シニカル・ノクターン
アフロディーテはそう突っ込んでやりたかったが、サガに一撃で屠られる予感があったので、そこは耐えた。
『……そんな理由だ。同行するアテナにも恥をかかせてしまうので、済まないが、頼む』
「カミュはどうしました?」
カミュも、アフロディーテ同様数か国語を操る。
しかも見た目もよいので、彼もパーティ護衛向きの人材なのだが。
サガは電話の向こうで静かに首を振った。
『カミュは昨日から連絡が取れん。もしかしたら、シベリアの奥地で弟子に稽古を付けているのかもしれん』
一応サガは、アフロディーテではなくカミュに仕事を割り振るつもりだった。
アフロディーテが休みに入るのを知っていたため、他の聖闘士に白羽の矢を立てようとはしていたのだ。
そこまで話を聞いたアフロディーテは 肺が空になるようなため息をつくと、イヤイヤとはいった体であったが、
「Oui」
と短く答えた。その声に表情を輝かせるサガ。
けれども、ただ引き受けるわけではないのがアフロディーテである。
「その代わり、月末のアラブ企業との懇親会には……サガ、貴方が出席して下さい。今度こそ私は休みます。休みを頂けない場合、教皇に『直訴』しますのでそのおつもりで」
これには、サガも折れた。
そんな経緯の上、アフロディーテは現在沙織と共にパーティーに出席している。
護衛ではあるが、自分のような外見の者がアテナの側に付いていると色々と目立つため、壁際に寄り会場全体に目を配らせながら、アテナの動きを見守る。
アフロディーテは薔薇の香気や白薔薇など、それなりに飛び道具を持っているので、ある程度護衛対象と距離を置いていても何の問題もないのだ。
「何だ、お前が来たのか」
上物のシャンパンを口に含んでいると、突如かかる声。アフロディーテの綺麗な顔が、思わず歪む。
声をかけられるまで、全く気配に気付かなかった。
黄金聖闘士の自分がここまで遅れをとる相手は、このパーティーの出席予定者では、ただ一人。
白い喉を鳴らしてシャンパンを飲み込むと、アクアマリンで染め上げたような鮮やかな瞳を声の主に向ける。
「私が出席したら、何か不都合でもあるのか?カノン」
「顔は綺麗だが、態度はつれないな。うちのソレントのようだ」
苦笑して、アフロディーテの横に並ぶ。
自分よりわずかに高い位置にある相手の顔を、まじまじと眺める魚座の聖闘士。
似ている。瓜二つと言っていいくらいに容姿は似ている。
けれども、纏っている雰囲気が全然違う。
すると相手はそのアフロディーテの視線に気付いたのか、唇を曲げて笑ってみせる。
「どうした。俺の顔がそんなに珍しいのか」
「君と同じ顔なら、聖域でイヤというほど見ている」
皮肉なのかそうでないのか、判断がつきかねるアフロディーテの口調である。
「ああ、そういえばそうだった」
アフロディーテの美貌を眺めつつ、カノンは笑う。
双子座のカノン。または海龍のカノン。
双子座の黄金聖闘士サガの双子の弟で、現在はジュリアン・ソロのボディーガードや、ソロ邸で執事もどきのような事をして働いている。
性格はサガに言わせると、『悪』。
あまりの悪っぷりに、若き日のサガがスニオン岬にぶち込んだくらいだ。今のカノンは昔よりも大分丸くなったが、今でもあまりお上品とは言えない。
サガと同じ顔ながら、くわえ煙草のサングラスがよく似合う。
それが、アフロディーテには不思議でならなかった。
「まったく、君がここに来てくれたおかげで、私は貴重な休みを失ってしまったよ」
イヤミタラタラに告げるアフロディーテ。
確かにアフロディーテの立場なら、イヤミや皮肉の一つでも言いたくなる。
だがカノンは全く気にした様子もなく、
「今回の護衛担当はサガだったのか。サガは俺とは公式の場で顔を合わせるのをひどく嫌がる。何故だろうな?」
と訊ね返すのだから、始末が悪い。
カノンの事だ。わざわざサガが出席するパーティーを選んで、ジュリアン・ソロに付いてきたのだろう。
普段ジュリアンがパーティーに出席する際は、バイアンやイオを護衛につける。
というのも、カノンではルックスや立ち振る舞いや存在感が派手なので、ひどく目立つのだ。
「先日まで一文無しだったのに、カノンのような立派なボディーガードに守ってもらうのは、気が引けます」
とは、ジュリアン本人談。
全財産をポセイドンの起こした水害の救済に充てたジュリアン・ソロであったが、マネーゲームが趣味のサガはそれを不憫に思い、確実に金になりそうな銘柄をいくつか教えた。
カノンが引き起こした事件という事もあり、サガなりに責任を感じていたようなのである。
……その株が大当たりし、一文無しから小金持ちにレベルアップ。
元々財界人という事もあってか、その辺の嗅覚が確かなジュリアンはあれよあれよと資産を殖やし、いつの間にやら元の……までとはいかないが、沙織にプロポーズしても笑われない程度の資産は築いた。
「……ジュリアン様も、やればできる子だったのだな」
とは、先日からウィーンの音楽学校に復学したソレントの言葉である。
アフロディーテはそれらを一瞬で回想すると、少々忌々しさを込めた視線でカノンの顔を見やった。
まったく、いやに成る程ほどサガに瓜二つだ。
サガのフリをして悪さをした事も多々あるという話だが、これほどそっくりならばそれも十分可能だろう。
「……私は知らないね。君が一番それをわかっているんじゃないのか?」
カノンの問いかけを適当にあしらう。
ああ、イライラする。
こいつのせいで私の休みがなくなったかと思うと、非常にイライラする。
苛立ちを紛らわせるかのように、シャンパンをぐいと飲み干すが、感情が荒ぶっているためかあまり美味しくない。
いつもなら、もっと気持ちよく酔えるのに。
「随分といい飲みっぷりだな」
「誰のせいだ」
綺麗な、この世のものとは思えないくらいに綺麗な瞳には、殺気にも似た不快感が浮かんでいる。
カノンは軽く肩をすくめると、
「あんまりきつい顔をするな。その綺麗な顔が台無しだぞ」
と、スケコマシのような事を言って、その場から去っていった。
ジュリアン・ソロから手招きされていたのだ。
アフロディーテはその背中を見送った後、空になったシャンパングラスを給仕に渡した。
新しいグラスは受け取らない。
今飲んでも、どうせ味がわからない。
折角いい酒を飲むのなら、気持ちよく飲みたいではないか。
「おい、アフロディーテ」
壁際でアテナを見守っていると、今度は辰巳に声をかけられる。
この城戸邸の執事は黄金聖闘士に対しても態度がでかいので、十二宮の守護者たちからはあまり好かれていない。
鬱陶しそうに視線だけ向けると、辰巳はアフロディーテの美貌にどぎまぎしながら、お嬢様がホテルに戻られるからそろそろ戻るぞと、業務連絡。
「Ok, sir」
短くそう答えたアフロディーテは静かに歩き出しながら、前を行く辰巳に告げた。
「君、私の顔を見る度に顔を赤らめるのは、いい加減にやめてくれないか?」
「お前の顔を見ると、どうしてもそうなるんだよ!」
唾を飛ばして反論する辰巳を無視し、魚座の聖闘士はアテナの元へ向かう。
『この時間にパーティーを去るだなんて、この後ホテルで何かあるな』
作品名:シニカル・ノクターン 作家名:あまみ