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子羊二匹

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夕食後の白羊宮。
これからムウが貴鬼が修復した聖衣の採点をするという。
聖衣の墓場にある聖衣は破損が激しく、貴鬼の技術ではまだまだ手に負えないので、紫龍が『練習になるのなら』と自分の聖衣を提供してくれたのだが。
『俺の聖衣を綺麗に仕上げてくれよ』
と、紫龍は笑っていたが、貴鬼の腕を知る童虎は少々複雑な表情で引き渡しの様子を眺めていた。
『無事に戻ってくるとよいのじゃがのぉ……』
無論、貴鬼が失敗しても、彼の保護者たちは凄腕の修復師だ。いざとなったらリカバーしてくれるだろう。
それでも、弟子が命をかけて得た聖衣が教材に用いられるのは、何ともフクザツな気持ちだったりする。
そんな経緯の元、貴鬼の元へやってきた龍星座の聖衣だが、貴鬼は貴鬼なりに懸命に作業していた。
オリハルコンをガマニオンや銀星砂と混ぜ合わせ、破損した部分に埋め込み、形を整える。
ムウから修復の基礎は教えられているのである。後は経験を積むだけだった。
「貴鬼、それでは見せてご覧なさい」
ムウが作業場に入ったのを見計らって、シオンもリビングから席を立ち二階の自室に戻る。
自分が目の届くところに居てはムウもやり辛かろうという、シオンの配慮であった。
ムウがどれだけ成長しても、弟子をとっても、師にとっては変わらず弟子なのである。
妙な喩えになるが、息子夫婦の育児を見守るような感情に近いかもしれない。
二階の私室の机でシオンは本を読み始める。教皇の私室というにはあまり広くない部屋である。
机、ダブルベッド、クローゼット、本棚、それにスツールが一つだけ。
電化製品は、机を照らすライト、ベッドサイドにある古いラジオ、それに仕事用のノートパソコンと電気ポット。それだけだ。
テレビはない。シオンにとってテレビは弟子たちと楽しむものであって、一人で見るものではなかった。
シオンは下の階から聞こえるムウの声を、読書のBGMにしている。
盗み聞きをしているわけではない。第七感に目覚めているので、イヤでも聞こえてしまうのだ。
『貴鬼、正直これでは修復したとは言えませんね』
『細かい傷は大体消えていますが、それは自然に治る程度のもの。こちらのヒビはまだ残っています。
もう少しオリハルコンで埋めないとダメでしょう』
『これでは紫龍に納品できませんよ』
口調は丁寧だが、その内容はかなり手厳しい。
ああ、自分もそうであったな……と、ムウの修業時代を思い出す。
あの頃の自分には時間はあまり残されていなくて、知識や技術を押し込むようにムウに授けた。
時にはきつい言い方になってしまったかもしれない。時にはムウを傷つけたかもしれない。
けれども年老いた自分には、そうするしか方法がなかったのだ。
……だがムウは、そんな自分によくついてきてくれた。幼い年齢で自分の跡を継ぎ、牡羊座の聖衣の主となった。
「よくできた弟子よ」
本のページを捲りながら、口元に自然に笑みが浮かぶ。
と、下から貴鬼の叫び声。その後駆けるような足音が自分の部屋に向かってくる。
ゼロ距離。そして。
「シオン様ーッ!!」
ガチャンと部屋のドアが開き、貴鬼が泣きながらシオンの部屋へ飛び込んできた。
理由は分かっている。
ムウにこっぴどく叱られたせいだ。
シオンは一つ息を吐くと本にしおりを挟み込み、椅子から立ち上がった。
「どうした、貴鬼。泣きながら私の部屋に飛び込んでくるなど、尋常ではあらぬな」
片膝をつき、貴鬼と視線の高さを合わせる。
サガやアイオロスに言わせると、ムウや貴鬼に向ける表情はその他の人間に向けるものと全くと言っていいほど違っているらしい。
童虎もそのような話をしていたが、全く自覚がない。
貴鬼はまだしゃくり上げていたが、シオンに頭を撫でられると、
「オイラ、オイラどうしたらいいか……わからないんです、シオン様……」
と、上手く息継ぎできない様子で訴えた。
シオンは自分のベッドの端に腰掛けると布団をポンポンと手で叩き、そこに座るように促す。無言でそれに従う貴鬼。
貴鬼が自分の横に座ったのを確認したシオンは、あの厳格な教皇とはとても思えぬような優しい声で、
「ムウから随分と指摘を受けておったようだな」
「はい……」
貴鬼の表情は重い。
貴鬼は自分なりに一生懸命やった。ムウから習った事を思い出しながら、自分のベストを尽くした。
その結果が、約20分にもわたるダメ出しである。
「オイラ、一生懸命頑張ったんです。聖衣をよくしたくて、頑張ったんです」
「だが、ムウは認めてはくれなかった、か」
独り言のような口調。貴鬼は再び鼻をすすり上げ、
「オイラ、どうすればいいかわかんないです。頑張っても全然だめじゃ、どうすれば……」
大粒の涙がポロポロと、幼い聖闘士候補生の瞳からこぼれ落ちる。
机の上からちり紙の箱をつかんだシオンは、顔を涙でグショグショにしている貴鬼に渡す。
「貴鬼よ、お前は先ほどから『一生懸命』『一生懸命』申しておるが、もし、だ。
お前が『一生懸命』修復した欠陥だらけの聖衣が原因で紫龍が命を落としたら、どうするつもりだ?」
シオンの口調は、相変わらず優しいものであった。しかし、先程の20分間のムウの説教よりも貴鬼の心をえぐった。
金縛りにでもあったかのように、貴鬼はぴくりとも動かない。
シオンはそんな孫弟子の様子には構わず、話を続けた。
「だが紫龍は、きっと何も申さぬであろうよ。お前が全力で仕事をした結果故、
『それも仕方ない。これで命を落とす自分が未熟なのだ』と、自分を責めるであろうよ。彼奴は斯様な男だ」
「………………」
シオンは法衣の裾を捌いて立ち上がると、室内の電気ポットでお茶を二人分入れる。童虎の土産のジャスミン茶だ。
一つは自分の机の上に置き、もう一つは貴鬼に渡す。
「温かいものでも飲み、気分を落ち着かせよ。感情的になっておっては、見えるものも見えぬからな」
ゆったりと響く心地よい声。
シオンの部屋は香でも焚いているのか、いつも良い香りが漂っている。
そのせいもあってか、ここはとても安らげる場所であった。
貴鬼はシオンから受け取ったカップに口をつけながら、この聖域を統べる教皇の言葉に耳を傾けている。
他の聖闘士は皆シオンを怖い人というが、本当はそうでない事を、貴鬼をはじめシオンとよく接する人間はよく知っている。
厳格な教皇というイメージや先入観で、随分損をしているんじゃないかと貴鬼は思う。
「貴鬼よ、その『一生懸命』の結果で、斯様な結末が訪れてもよいと申すか?」
「そ、そんなこと……」
反論しようとする貴鬼だが、言い返す内容がとっさに思い浮かばず、口を噤む。
シオンはやや目を伏せると、
「確かに、お前は自分の持てる力の限りを尽くし、懸命に修復にあたったやも知れぬ。
だがお前の腕はまだまだ未熟。それは自覚しておるか?」
決して強い言葉で話しているわけではない。
それでも、その言葉の一つ一つが、石の礫のように貴鬼の心を打つ。
わかっている。自分がまだまだ半人前、いや、まだまだひよっこなのはわかっている。
……でも、頑張った事は認めて欲しかった。
「シオン様……オイラ……」
目の奥が熱い。鼻の奥がツンとする。
唇を噛み締めていないと、大泣きしてしまいそうになる。
作品名:子羊二匹 作家名:あまみ