深夜特急
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タタン、タタン、
規則正しい振動と音。頬にあたる分厚いコートの生地。その、古めかしいが上質な仕立ての布地と、どこか懐かしい匂い。
遠い記憶に、確かに覚えのあるそれを感じて、ハンガリーはゆっくりと体を起こした。
「よう、起きたかハンガリー」
あれから、何百年、焦がれ続けた声だった。
「プロイセン…?」
呼ぶ声が、喉に絡んで、しゃがれた。
ゆっくりと目を開けると、赤い目をして困ったように笑う、プロイセンがいた。
「参ったな…あれから、三駅しか過ぎてないんだぜ。お前が、降りてから」
「……そう、だったの…」
あれから、長い長い、数百年を、ハンガリーは必死に生きてきた。
幾人もの仲間を見送りながら、生きて、生き抜いて、そして、とうとう彼女も、静かに役目を終えた。
それが、こちらの世界では、ほんの数時間の間の出来事だったのだという。
良かった。
ゆっくり来いと言われたから。できる限り守ろうと思った。けれど、待たせていると思うと辛かった。
「…泣いてたの?鼻が赤いわ」
うるせえ 、とそっぽを向く男は当然、記憶の中と寸分違わぬ姿をしている。
「…嘘みたい。あの頃の、ままね」
皺だらけの手を伸ばす。おそるおそる、頬に触れると、男の手が優しくそれをつつんだ。
「おまえは、よく、頑張ったんだな」
ハンガリーは、うつむいた。分厚いコートの胸に顔をうずめ、聞こえないほど小さな声で
「わたし、ずいぶん、年をとったでしょう」
「綺麗だ」
間髪をいれずプロイセンが言った。
「いつだって、お前は綺麗だ、ハンガリー」
潤んで揺れる赤が、愛おしげに、彼女を映す。
ありがとな、来てくれて。
嬉しい。
エリザ、俺は――――――。
あの時、別れ際に告げられた言葉は、聞き間違いではなかったらしい。
真っ赤に染まっている男の耳を見て、ハンガリーは口に手をあてて笑った。その手は白いレースに包まれている。
今日は、そう、純白の衣装。少し照れ臭かったけれど、自分が発つときは、これを着るのだと、ずっと、決めていた。
ふたりは、しっかりと手を握る
右手にはお揃いの指環が光っている
ねえ、ずっと あなたに 会いたかったの
やっと、これで 一緒なのね わたしたち
生きていて よかった
ああ なんて、
しあわせな旅路なのかしら。
タタン、タタン、
ふたりを乗せた深夜特急は、走り続ける。どこまでも続く長い夜の中、はるかに、はるかに駆け抜けていく。
終