムウのように特殊技能があるわけでも、アフロディーテのように魔宮薔薇の庭園を管理しているわけでも、サガやアイオロスのように教皇の仕事を手伝っているわけでもないので、手当をつけられないのである。
カミュや老師のように弟子を取ると結構な額の手当がつくらしいのだが、月に一回報告書を出さなくてはならないのと、弟子を取ると生活が厳しくなるかもしれないし、なんといっても一人の方が気が楽だとの理由から、ミロは自分が師匠になることは考えていない。
以前ミロが、『海底神殿など、俺とアイオリアで十分だ』と鼻息を荒くしたことがあったが、海底神殿ならギリシャ語以外できなくても何ら不自由はないので、出先としては手頃なのだ。
アイオリアもギリシャ語しかできないので、彼を相方に選んだのはミロなりの気遣いとも言える。
……そんなわけで、ミロは月末になると財布の中が涼しくなり、毎度毎度食べ物に困ってしまう。
いや、普通に生活できるだけの給料はもらっているのだが、彼は勝てないくせにギャンブル好きな面があり、サッカーのトトカルチョで毎月結構な額をすっていた。
カミュは、「賭博は悪癖だぞ」と何度かたしなめたのだが、
「俺の技は15発だぞ!せめてギャンブルくらい、一発当てたいだろうが!!!」
と、説得力があるのだかないのだか分からないことを言って、聞き入れなかった。
山羊座のシュラが凄腕のギャンブラーで、生活費のみならず、F1観戦費用や、愛車のロータスの維持費まで軽々とモナコで稼いでくるものだから、ミロもついついその気になってしまったのかもしれない。
だが、世の中そんなに甘くない。
毎月のようにカジノで撃沈し、その度に白羊宮で食事の世話をしてもらう始末であった。
ただそれが続くと、白羊宮にいる聖域の統治者の眉間に皺が寄るわけで……。
「ミロよ、私はお前に給金を払っておったはずだが?」
と、不機嫌を具現化したような声で問われてしまう。
流石のミロもこれはマズいなと思ったのか、白羊宮で食事をするのを一時的に控えようとするのだが。
さて、どこで食事を調達すればいいのやら。
ミロの悪友のカノンは、最近はポセイドンことジュリアン・ソロのボディーガードの仕事をしているので、普段はソロ邸にほど近い場所にあるマンションで暮らしている。
そこで飯でも食わせてもらおうと考えていたのだが。
元々カノンは、札付きの不良だ。
サガがブチ切れて、スニオン岬の岩牢に閉じ込めてしまうくらいのワルだ。
先の聖戦ではいくらかまともになって、双子座の聖衣を纏いアテナの聖闘士として戦っていたが、本来はどうしようもなく悪いヤツなのだ。
そのカノンが、悪友に素直に飯を食わせてくれるかといったら、答えはノーである。
『ああ?カジノですったから飯食わせろ?お前、ふざけろよ』
くわえ煙草でマンションのドアを開けたカノンにアナザーディメンションで吹っ飛ばされるのが関の山だ。
そこでミロは、シベリアに住んでいる友人のことを思い出した。
水瓶座のカミュ。水と氷の魔術師だ。
普段はシベリアで暮らしており、二人の弟子に修業を付けながら、聖域からメールで送られてきた書類の翻訳活動や、状況の分析などを行っている。
「あいつのところなら、飯に困らないだろうな」
そう考えたミロは、苦手なテレポートを駆使してシベリアにやって来た。
初めてシベリアを訪れた際、カミュは同僚の来訪に驚くと同時に、彼にしては珍しくほのかな笑顔を浮かべて歓迎してくれた。
東シベリアという辺鄙な場所に来る人間など、ほとんどいないのだ。
それ故、カミュが喜んだのも無理はない。
「よくこんな辺境に来たな。大したもてなしはできないが、歓迎する」
と、カミュが用意したのはボルシチとブリンと呼ばれるロシアのパンケーキだった。
決して豪勢ではないが心のこもった食事に、ミロは胸が熱くなった。
カノンにアナザーディメンションで追い出されているため、余計にジィンとしたのかもしれない。
「ミロよ、何故このシベリアに?」
食事の最中、氷河にそう訊ねられる。
ギリシャから遠く離れたユーラシア大陸の東の果てへ、黄金聖闘士が大した用事もないのにわざわざやってくることに、氷河は疑問を抱いたのだろう。
もしかしたら、何か異変が起きているのではないか?
ミロはそれを知らせに遠くギリシャからやって来たのではないか。
物事を少々シリアスに考えるきらいのある日本人とロシア人のハーフは、ミロに自分の考えをぶつけてみる。
するとミロはフッと笑って、
「お前は物事を大げさに考えすぎる」
「……そうだろうか?黄金聖闘士の貴方が動くなど……」
「お前、他の連中の暮らしっぷりを知らんだろう!」
真剣に心配する氷河を見、ミロはたまらなくなって噴き出す。
カミュは物言いたげに友人の食事の様子を眺めていたが、どうせ言っても聞かないので、黙々とボルシチを口に運んだ。
「シュラとアフロディーテは年中F1観戦だし、ムウも暇さえあれば日本に食材の買い出しだ。サガはロンドンで買い物をするのが趣味だし、デスマスクなどマフィアの抗争の手伝いが忙しくて、ろくに聖域におらん」
「え!?」
それを聞いた氷河の顔色が変わった。
「本当か、ミロ」
「俺が嘘付いてどうする。俺はつまらん嘘はつかん」
「ならば、面白い嘘はつくのか?」
「そこは追求するところではないぞ、氷河」
そんなムウからの電話が、東シベリアのカミュの元へかかってきたのは、昨日の夕方の話だった。
カミュは突然こう話を切り出されたが、ムウが何を伝えようとしているのかを正確に察していた。
「やはり、食べ物に困った様子だったか?」
「ええ。この数日はうちに来ていたのですが、さすがにシオン様が……」
「……だろうな。教皇は只飯食らいをひどく嫌っておられるからな」
「ミロでは……あまり面倒な仕事は任せられませんしねぇ」
「目下の人間には評判が良いのだから、雑兵の訓練を任せればよいのだ」
「ああ、ミロ本人は『目下の訓練』を手伝うつもりらしいですよ。そちらで」
『そちらで』の言葉にやけに力がこもっているのに気付いたが、指摘しても何も状況は変わらないので、カミュは小さくため息をつくだけに留めた。
「食費が辛くなるかもしれませんが、頑張って下さいね。カミュ」
「忠告感謝する」
カミュはそれだけ応えると、受話器を置いた。
師の長電話を不審に思ったのであろう。氷河とアイザックがドアの隙間からこちらをのぞいている。
ついつい苦笑するカミュ。
「ムウからの電話だ。またミロがこちらに向かっているようだ」
「またですか」
少々うんざりした様子のアイザック。ミロが東シベリアに来る目的はただ一つ。
食事だ。
ミロは他の同僚に比べて、給料が低い。
別にシオンが意地悪をしているわけではなく、ギリシャ語以外できないため海外出張に出かけられず、出張費が付かないのだ。
英語だけでも覚えれば他の地域への出張が可能になるのだろうが、ミロは「英文を見ると歯が痛くなる」とぼやくタイプの人間だ。
どうにもならない。
また、ムウのように特殊技能があるわけでも、アフロディーテのように魔宮薔薇の庭園を管理しているわけでも、サガやアイオロスのように教皇の仕事を手伝っているわけでもないので、手当をつけられないのである。
カミュや老師のように弟子を取ると結構な額の手当がつくらしいのだが、月に一回報告書を出さなくてはならないのと、弟子を取ると生活が厳しくなるかもしれないし、なんといっても一人の方が気が楽だとの理由から、ミロは自分が師匠になることは考えていない。
以前ミロが、『海底神殿など、俺とアイオリアで十分だ』と鼻息を荒くしたことがあったが、海底神殿ならギリシャ語以外できなくても何ら不自由はないので、出先としては手頃なのだ。
アイオリアもギリシャ語しかできないので、彼を相方に選んだのはミロなりの気遣いとも言える。
……そんなわけで、ミロは月末になると財布の中が涼しくなり、毎度毎度食べ物に困ってしまう。
いや、普通に生活できるだけの給料はもらっているのだが、彼は勝てないくせにギャンブル好きな面があり、サッカーのトトカルチョで毎月結構な額をすっていた。
カミュは、「賭博は悪癖だぞ」と何度かたしなめたのだが、
「俺の技は15発だぞ!せめてギャンブルくらい、一発当てたいだろうが!!!」
と、説得力があるのだかないのだか分からないことを言って、聞き入れなかった。
山羊座のシュラが凄腕のギャンブラーで、生活費のみならず、F1観戦費用や、愛車のロータスの維持費まで軽々とモナコで稼いでくるものだから、ミロもついついその気になってしまったのかもしれない。
だが、世の中そんなに甘くない。
毎月のようにカジノで撃沈し、その度に白羊宮で食事の世話をしてもらう始末であった。
ただそれが続くと、白羊宮にいる聖域の統治者の眉間に皺が寄るわけで……。
「ミロよ、私はお前に給金を払っておったはずだが?」
と、不機嫌を具現化したような声で問われてしまう。
流石のミロもこれはマズいなと思ったのか、白羊宮で食事をするのを一時的に控えようとするのだが。
さて、どこで食事を調達すればいいのやら。
ミロの悪友のカノンは、最近はポセイドンことジュリアン・ソロのボディーガードの仕事をしているので、普段はソロ邸にほど近い場所にあるマンションで暮らしている。
そこで飯でも食わせてもらおうと考えていたのだが。
元々カノンは、札付きの不良だ。
サガがブチ切れて、スニオン岬の岩牢に閉じ込めてしまうくらいのワルだ。
先の聖戦ではいくらかまともになって、双子座の聖衣を纏いアテナの聖闘士として戦っていたが、本来はどうしようもなく悪いヤツなのだ。
そのカノンが、悪友に素直に飯を食わせてくれるかといったら、答えはノーである。
『ああ?カジノですったから飯食わせろ?お前、ふざけろよ』
くわえ煙草でマンションのドアを開けたカノンにアナザーディメンションで吹っ飛ばされるのが関の山だ。
そこでミロは、シベリアに住んでいる友人のことを思い出した。
水瓶座のカミュ。水と氷の魔術師だ。
普段はシベリアで暮らしており、二人の弟子に修業を付けながら、聖域からメールで送られてきた書類の翻訳活動や、状況の分析などを行っている。
「あいつのところなら、飯に困らないだろうな」
そう考えたミロは、苦手なテレポートを駆使してシベリアにやって来た。
初めてシベリアを訪れた際、カミュは同僚の来訪に驚くと同時に、彼にしては珍しくほのかな笑顔を浮かべて歓迎してくれた。
東シベリアという辺鄙な場所に来る人間など、ほとんどいないのだ。
それ故、カミュが喜んだのも無理はない。
「よくこんな辺境に来たな。大したもてなしはできないが、歓迎する」
と、カミュが用意したのはボルシチとブリンと呼ばれるロシアのパンケーキだった。
決して豪勢ではないが心のこもった食事に、ミロは胸が熱くなった。
カノンにアナザーディメンションで追い出されているため、余計にジィンとしたのかもしれない。
「ミロよ、何故このシベリアに?」
食事の最中、氷河にそう訊ねられる。
ギリシャから遠く離れたユーラシア大陸の東の果てへ、黄金聖闘士が大した用事もないのにわざわざやってくることに、氷河は疑問を抱いたのだろう。
もしかしたら、何か異変が起きているのではないか?
ミロはそれを知らせに遠くギリシャからやって来たのではないか。
物事を少々シリアスに考えるきらいのある日本人とロシア人のハーフは、ミロに自分の考えをぶつけてみる。
するとミロはフッと笑って、
「お前は物事を大げさに考えすぎる」
「……そうだろうか?黄金聖闘士の貴方が動くなど……」
「お前、他の連中の暮らしっぷりを知らんだろう!」
真剣に心配する氷河を見、ミロはたまらなくなって噴き出す。
カミュは物言いたげに友人の食事の様子を眺めていたが、どうせ言っても聞かないので、黙々とボルシチを口に運んだ。
「シュラとアフロディーテは年中F1観戦だし、ムウも暇さえあれば日本に食材の買い出しだ。サガはロンドンで買い物をするのが趣味だし、デスマスクなどマフィアの抗争の手伝いが忙しくて、ろくに聖域におらん」
「え!?」
それを聞いた氷河の顔色が変わった。
「本当か、ミロ」
「俺が嘘付いてどうする。俺はつまらん嘘はつかん」
「ならば、面白い嘘はつくのか?」
「そこは追求するところではないぞ、氷河」