彼方から 第二部 最終話
彼方から 第二部 最終話
「イザークッ!!」
「くっ……」
――なんてことだ!
――こんな鳥の気配も分からなかったなんてっ!!
失態を嘆いたところで何も始まらないことは分かっている。
だが、いつもなら、いつもの状態であれば、襲い来る鳥の気配に気づかぬはずがなかった。
そのせいで、自分のみならずノリコまでをも、危険に晒してしまっている……
太く、強張った大鳥の足に掴まれたノリコが、酷く痛々しく見える。
彼女が、この世界の女性たちよりも華奢であることは、自分が一番よく分かっている。
樹海で出会ってからガーヤに預けるまでの間――ずっと、一緒に旅をしてきたのだから……
これ以上、鳥が足に力を籠めたら……
イザークは焦っていた。
恐怖からか、眼に涙を溜め、名を呼んでくるノリコ……
鳥から、『奴』の気配がする。
イルクは気配が消えたと言っていたが、『消した』だけだったのだろう、この機会を待つ為に……
自分たちに、復讐する為に……
「待ってろ、ノリコ……」
腕ごと掴まれ、自由が利かない。
イザークはとにかく、片腕を大岩鳥の足から引き抜いた。
“ ク……ク ”
“ 逃ゲラレルト 思ウノカ ”
腕を引き抜いた途端、『奴』の声が体を伝わって頭に響く。
“ 私ガ ココマデ傷ツケラレタノモ ”
“ オマエ達 二人ノセイダ ”
“ 岩ニタタキツケラレテ 死ンデシマエ!! ”
――ッ!!
――なん……だと!
イザークは辺りを見回した。
通ってきた国境と、同じような光景が続いている。
荒々しい岩肌が剥き出しとなっている痩せた荒れ地……断崖絶壁が続く渓谷……
大岩鳥はごつごつとした岩ばかりが目立つ崖の壁面に向かい、降下してゆく。
体に、凄まじい『圧』が掛かる。
大岩鳥は上昇に転じる際に生じる遠心力に乗せ、二人を壁面へ――切り立つ崖に向けて放っていた。
――ノリコッ!!
剥き出しの岩肌までの距離は、いくらもなかった。
ガァンッ―――!!
イザークは、成す術もなく投げ出されたノリコの手を掴むと、咄嗟に『気』のバリアを張っていた。
瞳の形が変わってゆく――牙が、覗いている。
バリアの当たった衝撃で崖は抉られ、そこから大きな岩がいくつも底へと転がり落ち、大きな音と共に砕けてゆく。
――くそう、奴め!
――ノリコには手を出すな!!
――おれとは違うんだ……!
――わずかな衝撃でも傷ついてしまう……ただの、人間の、女の子なんだぞ!!
必死だった。
ノリコを引き寄せ、抱きかかえ、上手くコントロール出来ない力を使って、バリアを張り続けた。
崖肌を、彼女に衝撃が加わらないよう注意を払いながら、イザークは滑り落ちてゆく。
バリアが当たり、削り取られた岩肌から、細かな砂塵や土煙、土塊や岩石の塊りが、二人を追うように一緒になって落ちてくる。
イザークはなるべく平坦な、そして、何も落ちていない場所を選び、そこへ足を着けた。
その、途端だった……
「うっ」
体の奥底に眠る力が……蠢きだした。
「きゃっ」
小刻みに体が震える。
ノリコ一人、抱えていられなくなるほど、力が奪われてゆく。
イザークは思わず膝から崩れ、ノリコを地面に落としてしまっていた。
呼吸が、荒くなってくる。
震える体を支える為に地面に着いた手が、その指の――爪の形が、様相を変えてゆく。
イザークは変容してゆく自身の手を、ノリコの視界から隠すようにしていた。
「イザーク?」
様子がおかしいのに気付き、ノリコが名を呼び、声を掛けてくる。
――体が……
だが、彼女の声掛けに言葉を返せるほどの余裕が、今のイザークにはない。
――だめだ
――抑えなくては……!
変容するのを、蠢きだした力を抑える為、イザークはきつく瞼を閉じ、歯を食い縛る。
食い縛った歯からガチガチと音が聞こえるほど、体は震え始めてしまっている。
ケエェェェ――ッ!
翼の音と共に、大岩鳥の鳴き声が戻ってきた。
――まだ、来るか
――恐らくあの鳥は、操られているだけだ
――できるなら、傷つけたくない……
こんな切羽詰まった状況の中でも、イザークは鳥の身を慮っている。
本来なら、必要のない戦いのはず。
魔物が、自身の恨みを晴らす為だけに操っているこの鳥を、たとえ自分たちの身を護る為とはいえ、傷つけることすら、本当はしたくないのだ。
“ オノレェ ナンテ奴ダ ”
“ アノ衝撃デ ナントモナイト イウノカ ”
“ コノ イザークトイウ男…… ”
“ マトモニ カカッテハ 勝テナイ ”
大岩鳥を操り、再び攻撃に転じさせながら、『奴』は、白霧の森の魔物は、イザークの強さに計を案じ始めた。
魔物は何としても、この二人を逃すつもりはなかった。
自身が受けたと同じだけの……いやそれ以上の打撃を与えなければ、気など済むはずがなかった。
数十年の間、居心地の良い棲み処としてきた場を、白霧の森の結界を――他の者に仕掛けた精神攻撃を浄化され、この二人自身に仕掛けた精神攻撃をも撥ね退けられた……
剰え、精霊の味方をされて、力を呼び込められて、結界まで解かれてしまった。
許せるはずがない、このまま、何事もなく無事に、行かせるわけにはいかない。
だがもう一度、二人に直接精神攻撃をするだけの力はもう残っていない。
仮に、攻撃できたとしても、恐らく結果は同じだろう……
ならばどうする……ならば……
魔物は大岩鳥をイザーク目掛け、急降下させていた。
ドンッ……
という、鈍い音と共に、イザークの放った大きな気が、『遠当て』が、大岩鳥の猛攻を止めた。
人の何十倍もある大きな体を持つ大岩鳥と、ほぼ変わらない大きさの遠当てを、イザークは放っていた。
翼を広げたままゆっくりと、大岩鳥が背中から地面に落ちてゆく。
そのまま、ピクリ――とも、動かない。
――殺して……
――しまったのだろうか……
コントロールの儘ならない状態のまま、放ってしまった『遠当て』。
素手で攻撃するよりも、剣で応戦するよりも、それが一番――鳥を傷つけずに済むと、そう判断したからだった。
何とか、傷つけない程度に抑えたつもりだが、自信はなかった。
イザークは息を荒げ、体の変容を抑え込みながら、それでも、大岩鳥の安否を気遣っていた。
「う……」
体が疼く。
そんなイザークの想いなどお構いなしに、体の変容は留まろうとしない。
思わず、自分の体を抱えこんでいた。
「イザーク!!」
――様子が変だ!
――まさか、あの病気が!?
彼女の脳裏に、カルコの町での出来事が蘇ってくる。
今にして思えば、彼が、鳥が襲ってくる気配に気づかないなんてこと――そう、そこからしておかしいのだ。
森の中、自分を負ぶって歩いてくれていた時、『大丈夫だ』と言っていたが、本当に大丈夫なら、こんなこと……
作品名:彼方から 第二部 最終話 作家名:自分らしく