亜 金陵奇譚 弐 ─夜話─
━━小殊に甘えてどうする、、、しっかりしろ。私は皇帝なのだぞ。━━
「、、、景琰、、私にも、どうやればここに居続けられるか分からぬのだ。」
「、、そうなのか?。」
「気が付けば、ここに居る。そうだったかと思うと、時には別の場所に変わっていたり、、。
、、、、、ただ、ここには引き寄せられて来るようだ。私が来る理由がある様に思う。景琰だけでは無い、何かに求められて、私はここに来るのだろう。」
「小殊自身でも、自由に出来ぬのか?、、。」
「私も、、、出来るならばずっと金陵に、、、ここに居たいのだ。色々、心残りが、、、、何も出来なくても、景琰の側に寄り添っていたい。」
━━天子になったからと、思い通りに全てがなる訳では無い。無論そんな事は承知していた。
大人になったら、あれやこれや、煩わしい事と責務だけが、増えるばかりだ、、、。
、、、小殊といられた子供の頃が、どれだけ充実し、輝(ひか)っていたか、、、。
戻れぬ時代が、どれ程貴重だったか、、。
私の刻は赤焔事案で止まり、小殊が再び現れて、漸く動き出したと言うのに、、。
どれ程富貴な地位に封ぜられようと、あの日々には変え難い。
、、小殊は生きていると信じ続け、その思いだけで、小殊のいない止まった日々を耐えてきた、、、。だが、、小殊はまた梅嶺で、、、、。
幻影の小殊でも、私にはこれ以上ない、魂の救いだった、、。
なのに、、、、小殊が私の前に現れるのは数年に一度なのだ。
四六時中とは言わぬ、、、せめてもう少し、小殊に逢いたいという、ささやかな望みすら、どうにもならぬのだ、、、、。
、、、、、、、無常さに、、、、私の心が、抜け死ぬようだ、、、。━━
そう求める皇帝が残酷なのか、事実を告げる長蘇が残酷なのか、、。
━━小殊に逢いたいという思いが、、、、私には足りぬのか?。
忘れた事など一時として無い。━━
「何かここに来られるきっかけはある筈だ。規則性があるかも知れぬ。私も努力しているのだ、きっといつか自在にここに来る事ができるようになると思う。
だから、、な、景琰、、少しの間だけだ、、。待っていてくれ。」
━━ああ、、、、小殊はいつも、、、こう、相手が喜ぶような約束をするんだ、、。
口ばかりと分かっているのに、、私は期待してしまうのだ。
、、、そして約束は果たされることは無い。━━
「、、景琰、、?、、。」
梅長蘇は、皇帝の向ける眼差しが、険しい事に気がついた。
皇帝は何も言わず、ゆっくりと横になる。
「?、、景琰?。」
仰向けに横になった皇帝は、長蘇の呼び掛けに反応せず、むくれたように、視線を梅長蘇がいる方と、逆の方に幾らか顔を動かした。
「ふふ、、。」
長蘇には、皇帝がむくれた理由が、分かっているようだった。
皇帝は目を瞑り、寝ようとしていた。心とは裏腹だったが、何だかただ一つの、ささやかな望みまでも、払い除けられた気がして、切なさと惨めさが心に流れ込む。
暫く、ほんの少しの間、そっとしておいて欲しい、落ち着けば、いつもの自分に戻るのだ、と、皇帝はそう思った。
ところが、自分の顎を指でなぞる者がいるのに気がつく。
、、、、、長蘇に決まっているのだが。
ゆっくりと指は頬を遡ってゆき、顬(こめかみ)の辺りで止まった。
そして、細い指は向きを変えて、そっと眉をなぞる。
皇帝は苛(いら)ついた。
そして長蘇の指は、皇帝の眉間の位置で止まり、そこを暫く撫でている。
皇帝の皺が気になるのだろう。
昔、『ここに皺ができると、更に愛想の悪い顔になる』と、散々言われた。半分は、林殊が作った皺だった。
林殊にも幾らか自覚があるのか、若い皇帝の眉間の線を気にしていた。
皇帝は、『放っておいてくれればいいものを、』と、長蘇の悪戯を苦々しく思った。
「触るな。」
そう言うと、梅長蘇の手を払った。
払いはしたものの、長蘇も気を悪くして去ってしまうのではないがと、正直な所、皇帝の内心は、穏やかでは無かった。
案の定、辺りは静まり返った。
長い静寂。
一人また、この大きな寝殿に残されてしまったと、それが怖くて、皇帝は、瞼が開けられない。
━━小殊は去ってしまったのか、、、、。
こんな事になる筈じゃ無かった。━━
悪夢を忘れる位の、もっと、楽しい刻になる筈だった。余計に惨めさが襲う。
意地を張った後悔。
一見平穏な金陵だが、数多の朝臣を相手に、政局を動かすとなると決して穏やかではない。
何か他の目論見があるのか、またはその者が愚鈍過ぎるのか、思い通りには動かない。
政局の先を察して動く、気心の知れた寵臣は、体の不調で隠遁してしまった。
━━私は小殊に八つ当たりをしたのだ。
小殊さえどうにもならぬ事に、私はむくれて、、、。━━
次の瞬間、そっと皇帝の胸に、手を置く者がいた。
そして皇帝の眉間に柔らかな感触。
皇帝がゆっくりと目を開くと、梅長蘇が皇帝の不安を引き受けるかのように、優しくそっと口付けをしていた。
━━私から離れずに、、居てくれたのだ。
つまらぬ八つ当たりをする私を、小殊は受け入れていた。━━
涙が溢れてくるのを、ただじっと堪えていた。
薄明かりの中、長蘇の顔を見れば、ただただ、『良いのだそれで』と言っているかのように、優しく微笑んでいる。
━━あ、、、、。━━
もう堪える事など出来ず、長蘇に背を向けて、そっと目頭を押さえる。
するとつかさず、長蘇が夜具を捲る。
「ほら、景琰、私にも枕を譲れ。」
皇帝が背を向けたため、空いた所に、長蘇は潜り込もうとしていた。
「全く、、私を退かすのは、小殊くらいなものだな。」
「ふふふ、、。」
幾らか皇帝が場所を空けると、隣にするりと入ってきた。
「景琰は演技が下手だからな。ちゃんと寝不足にならねば、静伯母上の耳まで届くまい?。私が、お前の夜更かしに、付き合ってやる。」
「ふふ、、並んで小殊と横になったのなぞ、いつ以来か、、、。」
━━本当に、いつだったろう、、、、。
よく野駆けして、疲れて泉の草原で、二人、倒れるように横になった。
、、、、、懐かしい、、、。
今では野駆けすら、中々出来ぬ。禁軍を大勢引き連れて行かねばならぬからな。煩わしくなったものだ。━━
「景琰、、、大丈夫だ、、。」
長蘇はそう言うと、皇帝の指を絡めるように手を合わせてきた。
ふと横を向くと、昔、そう言って、皇帝の心配事を吹き飛ばす、林殊の変わらぬ笑顔があった。
梅長蘇の姿でも林殊の姿でも、変わらず傍らで支え続ける魂の姿だった。
「、、、ん。」
ぎゅっと合わせた手に力がこもる。
━━手を握って、二人、頭を並べたのは、いつの事だったろう、、。
、、、あれは幼い頃の、、。
何があろうと、私は小殊さえ傍にいてくれたなら、越えていける。そうなのだ昔から。━━
友と二人、追憶を巡り、未来を語る。
夜話はとてもとても、一夜(ひとよ)では尽せない。
─────────糸冬─────────
作品名:亜 金陵奇譚 弐 ─夜話─ 作家名:古槍ノ標