任務は道連れ・世は情け
4時間後、白羊宮。
台所からバターと醤油の焦げるよい香りがする。
フライパンでパスタを炒めていたムウは、ダイニングテーブルで新聞を読むシオンに尋ねる。
「私のいない間、何かありましたか?」
「ふむ…特にはあらぬな。ああ、昨夜の夕餉は、童虎やアルデバランを誘い、市内のフランス料理店で食したぞ」
「おや、フレンチなんて珍しいですね」
「先日開店したばかりらしいのだ。貴鬼がチラシを見つけてな。是非行きたいと申す故。ああ、食後に出た生菓子が美味かったと皆で申しておったが、私は食さぬ故よくわからぬわ」
「私の留守中に随分と美味しいものを召し上がったのですね。私は空港でケーキを食べて、失敗しました」
「そう臍を曲げるでない。後日お前も連れてゆく」
「ふふふ、流石シオン様。そうこなくては」
きのことベーコンのパスタを皿に盛りつけたムウは、師の前に配膳する。
今日は貴鬼はそろばん塾でできた友達の家に遊びにいくとかで、現在不在だ。
「それより、ムウよ」
パスタに粉チーズをふりかけつつ、シオンが問う。
「お前は今回は報告書を提出するのか?」
「そうですねぇ……」
エノキとしめじはバター醤油とよく合うと、ムウはしみじみ思う。バターと醤油は偉大だ。
「今回はアイオリアが受けた任務なので、アイオリアが報告書を書くそうです」
シオンは刹那目を丸くした後、すぐにパスタをフォークに絡め、
「そうか」
と一言。
アイオリアはあまり書類仕事が好きではないので、その辺は揉めるかと予想していたのだが。
「ふふふ。『男たるもの、一度受けた任務はきちんと最後までやり遂げるべきだ。それがたとえ途中で中止になってしまった任務でも』だそうですよ」
シオンの表情から内心を読み取ったのか、ムウがそんなことを言う。
ただ、その物言いに皮肉さは微塵も感じられない。
心底アイオリアらしいですねと感心している様子であった。
「アイオリアは時々考え無しになることがありますけど、私は彼のそんな…一本筋が通ったところは嫌いではありませんよ?」
「そうか」
食べるのに一生懸命なのか、リアクションがし辛いのか、シオンの返事は短い。
せわしなくフォークが動いているところを見ると、前者なのだろうが。
そんな食べる事に集中している師の名を、ムウはいつものさり気なさで呼ぶ。
「シオン様」
「何だ」
「今度、アイオリアに一つ任務を与えて頂けませんか?」
弟子の思いがけない言葉に、思わずシオンの手が止まる。
「ムウよ……何故斯様な事を申す?」
するとムウはやや表情を陰らせると、
「今回の任務、アイオリアはやり遂げられませんでしたよね?」
「ああ。だがアレは不可抗力だ。仕方あるまいて」
そう言って、肩をすくめるシオン。
そう、アレは不可抗力。
自分の与り知らぬところでアテナが動いてしまっては、いかにシオンといえどもどうする事もできない。
ムウは続ける。
「ですから。せめて、次の仕事はやり遂げさせてあげたいのですよ」
任務が中止になったと連絡を受けた際のアイオリアは、えらくガッカリしていた。
彼の性格上、それが外部からの要因であっても、やりかけた事を放棄するのは気持ち的にどうしても納得がいかないのであろう。
だからムウは、アイオリアがガッカリする様子を側で見ていたムウは、アイオリアに再び機会を与えて欲しいと、
聖域の最高権力者である師に頼んだのである。
「……シオン様、お願いします」
真剣なまなざしでシオンを見つめるムウ。
その視線は、ムウの真摯な感情で満ちていた。
しばらく弟子の視線を受けたシオンは、困ったように首を横に数度振った後、しめじをフォークで刺しながら、
「相わかった。では彼奴にこなせそうな任務があったら、優先的にアイオリアに回すとしよう」
「本当ですか!?シオン様!」
ムウの顔が、電球でも灯ったかのようにパッと明るくなる。
私はつくづくムウに甘いな……と、自嘲するように唇を歪めるシオン。
教皇はこの後、弟子の希望を聞き遂げるのに大変苦労する事になる。[newpage]
2日後。教皇の間・執務室。
アイオロスとサガは予定表やその他書類を睨みながら、それぞれ眉間に皺をよせていた。
「教皇、存外に難しい話ですよ、それ」
サガが書類を一枚一枚チェックしながらそうぼやく。アイオロスはそんな友人の肩を叩きながら、
「サガよ、そう言ってくれるな」
「だがな、アイオロスよ」
サガの瞳が、刹那剣呑さを帯びる。
「お前の弟に遂行させる任務を探すのに、こんなに苦労するとは思わなかったぞ!」
サガがイライラするのも無理はない。
シオンに頼まれ、アイオリアでもこなせそうな任務を探し始めたのはいいが、
・英語ができない
・交渉事は避けたい
という二つの条件をクリアする任務がなかなか見つからないのである。
「この、アテナの護衛はどうだ?」
「会議後に歓談会があるぞ。アイオリアにこなせるか?」
「……試しに一度やらせてみたらどうだ?」
他の人間に渡す勅命書をさらさらと書いているシオンの態度からは、人任せや適当といった単語で形容される小宇宙が滲み出ている。
「ですが教皇、アイオリアが護衛先で『粗相』をしないかどうかが、私は心配でなりません」
「お前の弟だろう」
サガが横目で睨み返すが、アイオロスは慣れた口調で、
「私がこれから色々躾けようと考えていた矢先に、お前がやらかしてくれたからな」
「…………」
二人の黄金聖闘士の間から、緊迫した小宇宙が漂い出す。
基本、今の聖域ではサガの乱を蒸し返すのはタブーなのだが、直接の被害者であるムウとアイオロスだけは、時折チクチクと虐める。
部下二人の小宇宙の異変に気付いたシオンは、非常にやる気がなさそうな口調で、たしなめるだけたしなめた。
「お前たち、ここで千日戦争を起こすでない。まだまだ仕事が片付いておらぬであろう」
しかし、明らかに口先だけといった語調だ。
職務に忠実で真面目な二人が、仕事を放り出して大喧嘩をするわけがないと見込んでいるからだ。
「斯様に揉めておる暇があったら、疾くアイオリアに任せる仕事を探さぬか」
「可愛い可愛い弟子からの頼み事だからですか?」
ややシニカルにサガが問うが、シオンは敢えてそれを無視した。
と、その時。
机の上に散らばっていた一枚の書類に、シオンは目を留めた。
「ん」
「どうなさいました、教皇」
シオンの様子に気付いたのであろう、サガとにらみ合いを続けていたアイオロスがそちらに視線を向ける。
するとシオンは書類をテレキネシスでアイオロスに飛ばした。
「見るがよい。それならば、アイオリアにも十分こなせると思わぬか?」
「どれどれ」
書類の文面を追うアイオロス。
何事だろうと、横からサガが書面をのぞいたのだ、が。
読んだ瞬間サガは顔を真っ赤にして口元を押さえ、そっぽを向いてしまった。
どうやら噴き出すのを我慢しているらしい。
最後まで書面を読んだアイオロスは、彼も大笑いしたいのであろう、フルフルと肩を震わせながらシオンに返す。
「教皇、確かにこれならば、アイオリアにもこなせましょう。いや、我が弟ならば大成功を収めましょう」
「アイオロスよ、お前もそう思うか」
シオンは二人とは対照的に、平常の涼しい顔をしている。
作品名:任務は道連れ・世は情け 作家名:あまみ