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自分らしく
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彼方から ― 幕間2 ― & 第三部の最初だけ

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 ――あの姿のおれさえも、受け入れてくれるというのか……

 胸の奥が――体の芯が熱くなるような感覚を覚える。
 ノリコが怪我をしていなければ、寝てしまっていなければ、今、この感情に任せて、抱き締めてしまっていたかもしれない。 

 『もう絶対、置いてったりしないでね』
 ――言われなくとも、もう二度と、置いて行ったりなどしない……

 ナーダの城、あの牢屋の中で、ノリコの安否を想い、ただ後悔に打ちひしがれたあの夜……
 あんな想いをするのは、二度とご免だった。

 何度も……何度も、彼女の言葉が頭の中で繰り返される。
 彼女の白い肌が、唇の感触が、繰り返される言葉と共に、蘇っては消えてゆく。
 この想いをどうしたらいいのか――ノリコにどう応えたらいいのかも分からない。
 ただ、持て余すばかりだ。

 イザークは恥ずかしさを抑えるかのように、湧き上がる彼女への想いを、同時に頭を擡げてきた『不安』と共に抱き締めるかのように、俯せのまま、組んだ腕の中に顔を埋めて行った。

   *************

「生贄です」
 艶のある女性の声が、石造りの神殿のような建物の中、薄暗く、篝火の炎に照らされた室内に響いている。
「黙面様は、生贄を求めてこられました」
 形の良い唇から平然と放たれた言葉は、恐ろしくも冷たい言葉。
 半ば、顔を隠すように被られたフード。
 その陰から見える横顔は、とても美しいものだった。
「それによって、黙面様の力はさらに強大なものとなり、ひいては我らにお与えくださる力もまた、これ以上に……」
 室内には池があり、女性はその水面を見詰め、後ろに控える連中にそう告げた。
「そ……その生贄とは?」
 身なりの良い男が、女性の言葉に反応し、少し興奮しながら訊ねている。
 その男の後ろには、揃いの軍服を着た、数人の男達……
「ええ、見えます。黙面様が見せてくださいます」
 女性はどうやら占者のようだ。
 黙面様とやらの託宣を受け、それを、地位のある者に伝えているのだろう。
「ケガを負い、このグゼナに入ってきた、僅かに異国なまりの残る若い娘……」
 両の手を、祈りを捧げるように組み、黙面様が見せてくれているであろう映像を思い浮かべるかのように、顔を上向かせる。
「ノリコと呼ばれる、娘の姿が……」
 国の兵士を従えるほどの身分を持った者に――グゼナの国の重鎮であろう人物に、彼女は、生贄として求められた娘の名を告げた。

 ノリコの名を…………

   ***************

 月が、西に傾き始めたころ――
 皆が寝静まる中、起き上がる人影が、小さくなり始めた焚火の炎に照らされている。
 人影は自身が掛けていた毛布を手に、足音一つ立てることなく、眠る二人の元へ……
 イザークとノリコの元へと歩き出した。
「寝てしまったのね……やはり、疲れが出たのかしらね……」
 ノリコの傍らで、俯せのまま寝息を立てているイザーク。
 そう言って、温かい微笑みを向けているのはエイジュだった。
 彼女はイザークを起こさぬよう静かに膝を着くと、手にした毛布をふわりと、体に掛けてやる。
 そっと、様子を窺い、イザークの寝息に変化がないのを確かめると、来た時と同じように足音一つ立てずに、自分の寝床へと戻っていった。
 彼女はそのまま休むことなく、夜具を片し、荷物を持つと火の傍へ。
 纏めて置かれている薪の一部を火に焼べると、そのまま座り込み、書誌と携帯用のペンを取り出して、何やら書き込み始めた。

 虫の音が、爆ぜる薪の音に交じり、聴こえてくる。
 星の流れる気配さえ捉えられそうな……静かな――とても静かな夜。
 短い文を書いては少し考えこみ、そしてまた、短く書き込む。
 エイジュはその作業を繰り返していた。

          ***

 ――……?
 小さな、虫の音とは違う音を耳に捉え、アゴルはふと、眼を覚ました。
 音のした方へと、眼を向ける。
 焚火の前で書誌を手に、背中を丸めて座るエイジュの姿がぼんやりと、視界に入った。

 ――眠らないのか……?

 よく見れば、書誌にペンを奔らせている。
 何かを書き込んでいる様子に、アゴルはふと、彼女に持っていた疑念を、思い起こした。
 ぴったりと体を寄せて眠るジーナを起こさぬように、枕にされている腕をそっと外す。
 起きなかったのを確かめ、毛布を掛け直してやると、アゴルはエイジュの方へと歩み寄っていった。

「起こしてしまったかしら……ご免なさいね」
 こちらに背中を向けたまま、振り向きもせずに、エイジュが先に声を掛けてくる。
「いや……あんたのせいじゃない」
 一瞬、足を止めるも、アゴルはそのまま、エイジュの傍らへと腰を下ろした。
「それよりも――おれの気配に、気が付いていたのか……?」
 別に――気配を消して近づいたつもりはなかったが、それでも、背中を向けている人間に悟られてしまうほどではないはずだ。

 ――やはり、能力者だから……か?
 ――それとも……スパイ故に、いつも気を張って――いる為か……

 つい、そう、勘ぐってしまう。
 エイジュはフッと笑みを向けると、火の傍に置いてあったポットに手を掛け、
「飲む?」
 と訊いてくる。
「……そうだな、少し――貰おうか」
 少しの躊躇いの後、アゴルは同じく、焚火の傍らに置いてあった自分のカップを手に取り、エイジュの方へと差し出した。
「野営の時はいつもよりも余計に、『気』を張っているものだから……」
 差し出されたカップにお茶を注ぎながら、エイジュはそう言って、自分のカップにも注ぎ入れる。

 ――まぁ、確かに……それだけのこと、かも知れないな

 それはそれで、納得できるものはある。
「おれも同じだ。ジーナがいる……耳慣れない音にはつい、敏感に反応してしまってな……」
 自分も、似たようなものだからだ。
 そう思い、注いで貰ったお茶を一口啜りながら、アゴルは笑みを見せた。
「あら……」
 途端にエイジュは眉を顰め、左手に持ったペンを見やりながら、
「じゃあ、やはりあたしが、起こしてしまったのね――申し訳なかったわ……」
 と、本当に済まなそうにして、謝ってきた。

「あ」
 ――しまった!
 ――今の言い方では、エイジュのせいだと言っているようなものじゃないか……
 ――いや、確かにそうなんだが……しかし、『あんたのせいじゃない』とか言っておいて、これでは……

 気遣って言葉を選んだ意味など、まるで――ない。
「いや! そういうつもりでは! その……済まない」 
 自らの失言に、アゴルは少し顔を赤らめ、焦ったように謝っていた。
 
「フフッ……冗談よ」
 その顔を見て思わず、クスクスと小さく、まだ寝ている面々に気を遣い、声を殺して笑うエイジュ。
「……そうか、だったら――良いんだ」
 笑うエイジュに安堵したように――それでも少し反省はしているのだろう、アゴルは片眉を顰めた笑みを見せる。
 一頻り笑い終えた後、エイジュは乾いた喉を潤すようにお茶を一口啜り、笑みを浮かべたままアゴルを一瞥するとまた、ペンを奔らせ始めた。