レンタルステップファーザー
テーブルの上に頬杖をつき、視線を落とす星矢。
そうなのだ。ムウと揉めると、後々が怖いのだ。
聖衣を妙な形に変えられてしまうかもしれないし、眠っている間にどこか知らないところへテレポートで飛ばされてしまうかもしれない。
ムウには、そんな怖さがあった。
シオンは星矢の恐れに苦笑いすると、
「ムウが八つ当たりをするかもしれないと申すのか?」
「……そこまでは言わねーけど、されたら嫌だなーと思って」
何処までも正直な星矢である。シオンは大事あらぬよ、心配するなと星矢を宥めると、地図を片付けた。
食欲を刺激する芳香を漂わせながら、注文した料理が運ばれてきたのだ。
この後星矢は日曜の夕方に帰宅するまで、シオンとの二人旅を満喫した。
教皇との旅行は想像以上に楽しいものだった。
シオンはかなりの自己中人間のイメージがあるし、実際旅行中しばしば散見したが(中華街の時のように)、長年教皇を勤めているくらいだから博識で話も面白いし、意外に気配りもできた。
帰りの湘南新宿ライン。
「おれ、スッゲー楽しかった!」
両手一杯に土産を抱える星矢を、シオンは嬉しそうな、慈愛のこもった視線で見つめている。
「そうか、楽しかったか。それは重畳。また連れ出してやろうぞ」
自分が何かをして、その相手に大喜びされた時は、素直に嬉しい。シオンとて例外ではない。
星矢はシオンの言葉を聞き顔を緩ませたが、急に真面目な表情になると、
「なぁ、シオン。お願いがあるんだけどさ」
「何だ、申してみよ」
このやり取り。星矢がなぁ、シオンと切り出し、シオンがなんだと応えるこのやり取り。
三日間でどれ位交わされたことであろうか。
星矢はシオンの目を真っ直ぐに見据えたまま、
「今度はさ、瞬や邪武や、あんたんとこのムウや貴鬼とみんなでさ、旅行に行こうぜ。大勢なら、きっと楽しいぜ」
それに対するシオンの答えは。星矢の頭を撫でる、教皇の優美な右手だった。
「ただ今戻ったぞ」
日本からテレポートし、聖域・白羊宮に帰宅するシオン。日本とは時差が7時間あるので、聖域はまだ昼前である。
ムウは家事を一通り終え、居間のソファに腰掛けてテレビを見ているところであった。
「ああ、お帰りなさいませ。シオン様」
師からコートを受け取ろうと手を差し出すムウであったが。
その手にかけられたのは、日本土産の入った沢山の紙袋だった。
「……シオン様、これは?」
「こちらは横浜の中華街で買った干し海老。これは鎌倉で買ったひよこの菓子。これは横須賀海軍カレー。それから、今し方新宿の高島屋に寄って来た故、めぼしい総菜や生菓子を買い込んできた」
全部食べ物ではないですか。師の説明を聞き、心の中でそう突っ込むムウ。
だが、白羊宮では食べ物が一番好まれるということも、事実である。
「こちらはケーキやプリンですね。早く冷蔵庫に入れないと」
パチンと指を鳴らすと、魔法のようにケーキやプリンが消える。なんてことはない、テレポートで冷蔵庫の中に飛ばしたのである。
それから、袋の中から出てくる出てくる、総菜の山。
テーブルの上に並べたムウは、呆れたように眉間に皺を寄せる。
「……シオン様、うちは3人家族ですよ。こんなに沢山食べられませんよ」
並べられた総菜は、居間のテーブルを完全に埋め尽くしていた。だがシオンは涼しい顔で、
「どれを土産に選べば、お前が一番喜ぶのか分からなかったのでな。目に付いたものは皆買うてきてしまったわ」
それを聞いた途端、ムウの白皙の美貌が朱に染まる。ポンッと頬から湯気が出てきそうな勢いだ。
……本当はムウは、シオンに嫌味の一言でも言うつもりだった。
シオンは優しい人だから、星矢を見捨ててはおけなかった。それは十分分かっている。自分はシオンの、たった一人の弟子なのだから。師の性格くらい、十分把握している。
でも、それでも、何か一言くらい言ってやりたかった。
自分はこの三日間、シオンの留守中それなりに悶々としていたのだ。
私のことは旅行に連れていって下さらなかったですよね。
それ位言っても、罰は当たらないと思うのだ。
けれども、自分のためにデパ地下の惣菜屋に絨毯爆撃を仕掛けた師を見たら、そんな気持ちは全部吹っ飛んだ。
この歳になっても、弟子を持つ立場になっても、師匠に甘やかされていることに気付いて、恥ずかしいやら、嬉しいやら、恥ずかしいやら、妙な気持ちになる。
シオンはそんな弟子の様子を面白そうに眺めた後、
「食べ切れぬ分は、ミロにでも分けてやればよかろう。彼奴はどういうわけか、常に食費で困っておるようだからな」
「……そう、ですね」
ムウは顔を紅くしたまま、自分が食べたいと思うものをテーブルの上から抜く。これから昼食と夕食があるので、それ用にとっておくのだ。
「これは日持ちがしますから、うちで食べましょう。このお弁当は今日中に食べないとダメですねぇ……」
手早く仕分をし、テーブルの上に残った若干の弁当や惣菜を紙袋に入れる。
これらはミロにお裾分けしてあげよう。
シオンはそれらを見届けた後、ぐいと伸びをし、弟子に尋ねる。
「ムウよ、風呂は使えるか?」
「シャワーでしたら、すぐに」
「では汗を流した後、昼食時まで仮眠をとる。時差があると、流石の私も少々辛いわ」
欠伸を噛み殺し、居間を出るシオン。コートとスーツの上着は、無造作にソファの上に捨て置かれている。
「……まったく!皺になってしまうではありませんか!」
すぐにハンガーに掛け、居間に設置されているラックに引っ掛ける。
シオンはわりと几帳面だし、聖衣に関しては恐ろしいほど神経質なのだが、服についてはかなり大雑把であった。
「……仕方の無い人ですねぇ」
口ではこんなことを呟きつつも、どこか嬉しそうなムウ。
シオンは十分自分を甘やかしているが、シオンも十分自分に甘えている。
今、それに気付いたせいかも知れない。
「まぁ、シオン様が私に甘えていると知られたら、教皇の威厳が無くなりますから。これはオフレコにしておきますか」
小声で呟いたムウは、脱衣所に向かう。
シオンの着替えを用意しておくのだ。
なお翌月。
今度は城戸邸の三人の青銅聖闘士、白羊宮、そして中国廬山の面々で、箱根へ温泉旅行に出掛けたのだが。
それはそれは楽しい旅になったとだけ、記しておく。
作品名:レンタルステップファーザー 作家名:あまみ