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ある日の夕食後の事。
洗い物を終えたムウがひどく調子悪そうな様子で、居間で新聞を読むシオンに声をかけた。
「シオン様」
「どうした。顔がま」
弟子に顔が真っ青と言いかけたシオンは、ふとムウの不調の理由に思い当たった。
ああ、そうか。
それならば、仕方ない。
「……あまり体調が優れぬようだな」
「ええ。ですので申し訳ありませんが、先に休んでよろしいでしょうか?」
そう訊ねるムウの顔は、死人のようだ。全く、血の気がない。
シオンは疾く休めとムウを寝室に追いやった後、自分の横で漫画を読む貴鬼に告げる。
「貴鬼よ」
「何ですか、シオン様」
大きな目を聖域を統べる教皇に向ける貴鬼。
厳格な教皇と呼ばれているシオンであるが、貴鬼にはとっても優しいおじいちゃんである。
シオンは大きな手で貴鬼の頭をぐりぐり撫でると、家族にのみ見せる柔和な表情で、
「今宵はムウの体調が優れぬ故、ゆっくりと休ませてやりたい。故に貴鬼よ、今宵は私の寝室で眠れ」
「え?シオン様の!?」
貴鬼の表情がパッと輝く。
「シオン様のベッドで、一緒にですか?」
「ああ、ゆるりと休め」
教皇であるシオンのベッドは、貴鬼が普段眠っているものとは段違いの高品質のもの。
布団はふかふかで寝心地がよい。
しかもシオンの部屋は香でも焚いているのか、いつもよい香りが漂っている。
貴鬼にとってシオンの部屋で眠るのは、それはそれは贅沢な事なのだ。
「今日はシオン様と一緒~」
無邪気にはしゃぐ貴鬼を、シオンはどこか哀しみさえ感じさせるような瞳で眺めながら、TVの電源を消した。
つまらないTVを延々と流していても、電気代の無駄だ。

その夜。シオンは自分より幾分高い体温がすぐ側でクークー子供らしい寝息を立てているのを感じながら、
己の愛弟子がこれくらいの年齢だった頃を思い出していた。

あの頃の自分は聖戦が近付いたこともあってか、よく昔の……
牡羊座の黄金聖衣をまとって、ハーデス軍と戦っていた日々の夢を見ていた。
次々と斃れていく仲間たち。
己の役割は次代に繋げていくことなのだと割り切ろうとしても、目の前で落命した師や同胞たちの姿を思い出す度、どうして私はあの場で共に死ねなかったのだろうと、後悔にも似た苦い思いが胸と首を締め付けた。
「シオン様…、シオン様……」
耳の奥で、自分を呼ぶ声が聞こえる。
この声をシオンはよく知っている。さて、誰の声だったか。
「……シオン様」
ペシペシと頬を叩かれる感触。
その生々しい感覚に、シオンはゆっくりと目を開ける。
すると視界に映る、心配そうに師を見つめるムウの姿。
「……ムウ?」
覚束ない様子で、愛弟子の名を呼ぶシオン。
ムウは大きな瞳を曇らせながら、じっとシオンを見つめていた。
「……シオン様」
「何だ」
「シオン様、すごくうなされてました」
「……ああ」
皺だらけのシオンの顔に、ようやく笑みが浮かぶ。
夢でうなされていた自分を心配して、ムウが起こしてくれたらしい。
そっとムウに手を伸ばし、抱き寄せる。
「すまなかったな。うるさかったか?」
「いいえ?」
肩くらいまで伸びた髪を揺らし、ムウが首を振る。
「シオン様、とっても苦しそうでした」
「……そうか」
確かに、あれは苦しい夢。
自分の大切な人間が次々に斃れていく、とても悲しく苦しい夢。
いつかはこの愛らしい弟子も、そんな感情を覚えることになるのだろうか?
「……苦しい夢ではあるが、あれは夢ではあらぬ。我が身に起きた現実よ」
腕の中に感じる、子供の高い体温。
年老いた自分のものとは違う、内に秘めた力を感じさせるような体温。
するとシオンの言葉を受けたムウは、大きな目を瞬かせながら、
「現実?」
「如何にも。今見ていたものは、私が年若き頃に経験した、聖戦の記憶。我が身に染み付いているものよ」
どんなに忘れようとしても、決して忘れることの出来ない辛い戦いの記憶。
だから、これから先もきっと夢に出てくる。
「シオン様」
師の腕の中で、ムウはそっと名を呼ぶ。
小さな手を伸ばし、年老い皺だらけになった水分の少ないシオンの頬に触れると、
「もしシオン様がまた夢でうなされていたら、ムウがシオン様を起こして差し上げます」
真っ直ぐなムウの眼差し。
やや汗ばんだ自分の顔を、真剣に見つめるムウ。
ムウが冗談などではなく、本気でこう申し出ているのが、シオンにもよくわかった。
「シオン様が怖い夢を見ていたら、ムウがシオン様を起こして差し上げます」
もう一度、先程よりももっと真剣な口調でムウが告げる。
シオンは皺が深く刻まれた口元に深い笑みを浮かべると、ムウを抱く腕に力を込め、
「よろしく、頼むぞ」
とだけ言った。
教皇として聖域を統治し早200年以上。
長生きはしてみるものだと、つくづく思う。
願わくは、この時間が少しでも長く続きますよう……。

「……まったく」
意識は再び、目の前で眠りこけている貴鬼に戻される。
肩が布団から出ているのをそっと直しながら、
「此奴はいつになっても子供だな」
と小さく苦笑いした。何に苦笑いしたのか。
寝相の悪い貴鬼になのか、それとも。
そんな子供の貴鬼を見て、ムウとの懐かしい日々を思い出している自分になのか。
多分、シオン自身もわかっていない。
作品名:Obit 作家名:あまみ