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亜 金陵奇譚 弐 ─夜話─

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「、、、、、、琰、、、、、景琰、、、景琰、、。」
誰かに揺り起こされて、次第に、皇帝の意識が呼び寄せられる。
皇帝の眼が開く。
「小殊!!!。」
皇帝は跳ねるように起き上がり、傍で揺り起こした梅長蘇を、強く抱き締めた。
皇帝の夜着は汗ばみ、耐えてはいたがその体の震えは隠せなかった。
震えが落ち着くまで、暫く時間を要した。

養居殿は夜の帷に包まれて、物音ひとつしない。
太監は外に控えており、皇帝の異変に気付く者はいなかった。

ようやく震えが幾らか治まり、梅長蘇を抱き締める腕の力が緩む。
「、、、酷い夢を見たのだな。顔が真っ青だ。」
梅長蘇が皇帝の顔を覗き込み、額の汗を袖で拭いてやる。
皇帝の目には怯えすら見えていた。
「、、、、真冬の山にいた、、、。吹雪の中、炎で、、、炎で人が焼かれ、、、、。」
皇帝の言葉を聞いて、梅長の息が止まる。
「、、、、、小殊が、、、小殊が、、、武装した夏江に斬られた。
、、、、私は何も出来ずに、、、。」
そう言うと、皇帝の双眸から涙が流れ落ちる。
「助けたいのに、、、小殊の側に行きたいのに、、阻まれて、、、。探せども探せども、、お前は何処にもいない、、。早く助けなければ、死んでしまうのに、、。」
梅長蘇は、そっと皇帝の涙を指で拭うが、涙は止めどない。
「景琰、、これはお前の夢だ。」
「小殊、あの山に居たのだろう?。、、こんな、、地獄に、、。いや、、、実際はもっと酷かったのだな、、、。」
梅長蘇の表情が険しくなる。
何かを心の中から、追い出しているかのようだった。
梅長蘇は深く一呼吸つくと、表情は穏やかになり、皇帝に静かに話しかける。
「、、、、ただの、お前の『夢の話』だ。景琰は、梅嶺には行った事は、無いだろう?。」
そう言って、微笑む長蘇が、皇帝には痛々しくてならなかった。
また一筋流れる涙を、長蘇は掌で拭ってやる。
自分を癒す長蘇の手を、皇帝の手が押え、皇帝は自分の頬で長蘇の掌の感触を確かめていた。長蘇の掌は、まるで生きている者のように感じられる。かつての記憶が成すのだろうか。
「景琰、、悲しむな、体に毒だ。、、、終わった事なのだ。」
それでも悲しみの収まらない皇帝に、長蘇はどんな言葉をかけたらいいのか。
「景琰、梅嶺に石碑を建ててくれたろう?、先帝の名で。御魂は嬉しがっていたぞ。」
「父上の遺勅だったのだ。あの荒々しさが嘘のように、最晩年は穏やかになり、悔やみ続けていた。『仕方がなかった』訳では無いと認めたのだ。認めてからは、心、楽になったようだった。」
「先帝は心置き無く逝ったのだ。お前だけが囚われてどうする。」
「、、、、そうだな、、そう、、、それは分かっているが、、こんな生々しい夢を見てしまうと、、、落ち着くにも、、刻が、、。」
皇帝の心は、まだ落ち着かぬようだった。
「それも、仕方ないか、、、。景琰が、酷い夢を見るにも、訳がある。」
そう言うと、梅長蘇は寝台から立ち上がり、その場で辺りを見回した。
すると側机に置かれた水差しを持ち、真っ直ぐに香炉の方へと向かってゆく。
「小殊?、何を、、。」
長蘇は香炉の蓋を開け、その中で燻っている香に水を掛け、消してしまったのだ。
香炉の中の炭が、完全に消えたのを確認すると、今度は部屋の窓を幾らか開け、外気を入れ、寝台の辺りの換気をし始めた。
一通り窓を開けると、長蘇は皇帝のいる寝台の元へと帰ってきた。
「香に原因があったのだ。」
「、、??香に?、あの香は、毎日、母上から届けられる。香の調合か間違っていたと?。」
「静伯母上が、自ら届けに来るのか?。」
「、いや。、、、、まさか、皇太宮の者が、別の香とすり替えたと?。嬪宮だった頃から仕えていた者達だ。母も信頼している。」
「皇太宮とも限らぬ。」
「???、、、まさか、、。」
「国が落ち着いていて、天子の体が思いの外、丈夫なのだ。こうでもして、皇帝の心を弱らせて、隙を作らねば。
ふ、、、逆心の徒も、景琰が相手では難儀をするな。」
「、、、、、。」
「、、、景琰、誰の仕業か、考えているのか?。」
「、、、、、、。」
「ふふふ、、分かるまい?。」
「小殊ならば、分かるのか?、、、誰がしたことか。」
「いや、、分からぬ。単純な事案ではあるまい。さぞかし複雑な事だろう。迂闊に決め付ければ、無実の者が陥れられぬとも限らぬ。」
「、、、確かに、、、そうだ、、。」
皇帝は暫く考えを巡らし。
「ならば、暫し泳がせ、炙りだそう。この件は母上に頼む事にする。」
「?、静伯母上??、皇后に任せるのでは無いのか?。」
「どの者に、いくら内密に勅命を下しても、何処からか漏れるもの。母ならば察して動いてくれよう。ましてや、母の香から始まったのだ。」
「どうやって頼むのだ?、皇太宮と養居殿の侍従すら、疑わしいのに。わざわざこの件で会うのか?。」
梅長蘇は興味津々、聞き返した。
「口には出さぬさ。」
「???。」
「私が明日の朝、起きられなかった事にする。」
「それだけで伝わるか?。」
皇帝は、自信満々の表情を、長蘇に向けた。幾らか考えて、長蘇はクスリと笑った。
「ああ、、、そういう事か。いつも、時間通り起きる景琰が、朝寝坊するなぞ、有り得ぬからな。静伯母上はおかしいと感じて、極秘に調べてくれるのだな。」
「そうだ。首謀者も、謀が上手くいったと、油断もしよう。更に正体が分かりやすくなる。」
「自信があるのだな。」
「まぁ、ここ暫く、時折、夢見が悪くて、深く眠れない事が幾度かあったのだ。これで得心できた。たかが香で、、、。
小殊、よく来てくれた。誰かの企みで、このままこんな状態が続いたらと思うと、腹が立つ。」
皇帝はじっと長蘇を見つめ、言葉に詰まりながら、切なげに言葉を続けた。
「、、、、もっと、、、、頻繁に、私の前に現れるようには出来ぬのか?。小殊が側に居てくれれば、、私には一万の軍馬にも優るのだ。
、、、、、私の側に、居続ける事は出来ぬのか?。」
皇帝の言葉を聞い、長蘇は、困ったような顔になる。
「、、、景琰、、。」
じっと見つめ、応の答えを待っている皇帝は、まるで駄々っ子のようだ。求める事は、長蘇には難しい事なのだろうと、薄々は皇帝も分かっている。
義兄簫景琰としては、いつでも頼りになる兄であってきたのだ。年下の林殊に駄々をこねるなぞ有り得ない。
、、、だが、今、皇帝のこの孤独たるや、、、。
想像以上だった。
父王 簫選は、この孤独に、一人耐えたのだろうか
信頼はしていても、その者の立場を考えて、言葉を飲み込む事は、日常の事であった。
小殊が生きていたら、、、、それは叶わぬ事だった。
ならせめて、この幻夢の梅長蘇が傍に居てくれたら、、、どうにもならぬ立場と事態を、明かせぬ心の内を吐露できたなら、、、心は幾許か救われる、、、、、。
幻影にすら、縋るような心持ちだった。
無理は承知で、遂に口に出してしまったのだ。
「、、、景琰、、、辛いか?。」
「辛く無いと言えは嘘になる。だが、語り合う者が、全く居ない訳では無い。、、、ただ、お前に話すように、明け透けには語れない。
、、、、、私の、、、我儘なのだろうな。皇帝とはこういうものなのだ。初めから分かっていた事だ。」
少し弄(ひねく)れてみる。