BYAKUYA-the Withered Lilac-3
Chapter8 顕現を刈る者、そして喰らう者
新たに出現した少年は、謎に満ち溢れ、それ以上にえもいわれぬ不気味さを醸している。
四対八本の鉤爪を背に顕現させ、ワイシャツの裾を出して、大きくはだけさせた胸元から覗く肌は病的なまでに白い。
古風なループタイを首から下げ、詰め襟の学生服をただ羽織っている。
瞳にはやはり生気がなく、顔も透き通るような白さである。
痩身痩躯で、いかにも病弱な少年、といった感じを受ける。しかしそれはあくまで、見た目の印象にすぎない。
長年、『偽誕者』をやっているゴルドーには、少年がやわな見た目に反して、恐ろしい力を持っているのがすぐに分かった。
――あの爪……ハッタリじゃねぇ。いや、爪は二の次だ。あの小僧、それ以上の何かを持ってやがる……――
ゴルドーの感じた『それ以上の何か』の正体は、やがて明らかとなる。
「グガガガ……ギィッ……!」
人が出すとは思えない叫びを上げながら、ゾハルは自身を縛る糸から抜け出そうともがく。しかし、暴れれば暴れるほどに糸は食い込み、ゾハルから体力と顕現を奪っていく。
「無茶しない方がいいんじゃない? 僕の巣網の糸は。ワイヤーよりも固いよ? あんまり動くと。腕が取れちゃうかもしれないよ?」
ゴルドーは、キラッ、と光る細い糸が、ビャクヤの指先から伸びているのに気付いた。
――あいつから糸が? そいつがゾハルを縛り付けてんのか。糸、巣網、八本の爪……まるでクモみたいだな――
「グウウゥ……ガアアァァァ!」
ゾハルは、身を切り裂く糸に苦しむように叫び続ける。体はもう、綺麗なところがないほどに血にまみれている。
「ゾハル! もう止めなさい、ビャクヤ! これ以上はゾハルが……!」
ツクヨミは、ゾハルに負けないほどの大声で、ビャクヤに訴えかける。
ビャクヤはそっぽを向いて目を閉じ、両手の人さし指を耳の中に挿していた。
「あーもう。うるさいなぁ。セミが引っ掛かった時のクモの気持ちが。今なら分かる気がするよ……」
ビャクヤの注意力が散漫になっている時だった。
「ギィッ、ギャァッ!」
「おっとと……?」
ゾハルは渾身の力で身を捻り、ビャクヤの糸を断ち切った。
ゾハルは、その場にボタボタと血を滴らせ、膝をついた。そしてすぐそばにいるツクヨミには目もくれず、代わりにビャクヤを一睨みし、騒ぎながらその場から一目散に逃げていった。
「ゾハル! 待って!」
「あーらら。逃げられちゃった。あはは……まるで本物のセミだね。運良くクモの巣から抜け出して。あんな大騒ぎしながら逃げてくなんてね。あははは……!」
ビャクヤは無邪気に笑った。
――あいつは、自我をほとんど失っていた。なのに、暴れずに逃げることを優先した。本能でヤバい相手だと悟ったってのか……――
ゴルドーは、まだ笑っているビャクヤを見ながら思った。
――あの小僧、確かに不気味だが、そこまでの力は……いや、さっきのを見た後じゃ侮れないな……――
「あははは……ふぅ……笑い疲れたよ。さて。休憩がてら状況を説明してもらおうかな。姉さん?」
ビャクヤは笑うのを止め、ため息をつくとツクヨミに目を向ける。
しかしツクヨミは、ゾハルが逃げ去った事で緊張の糸が切れ、放心したように崩れて尻餅をついた。
「おーい。姉さーん?」
ビャクヤは、つかつかとツクヨミへと歩み寄り、肩を持って少し揺すった。
それでもツクヨミは、まるで反応を見せない。全身の筋肉が弛緩し、一切動く力を失っているようだった。
「おーい。大丈夫かーい?」
なおもビャクヤは揺する。するとひたひた、というような音として捉えるのが難しい、非常に小さな音がした。
それは、液体がそっと地面を流れていく音であった。液体はツクヨミを中心に放射状に広がっていく。
「えっ? ね。姉さん?」
ツクヨミは、自らの放出するものに快楽を感じつつも、下半身を包む生ぬるさにはっ、と我に帰った。
「……いっ、いやッ! 見ないで!」
ツクヨミは、生ぬるく濡れたワンピースの裾を掴みながら、ビャクヤから紅潮した顔をそらした。
「ふーん。なるほど。よぉく分かったよ……」
ビャクヤは立ち上がる。
「ぷっ……!」
ビャクヤは吹き出したかと思うと、そのまま夜空を仰いで大笑いした。
「アッハハハハハハ……!」
何がそんなに可笑しいのか、ビャクヤの笑い声はとてつもなく大きい。
妙齢の女が、ビャクヤの目の前で失禁したことに対するものにしても、その笑いは異常であった。
「ビャク、ヤ……?」
さすがのツクヨミも、恥よりも畏怖めいた感情に支配され始めた。
やがてビャクヤは、一つ大きく息をし、仰々しく両手を広げ、誰にともなく話し始めた。
「……何から何まで。夢で見た通りだ。一人で『夜』へと向かった姉さんが危険な目に遭う。さっきのセミもまるで同じだ。真っ白な頭してさ。変な格好してるんだもん。ああ。変な格好といえば。さっきからそこにいるおじさんもそうだね……」
ビャクヤは横目でゴルドーを見る。
「裸にコートなんて。まるで露出狂じゃないか。この『夜』に来るまでによくもまあ。警察に捕まらなかったものだねぇ。まったく……つくづく警察ってのは無能だよねぇ」
ビャクヤは、ともすれば、ゴルドーに対して挑発しているようだった。
しかし、このような挑発に乗るようなゴルドーではなかった。
突然現れて、あの狂気の塊たるゾハルに、本能的に訴えかけるほどの恐怖を与えた少年である。おぞましい力の源を暴き出そうと、静かに様子を見続けていた。
先に目をそらしたのは、ビャクヤであった。そしてまた、独り言のように喋り始める。
「……僕はやっぱりだめだ。姉さんの姿がなきゃ。悪夢を見る。そう。これは果てしない。途方もないもの。運命の神様なんかじゃなく。僕に宿る顕現の獣が見せる。まさしく『終わらない悪夢』さ……」
だけど。とビャクヤは続ける。
「そんな『終わらない悪夢』を喰らってくれるのも。そいつなんだ。悪夢を見せたかと思うと。その悪夢を喰ってもくれる。ははは。ワケわかんないよね? ん? もしかして。こう言うことかな? 姉さんを守ることが。僕の存在意義。姉さんの死は。僕にとっての死でもある。僕に死なれちゃ。僕に宿るやつも困る。ああ。だから僕はこんなとこに来てるんだろうね」
ビャクヤは、自分自身の謎を自己完結させた。その表情には、満足げな綻びがあった。
――……この小僧、まるで分からねぇ。場所が場所だ、常識が通用しない手合いは腐るほどいる。だが、コイツは丸っきり常識で推し量れねぇ……力も妙なら、人としても妙ってことか?――
ゴルドーも、ビャクヤに初めて会ったツクヨミと同様に、彼の奇怪さに翻弄されていた。
「ねえ。おじさーん? さっきから何で僕をじっと見てるの? まさか。露出狂だけじゃなくそっちの趣味もあるとか? うっわー。最悪。変な格好してると。趣味まで変になるのかい?」
ゴルドーが考えていたような事を、ビャクヤも口にした。
自分が考えた事とは言え、ビャクヤのような者に人間性を怪しまれ、さすがのゴルドーも黙っていられなくなった。
作品名:BYAKUYA-the Withered Lilac-3 作家名:綾田宗