望廬山瀑布
『まだ』本当に十八歳だった頃の話。
聖戦が始まる少し前、童虎はシオンを己の故郷の五老峰に誘った。
「廬山の大滝を見ながら、酒でも飲まぬか?」
白羊宮内で聖衣の修復に勤しむシオンに、童虎はそう声をかける。
シオンは目の前に広がる破損した聖衣の一群を眺め、一瞬だけ渋い顔をしたが。
「……そうか、ではお言葉に甘える」
と、シオンの能力を知らぬ者が聞いたら全く意味の分からない言葉を呟いた後、童虎の誘いに応じた。
「よかろう。たまにはお前に付き合おう」
そんな経緯の上、現在二人は滝の前の切り立った崖の上で酒を酌み交わしていた。
「なぁ、シオンよ」
杯の中の酒を呷りながら、童虎は言う。
杯をなめるようにして酒を飲んでいたシオンは、親友を目線だけ上げて眺める。
童虎は続けて、
「聖戦の後、わしらはどうしておるじゃろうな?」
「わからんよ」
シオンの長い睫毛が、揺れる。
「生きているかもしれんし、戦いの中で命を落としておるかもしれん。……そうだな」
戦士とは思えぬ程、白く形のよい手が、杯を盆の上に置く。
「恐らくは後者であろうな。聖戦の苛烈さは、私も師のハクレイから聞いている。戦いが始まったら……私は多分、女神のために、正義のために、死ぬ」
けれども、そう語るシオンの表情は穏やかではある。
戦いの中で、命を落とすかもしれない。
戦士として生きることを決めた以上、その覚悟はとっくにできていた。
だがそれを黙って聞いていた童虎は、人懐っこい童顔を陰らせる。
「そうか、シオンはそう思っておるか」
「お前は違うのか?」
長い睫毛に縁取られた瞳が、童虎を映す。
童虎は静かに首を横に振る。
「いや、わしとて、死ぬる覚悟は出来ておる。だが……」
「だが?」
無言になる二人の若き黄金聖闘士。
だが、二人の間を静寂が支配することはなかった。
両者が黙り込んでも廬山の大瀑布の水音が、『疑是銀河落九天』と李白が謳った滝の音が、轟々と鳴り響いているから。
「だがわしは」
水音にかき消されそうな、童虎の声。
それを聞き逃すまいと、耳を峙てるシオン。
「だがわしは、できれば、また再び……聖戦の後も、おぬしとここで酒を酌み交わしたいと、思う」
言葉を選んでいるような、童虎の口ぶりだった。
自分は戦士だ。アテナの聖闘士だ。
戦いの中で散る覚悟など、とっくに、この聖衣を拝領した時から出来ている。
この聖戦で生き残ろうと考える方が甘いのだ。
でも、それでも。
童虎は今、生き残った後のことを考えてしまった。
だから戦いの後の未来を考えないシオンに対し、言葉を選んでしまった。
けれどもシオンはその親友の言葉に、
「そうだな。出来れば、よいな」
と、もの柔らかく微笑んでみせる。
それに目を丸くする童虎。
ああ、彼奴はこんな表情も出来るのじゃな。
元来生真面目な性格のシオンはあまり笑わない。
それなりに長い付き合いになるが、このように柔らかく笑った顔は然程記憶にない。
端正な容姿のシオンが微笑むと、こんなに綺麗だったのか。
妙なことを発見したような気分である。
どうやらシオンはその童虎の様子が気になったのか。おもむろに表情を変える。
「どうした、変な顔をして」
訝しそうに丸い眉を顰める。
童虎はいや、なんでもないと首を横に振った後、手元にあった瓶から新しい酒を杯に注いだ。
聖戦が始まる少し前、童虎はシオンを己の故郷の五老峰に誘った。
「廬山の大滝を見ながら、酒でも飲まぬか?」
白羊宮内で聖衣の修復に勤しむシオンに、童虎はそう声をかける。
シオンは目の前に広がる破損した聖衣の一群を眺め、一瞬だけ渋い顔をしたが。
「……そうか、ではお言葉に甘える」
と、シオンの能力を知らぬ者が聞いたら全く意味の分からない言葉を呟いた後、童虎の誘いに応じた。
「よかろう。たまにはお前に付き合おう」
そんな経緯の上、現在二人は滝の前の切り立った崖の上で酒を酌み交わしていた。
「なぁ、シオンよ」
杯の中の酒を呷りながら、童虎は言う。
杯をなめるようにして酒を飲んでいたシオンは、親友を目線だけ上げて眺める。
童虎は続けて、
「聖戦の後、わしらはどうしておるじゃろうな?」
「わからんよ」
シオンの長い睫毛が、揺れる。
「生きているかもしれんし、戦いの中で命を落としておるかもしれん。……そうだな」
戦士とは思えぬ程、白く形のよい手が、杯を盆の上に置く。
「恐らくは後者であろうな。聖戦の苛烈さは、私も師のハクレイから聞いている。戦いが始まったら……私は多分、女神のために、正義のために、死ぬ」
けれども、そう語るシオンの表情は穏やかではある。
戦いの中で、命を落とすかもしれない。
戦士として生きることを決めた以上、その覚悟はとっくにできていた。
だがそれを黙って聞いていた童虎は、人懐っこい童顔を陰らせる。
「そうか、シオンはそう思っておるか」
「お前は違うのか?」
長い睫毛に縁取られた瞳が、童虎を映す。
童虎は静かに首を横に振る。
「いや、わしとて、死ぬる覚悟は出来ておる。だが……」
「だが?」
無言になる二人の若き黄金聖闘士。
だが、二人の間を静寂が支配することはなかった。
両者が黙り込んでも廬山の大瀑布の水音が、『疑是銀河落九天』と李白が謳った滝の音が、轟々と鳴り響いているから。
「だがわしは」
水音にかき消されそうな、童虎の声。
それを聞き逃すまいと、耳を峙てるシオン。
「だがわしは、できれば、また再び……聖戦の後も、おぬしとここで酒を酌み交わしたいと、思う」
言葉を選んでいるような、童虎の口ぶりだった。
自分は戦士だ。アテナの聖闘士だ。
戦いの中で散る覚悟など、とっくに、この聖衣を拝領した時から出来ている。
この聖戦で生き残ろうと考える方が甘いのだ。
でも、それでも。
童虎は今、生き残った後のことを考えてしまった。
だから戦いの後の未来を考えないシオンに対し、言葉を選んでしまった。
けれどもシオンはその親友の言葉に、
「そうだな。出来れば、よいな」
と、もの柔らかく微笑んでみせる。
それに目を丸くする童虎。
ああ、彼奴はこんな表情も出来るのじゃな。
元来生真面目な性格のシオンはあまり笑わない。
それなりに長い付き合いになるが、このように柔らかく笑った顔は然程記憶にない。
端正な容姿のシオンが微笑むと、こんなに綺麗だったのか。
妙なことを発見したような気分である。
どうやらシオンはその童虎の様子が気になったのか。おもむろに表情を変える。
「どうした、変な顔をして」
訝しそうに丸い眉を顰める。
童虎はいや、なんでもないと首を横に振った後、手元にあった瓶から新しい酒を杯に注いだ。