悩める金獅子
「また苦情が出ているらしいが、君は知っているかね?」
その日の白羊宮。聖衣のメンテナンスに訪れていた乙女座のシャカは、台所でお茶の支度をするここの主に、そう切り出した。
ムウはシャカの突拍子な話には慣れていたので、薬缶でお湯を沸かしつつ相手に話を続けるよう促す。
「何の話ですか、シャカ」
「アイオリアの話だ。彼は稽古係をよく勤めるだろう?」
「ああ、そうですねぇ」
相槌だけを挟むムウ。こうしておけば、シャカは勝手にしゃべってくれる。
基本シャカは、人に対して何かを話すのが大好きなのだ。
「アイオリアの稽古は、あまり評判がよくないのだ」
「それはそれは」
思わずムウは苦笑いする。
アイオリアの稽古が不評な理由は、聖衣の修復師であるムウは嫌だというほど理解している。
「……君なら原因が推測できるだろう」
「ええ」
素直にムウは頷くと、急須とティーカップ、それにお茶請けをトレーに乗せて、居間へやってくる。
シャカは私服の黄色っぽい袈裟の上に、サリーを巻いていた。
袈裟だけで過ごしていた時期があったのだが、同僚たちから、
「お前のその薄っぺらい体に、その薄っぺらい袈裟を纏っているのを見たら、こっちが寒くなる」
と苦情があったため、苦肉の策としてサリーを巻くようにしたというわけだ。
サリーは女性の衣装なので、当初はあまり乗り気でなかったシャカだが、どこかの国の男性ロッカーがかっこよく華やかにサリーを着こなしているのを見て、考えを改めたらしい。
今ではすっかりサリーの着こなしが板についていて、黄金聖闘士の中で一番おしゃれなミロも、シャカの私服姿を見るたびにぴゅうと口笛を吹いている。
それはともかく。
ムウはシャカにお茶を出した後、空いているソファに腰掛けた。今日のお茶はアッサムである。
「アイオリアは手加減なしですからね。稽古をつけてもらう相手は命がけでしょう」
「まったくだ」
呟いて、ティーカップに口をつけるシャカ。
何も言わずにカップをソーサーに戻したので、今日のムウの淹れ方は合格点らしい。
インド人のシャカは、紅茶にとてもうるさかった。
「アイオリアの元にもその評判が届いたようでね。本人はえらく落ち込んでいたよ」
やや高慢ちきないつものシャカの口調なのだが、言葉の端々にはアイオリアに対する同情や憐憫のようなものが含まれているように、ムウには思えた。
シャカは比較的アイオリアと仲がいいのだ。
アイオリアは聞いてもらいたい話があると、隣りの処女宮へ出向くという。
アイオロスが聖域内で逆賊と呼ばれていた頃、皆アイオリアを逆賊の弟と疎んで距離を置いていたそうだ。
(ムウはその当時、ジャミールで隠遁生活を送っていたので、詳しいことは知らない)
そんな中、周りの空気など読まずにアイオリアと普通に接していたのが、処女宮の守護者のシャカだった。
「逆賊とは彼の兄であろう?アイオリアは逆賊ではない。故に、彼を厭う理由がない」
と、聖域で顔を合わせた際は、『同僚』としてアイオリアと会話をしていたらしい。
アイオリアがシャカの目を開かせてはいけないと知っていたのは、この辺の事情による。
アイオロスの逆賊の疑いが解け、彼が聖域に戻りシオンの執務の手伝いをするようになっても、アイオリアは昔の癖が抜けず、何かあるとシャカと話をしに処女宮へ足を向ける。
そのためシャカは、兄アイオロスよりもアイオリアの日常に詳しくなってしまっていたりする。
「アイオリアは自分の稽古の評判が芳しくないと知ったわけですが、その理由には気付いているのですか?」
するとシャカは、細い眉を動かして一言。
「理由を思い当たるには、到っていない」
「やはり……」
右手でこめかみを押さえるムウ。ああ、気のせいか偏頭痛がする。
「シャカ、貴方のことです。アイオリアに原因を教えたりは……」
「するわけなかろう」
0.3秒で返ってきた、きっぱりすっぱりとした言葉。
いや、ムウにとっては案の上の答えであったが、この続きは想定外だった。
「自分で気付き、自覚し、そして改めようとしなければ、意味のないことだと思わんか?」
「あなたのおっしゃることはご尤もだと思いますが、シャカ」
ムウは心持ち目を細めると、シャカの顔を見つめた。
「このままでは、アイオリアは何も気付かないと私は思うのですけどねぇ……」
シャカはアイオリアと付き合いが長い分、彼に対して見方が甘いところがあるとムウは思う。
もしアイオリアが稽古の不評の原因を己で気付けるようなら、自分の仕事はとっくに楽になっている!
アイオリアの稽古の後の修復聖衣の量に悩まされてきたムウは、声を大にしてそう叫びたかった。
するとシャカは、ムウの心の中を読んだかのように口元を緩ませると、カップを手に取った。
そして。
「どうやら君は、アイオリアの稽古で聖衣の修復に悩まされてきた分、アイオリアに対して見方が辛くなっているようだな」
「!!」
ムウの翡翠色の目が、大きく大きく見開かれる。
どうやらシャカも、ムウと同じ事を考えていたらしい。考え方の方向は、全く逆だが。
なのでムウも負けじとばかり、
「そうですねぇ。貴方の方こそアイオリアとそれなりに付き合いがある分、見方が甘くなっているような気がしますよ。このお茶請けの水羊羹のように」
さいの目状に切り、爪楊枝を刺して皿に載せていたお茶請け用の水羊羹。ムウは一つつまむと、ぱくりと口に運ぶ。
途端に顔が綻ぶのは、やはり美味しいものを食べると幸せな気分になれるから。
シャカも水羊羹をいただく。すると、少しだけ表情が穏やかになる。彼もムウに負けず劣らずの甘党なのである。
最も神に近い男と称される聖闘士はこれで弾みがついたのか、次々と水羊羹を口に運ぶ。
ハイスピードで減っていくお茶請けの水羊羹。
流石のムウも、これには呆れた。
「シャカ、少し食べすぎですよ」
「ふむ。君の出してくれた水羊羹があまりにも美味なので、止まらなくなってしまったのだよ」
しれっとそんなことを言うものだから、ムウも何も言えない。
出したお茶請けを褒められて、人間悪い気はしない。
その夜。ムウは就寝前にシオンの部屋を訪れた。
夕食時に話題を出さなかったのは、貴鬼の前ではあまり話したくなかったからだ。
あの明るく元気で愛嬌のある弟子は他の黄金聖闘士にも可愛がられているので、貴鬼の前で話すと、その翌日には十二宮駐留中の黄金聖闘士のほとんどに知れ渡ってしまうのだ。
(なのでシオンはそれを逆手に取り、広めたい話がある場合は貴鬼の前で話す)
そのため師に相談事などがある場合、貴鬼が眠った後に二階の部屋を訪ねる。
「シオン様、ムウです」
「ああ、入れ」
ドアの向こうから、『諾』が返る。
ムウは静かにドアを開けると、足音を消して中に入った。
シオンはいつものように、寝台の上に寝転んで本を読んでいた。枕元に何冊が積んであることからするに、続き物の小説なのかもしれない。
ムウはベッドの端に腰掛ける。シオンの足元だ。師と話をする際の、ムウの定位置だった。
シオンは本にしおりを挟みこむと身を起こし、ムウの隣に腰掛ける。
「どうした、何用だ?」
教皇の間では厳格な雰囲気を漂わせる聖域の統治者だが、白羊宮に戻ると厳しくも優しいムウの師だった。
その日の白羊宮。聖衣のメンテナンスに訪れていた乙女座のシャカは、台所でお茶の支度をするここの主に、そう切り出した。
ムウはシャカの突拍子な話には慣れていたので、薬缶でお湯を沸かしつつ相手に話を続けるよう促す。
「何の話ですか、シャカ」
「アイオリアの話だ。彼は稽古係をよく勤めるだろう?」
「ああ、そうですねぇ」
相槌だけを挟むムウ。こうしておけば、シャカは勝手にしゃべってくれる。
基本シャカは、人に対して何かを話すのが大好きなのだ。
「アイオリアの稽古は、あまり評判がよくないのだ」
「それはそれは」
思わずムウは苦笑いする。
アイオリアの稽古が不評な理由は、聖衣の修復師であるムウは嫌だというほど理解している。
「……君なら原因が推測できるだろう」
「ええ」
素直にムウは頷くと、急須とティーカップ、それにお茶請けをトレーに乗せて、居間へやってくる。
シャカは私服の黄色っぽい袈裟の上に、サリーを巻いていた。
袈裟だけで過ごしていた時期があったのだが、同僚たちから、
「お前のその薄っぺらい体に、その薄っぺらい袈裟を纏っているのを見たら、こっちが寒くなる」
と苦情があったため、苦肉の策としてサリーを巻くようにしたというわけだ。
サリーは女性の衣装なので、当初はあまり乗り気でなかったシャカだが、どこかの国の男性ロッカーがかっこよく華やかにサリーを着こなしているのを見て、考えを改めたらしい。
今ではすっかりサリーの着こなしが板についていて、黄金聖闘士の中で一番おしゃれなミロも、シャカの私服姿を見るたびにぴゅうと口笛を吹いている。
それはともかく。
ムウはシャカにお茶を出した後、空いているソファに腰掛けた。今日のお茶はアッサムである。
「アイオリアは手加減なしですからね。稽古をつけてもらう相手は命がけでしょう」
「まったくだ」
呟いて、ティーカップに口をつけるシャカ。
何も言わずにカップをソーサーに戻したので、今日のムウの淹れ方は合格点らしい。
インド人のシャカは、紅茶にとてもうるさかった。
「アイオリアの元にもその評判が届いたようでね。本人はえらく落ち込んでいたよ」
やや高慢ちきないつものシャカの口調なのだが、言葉の端々にはアイオリアに対する同情や憐憫のようなものが含まれているように、ムウには思えた。
シャカは比較的アイオリアと仲がいいのだ。
アイオリアは聞いてもらいたい話があると、隣りの処女宮へ出向くという。
アイオロスが聖域内で逆賊と呼ばれていた頃、皆アイオリアを逆賊の弟と疎んで距離を置いていたそうだ。
(ムウはその当時、ジャミールで隠遁生活を送っていたので、詳しいことは知らない)
そんな中、周りの空気など読まずにアイオリアと普通に接していたのが、処女宮の守護者のシャカだった。
「逆賊とは彼の兄であろう?アイオリアは逆賊ではない。故に、彼を厭う理由がない」
と、聖域で顔を合わせた際は、『同僚』としてアイオリアと会話をしていたらしい。
アイオリアがシャカの目を開かせてはいけないと知っていたのは、この辺の事情による。
アイオロスの逆賊の疑いが解け、彼が聖域に戻りシオンの執務の手伝いをするようになっても、アイオリアは昔の癖が抜けず、何かあるとシャカと話をしに処女宮へ足を向ける。
そのためシャカは、兄アイオロスよりもアイオリアの日常に詳しくなってしまっていたりする。
「アイオリアは自分の稽古の評判が芳しくないと知ったわけですが、その理由には気付いているのですか?」
するとシャカは、細い眉を動かして一言。
「理由を思い当たるには、到っていない」
「やはり……」
右手でこめかみを押さえるムウ。ああ、気のせいか偏頭痛がする。
「シャカ、貴方のことです。アイオリアに原因を教えたりは……」
「するわけなかろう」
0.3秒で返ってきた、きっぱりすっぱりとした言葉。
いや、ムウにとっては案の上の答えであったが、この続きは想定外だった。
「自分で気付き、自覚し、そして改めようとしなければ、意味のないことだと思わんか?」
「あなたのおっしゃることはご尤もだと思いますが、シャカ」
ムウは心持ち目を細めると、シャカの顔を見つめた。
「このままでは、アイオリアは何も気付かないと私は思うのですけどねぇ……」
シャカはアイオリアと付き合いが長い分、彼に対して見方が甘いところがあるとムウは思う。
もしアイオリアが稽古の不評の原因を己で気付けるようなら、自分の仕事はとっくに楽になっている!
アイオリアの稽古の後の修復聖衣の量に悩まされてきたムウは、声を大にしてそう叫びたかった。
するとシャカは、ムウの心の中を読んだかのように口元を緩ませると、カップを手に取った。
そして。
「どうやら君は、アイオリアの稽古で聖衣の修復に悩まされてきた分、アイオリアに対して見方が辛くなっているようだな」
「!!」
ムウの翡翠色の目が、大きく大きく見開かれる。
どうやらシャカも、ムウと同じ事を考えていたらしい。考え方の方向は、全く逆だが。
なのでムウも負けじとばかり、
「そうですねぇ。貴方の方こそアイオリアとそれなりに付き合いがある分、見方が甘くなっているような気がしますよ。このお茶請けの水羊羹のように」
さいの目状に切り、爪楊枝を刺して皿に載せていたお茶請け用の水羊羹。ムウは一つつまむと、ぱくりと口に運ぶ。
途端に顔が綻ぶのは、やはり美味しいものを食べると幸せな気分になれるから。
シャカも水羊羹をいただく。すると、少しだけ表情が穏やかになる。彼もムウに負けず劣らずの甘党なのである。
最も神に近い男と称される聖闘士はこれで弾みがついたのか、次々と水羊羹を口に運ぶ。
ハイスピードで減っていくお茶請けの水羊羹。
流石のムウも、これには呆れた。
「シャカ、少し食べすぎですよ」
「ふむ。君の出してくれた水羊羹があまりにも美味なので、止まらなくなってしまったのだよ」
しれっとそんなことを言うものだから、ムウも何も言えない。
出したお茶請けを褒められて、人間悪い気はしない。
その夜。ムウは就寝前にシオンの部屋を訪れた。
夕食時に話題を出さなかったのは、貴鬼の前ではあまり話したくなかったからだ。
あの明るく元気で愛嬌のある弟子は他の黄金聖闘士にも可愛がられているので、貴鬼の前で話すと、その翌日には十二宮駐留中の黄金聖闘士のほとんどに知れ渡ってしまうのだ。
(なのでシオンはそれを逆手に取り、広めたい話がある場合は貴鬼の前で話す)
そのため師に相談事などがある場合、貴鬼が眠った後に二階の部屋を訪ねる。
「シオン様、ムウです」
「ああ、入れ」
ドアの向こうから、『諾』が返る。
ムウは静かにドアを開けると、足音を消して中に入った。
シオンはいつものように、寝台の上に寝転んで本を読んでいた。枕元に何冊が積んであることからするに、続き物の小説なのかもしれない。
ムウはベッドの端に腰掛ける。シオンの足元だ。師と話をする際の、ムウの定位置だった。
シオンは本にしおりを挟みこむと身を起こし、ムウの隣に腰掛ける。
「どうした、何用だ?」
教皇の間では厳格な雰囲気を漂わせる聖域の統治者だが、白羊宮に戻ると厳しくも優しいムウの師だった。