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振り返れば奴がいる 前編

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さて、瞬にはダイダロス、星矢にはアイオリアが参観することになっているが、もう一人の城戸邸の住民・邪武の授業は誰が見に来てくれることになっているのだろうか?
土曜の夜、三人で夕飯を食べている際、気になったので星矢は訊ねてみた。
「なぁ、邪武。お前、俺たちみたいに参観で騒いでねーけど、アテはあるのか?」
問われた瞬間、邪武の纏っている空気が変わった。
どんよりと澱んだ小宇宙が、邪武を包んでいる。
表情も暗く、重く、箸を持つ手も止まっている。
「……邪武、どうしたの?」
心配になった瞬が、邪武の顔を覗き込みつつ訊ねる。
邪武はぶっきらぼうに、
「何でもねぇよ、瞬」
と、それ以上の追求を拒絶しようとした、が。
世の中、いくらでも間の悪いことはある。
「何でもねぇよ、瞬」の声にかかるように、食堂のドアがばたんと開き、三人がよく知った人物が入室してきた。
城戸邸の執事、辰巳徳丸だ。
彼を見た瞬間、邪武の顔つきがやや変わったが、辰巳に注目している二人はそんなことには気付かない。
邪武はおもむろに箸を上げ、食事を続ける。今日の献立はブリの照り焼きだ。魚は冷めると美味しくない。
突然の乱入に、星矢の動きが止まる。瞬も驚いた表情のまま固まっている。
「……ど、どうしたんだよ、辰巳」
戸惑ったように星矢が訊くと、辰巳はお前じゃないと一蹴。
その扱いにムッとする星矢であったが、瞬が横でまぁまぁと宥めに入ったので、何とか耐えた。
「おい、邪武」
ぞんざいな口調で、辰巳が邪武を呼ぶ。
この城戸邸の執事は、少年たちに昔と同じような態度で接した。
三人とも、その気になれば辰巳など一瞬で冥界送りにできるのだが、それでも辰巳はこの態度を改めようとしなかった。
昔の癖がなかなか抜けないというのもあったのかも知れない。
毛髪のない執事に呼びかけられ、邪武の体が強張る。
明らかに、辰巳に話しかけられるのを嫌がっている様子である。
返事すらしない。
「おい、邪武、聞いてるのか」
もう一度辰巳に呼びかけられ、邪武はイヤイヤ顔を向けた。
その顔に大きな文字で、
『話しかけるな、バカヤロー』
と朱書きされていたのを、他の二人は見逃さなかった。
……と、ここで星矢と瞬は、邪武の不機嫌さの理由を何となく察する。
『もしかして』
疑念は、次の辰巳の台詞で確信に変わった。
「お前の授業参観はいつだった?お嬢様に休みを頂かんとならんからな」
「そんなに、この前渡したプリント見ればいいだろう!?何で今ここで言うんだよ!」
真っ赤な顔でガタンと席を立ち、ご飯粒を飛ばしながら辰巳に抗議する邪武。
そして、聞こえないフリをする星矢と瞬。
……邪武が参観のことをあまり話したがらないのも、これで得心がいった。
「お前、何そんなにカリカリしているんだ」
邪武の反応に、心外そうに顔を顰める。
「俺は何か悪いことをしたのか?」
「うるせぇ!!」
邪武の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
瞬は、師匠のダイダロスが来てくれる。
星矢は、兄貴分であり、聖闘士の最高位・黄金聖闘士の一人の獅子座のアイオリアが来てくれる。
それなのに、自分はどうだ。
邪武だって、自分の師匠に連絡をした。だが、邪武の師はパスポートやビザがないことを理由に、来日を断っていたのであった。
今でその電話をしていた時、丁度辰巳が部屋にやって来て、涙目になっている邪武に訊ねた。
『どうした、お前。そんな顔で』
『な、何でもねぇよ』
と、取り繕ってはみるものの、何かの拍子でポロリとしずくが頬を流れる。
慌てて右手で頬を拭うが、その様子を辰巳にしっかりと見られてしまった。
邪武の泣き顔など見たことなかった辰巳は、ほうけた顔で口を開けると、
『……泣いているのか、お前』
『うるせぇ!』
そう悪態をついてみせるが、頬に涙の跡が残っているため、強がっているようにしか思われない。
困ったように息を吐く辰巳。
相手は天裂き地割る聖闘士だ。
しかしそれと同時に、まだまだ大人の庇護が必要な、思春期の少年でもあるのだ。
……ここは、放っておくわけにはいかない。
『何があった。話してみろ』
『何でもねぇよ』
『何でもねぇで泣くのか?お前は泉ピン子か?』
『違う!』
『だったら、話せ』
こんな押し問答の末、邪武はようやく重い口を開いた。
『……てなわけなんだよ』
『そうか』
しばし考え込む辰巳。
邪武はじっとその姿を眺めている。
そして。
『なぁ、邪武。お前の参観、俺が出ようか』
『辰巳が!?』
突然の提案に、顔を埴輪にして驚く邪武。
目も口も丸く開いている。辰巳は頷くと、
『お前らの面倒を日頃から見ているのはこの俺だからな。十分に出る権利はあると思うが』
『だけどよ……』
渋る邪武。確かに参観に誰か来て欲しい。
辰巳か、何だ、辰巳かよという感情がないわけではない。
けれども、今の邪武には……辰巳の気持ちが嬉しかった。
『……いいのか?星矢や瞬じゃなくて、俺で』
『いいんだよ。あいつらは俺にあまりいい感情を持っていないしな』
『……まぁな』
星矢は姉の件で、瞬は一輝の件で、辰巳には含むところがある。
星矢は今でも時折辰巳に冷たい目を向けるし、瞬もたまに目が笑っていない。
そのため、自ずと辰巳は邪武を気にかけるようになる。
『よし、決定。お前の参観には俺が出席する』
そこで辰巳は邪武からお知らせのプリントを受け取ると自分の仕事へ戻っていったが、
邪武の心にはほんわりと温かいものが残った。
だが、しかし。
星矢や瞬の参観出席者を知って、その気持ちも萎えてしまった。
けれども邪武自身が、そんな感情を抱いてしまった自分に腹を立てているのである。
アイオリアやダイダロスと辰巳を比べてしまった自分。
辰巳の行為を嫉妬で踏みにじってしまった自分。
辰巳への八つ当たりは、自分に対する苛立ちの裏返しでもあったのだ。
……本人は自覚していないが。
「プリント無くすんじゃねぇよ!!」
「なくしてない!面倒だから訊いただけだ」
二人のやり取りをBGMに、淡々と食事を続ける青銅聖闘士二人。
こういう時は、見て見ぬ振りをするのが、人間としての礼儀である。
「なぁ、瞬」
「なに、星矢」
「……アイオリア、どんな格好で来るかな」
「そうだね、黄金聖衣で来なければいいよね」
「今お前、さらっとすごいこと言ったな」
「そうかな?」
こんな会話が交わされている間も、邪武と辰巳の言い合いは続いている。
「何で俺が出るって言っては駄目なんだよ!」
「俺の気持ちも考えろ!!」
「それを言われた俺の気持ちも考えろ!!」
大人と少年の口論が落ち着いた頃には、おかずの焼き魚はすっかり冷めていた。