果てない夜 儚い朝
「これはこれは。名探偵もいらっしゃったのですね」
警報装置がうるさいくらいに警戒音を発している。あともう少しすれば中森が制服の警察官を総動員させ、この部屋の扉を破る勢いで飛び込んでくるだろうと新一は予想しながら、それまでに目の前にいる相手をどうやって捕まえようかと画策し始めた。
あまり時間はない。
「まあ、おめーとは因縁があるからよ。さっさとケリつけようと思ってな」
「そうですか。だけど、私としてはもっと貴方に追いかけて欲しいんですがね。名探偵が私だけを見てくれるのは気分がいい」
「それも今日で終わりかもな」
瞳に宿るのは真剣さを帯びた色。狩る者と狩られる者の対峙。お互いを写す瞳だけが真実を物語っている。
どちらも真剣で、どちらも本気だと理解しているからこそこの状況を十分に満喫しようと、キッドは新一に向け口角をあげながら意味ありげに微笑んだ。
「さぁ、それはどうでしょうか?」
不敵な笑みの真意を探ろうとしても、新一にはまったく読めなかった。
その事をキッドはすぐに察知して、「あまりぐずぐずしていたら、警部に二人の時間を邪魔されてしまいますね」と、部屋の窓へゆっくりと足を進めていく。鍵が掛かっているのはもちろん解っていたし、そしてそれを破る方法ももちろん知識として調べ上げている。後は実行に移すだけ。
厳重に宝石を保管してある場所というのは防犯機能が万全に出来ている為、人は何重ものチェックを怠る時がある。この美術館も例に漏れず、セキュリティのチェックは全てパソコンで制御されており、人はそれに安心感を抱いていた。
けれど、それが盲点だと理解しているのはどれだけいるだろうか。
プログラムをほんの少し書き換えるだけで、密室は簡単に解除されるのだ。
新一はキッドの動きを目で追っていたが、やがて相手が携帯ほどの大きさのリモコンを取り出すのを捉えてはっとした。それが解除キィだと瞬時に判断し、慌てて駆け寄ろうとしたが向こうが投げつけた煙幕によって視界を遮られてしまう。どうしてもっと早く動かなかったのかと後悔しても遅い。カチッと音が聞こえたかと思うと、窓がバンと大きな音をたてて開かれた。
流れ込んでくる冷たい風に煙幕が少しずつ薄れていく。視界がやっとひらけ、新一は慌てて窓辺に駆け寄ったけれど、そこにキッドの姿はなかった。
見上げた先には、ハングライダーを使って闇夜に紛れていく怪盗の姿。
しかし、今からヘリに乗り込んだとしても遅いだろう。
「くそっ」
警備を強化した所で、大元を握られていてはどうしようもない。探偵として警視庁に目を掛けられていても、それはあくまでも殺人事件を扱うセクションのみ。目暮のいる捜査一課では新一の意見を重視してくれるが、中森が所属するセクションでは、新一の意見なんて耳を傾けてももらえなかった。
セキュリティに関して、もっと慎重になるべきだったと悔やんだ所でどうしようもない。とりあえず微かな望みを捨てずに、今はキッドを追いかける事に専念しようとドアに向かおうとした時、渇いた銃声が新一の鼓膜を震わせた。
相変わらず鳴り響いている警戒音に掻き消される事なく、音質が違うそれを新一の耳はしっかりと拾い上げた。
(まさか……っ)
それは時に人を殺めるものだというのを瞬時に理解する。
のろのろとした足取りでもう一度窓辺に向かい、新一は微かに身を乗り出すと闇に染まった空をじっと睨み続けた。すでにキッドの姿はない。またいつもの様に逃げられたのだと、そう言い聞かせて悔しがろうとしても、不安の色が濃く胸を覆って息苦しくなる。
「お前を捕まえるのは俺だろ……っ」
……人の許可なしにくたばるんじゃねぇ……っ。
きつく唇を噛みしめ、浮かんだ最悪の結果を脳裏から振り払う。以前も似た事があったが、あの時は生きていた。だから、きっと今回もそうなんだと半ば願いながら、新一はキッドの不敵な笑みを思い出していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お邪魔しますっと」
「……そこは玄関じゃねぇぞ、快斗」
真夜中の訪問者。しかも、二階の窓から入ってくるなんて怪しい事この上ないのだが、すでに常習犯になっている相手なだけに何度も同じ台詞を繰り返すのもいい加減面倒くさくなり、軽く文句を突きつけるものの、新一から発せられる言葉の威力は微々たるものでしかない。
結局、本気で怒るなんて気持ちは微塵もないのだ。
新一はいそいそと靴紐を解いている相手を眺めながら、微かに眉を顰めた。読んでいた本に栞を挟んで枕元にぽんと置く。
安堵感で脱力しそうになるのをどうにか押し留め、なるべく平常心を装いながら相手をじっと観察し始めた。
「まだ起きてたのかよ、新一。夜更かしはお肌の大敵だぜー。寝不足で目の下にでっかいクマでも作った日にゃあ、ダンナが心配すんじゃねーの?」
「明日は日曜で、服部は夕方からしか顔出さないから平気だ」
「じゃあ、それまで一人淋しく過ごす新一と二人っきりー。奥さん、俺と浮気しません?」
「バーロ、するわけねぇだろ。それに、お前だって本命がいるじゃねーか。最近会ってないみたいだし、淋しいのはむしろそっちの方じゃないのか?」
学部が違うというのが大きな要因であるが、それよりも大きな原因がある。
快斗のからかいも、新一にはにべもなく落とされてしまう。しかも、意味有り気に口角を上げてみせる表情に、つくづく新一の性格が表れているなと内心微苦笑を浮かばせた。解っているくせに、敢えて彎曲に質問してくる辺りが新一らしい。
新一が会話に挙げた相手は、高校の時の同級生でもあり目下怪盗の時にはライバル視されている相手。
「淋しい? そんなもん少しも思っちゃいねーっての。それに、あいつが追いかけてるのは俺じゃないしな」
「まあ、今のお前じゃない事は確かだけどな」
『今』の所にイントネーションをつけた新一は、そっと立ち上がると快斗の傍に近寄っていく。
月明かりに照らされた快斗の顔と自分の顔はひとつひとつのディテイルが似すぎていて、他人の空似で片付けられる範囲を超えている。二人を並べてみたら、きっと双子だと勘違いする者もいるだろう。
けれど、見た目がどんなに同じだとしても、纏っている雰囲気がまったく異なっていた。
快斗は氷の様に冷たい感情をその胸の内に秘め、反対に新一は触れたら熱い陽炎を胸に巣くわせている。安易に触れたらどちらもただじゃ済まない。
それでも、そんな鋭利さを孕んだ空気を笑顔で緩和させてしまう辺りはやはり似たもの同士なのかもな……と、新一は口角を微かに上げる。
「それってどういう意味?」
「それぐらい自分で考えてみろよ」
「なんだよそれー」
「どこまではぐらかせるだろうな。あいつだって名探偵と称されてるから、案外辿り着くのは時間の問題かもしれねぇぞ」
すっと伸ばされた手がシャツ越しの快斗の肩口を掴む。
僅かに体が竦み、次の瞬間には神経を刺すような痛みが肩口から広がっていった。ポーカーフェイスを貫こうとしても数時間前に受けた傷はまだ生々しく、快斗をじわじわと痛めつけていく。新一は軽く触れているだけなのに、それでも苛む痛みは次第に強さを増して快斗は小さく呻いた。
「……っ」
警報装置がうるさいくらいに警戒音を発している。あともう少しすれば中森が制服の警察官を総動員させ、この部屋の扉を破る勢いで飛び込んでくるだろうと新一は予想しながら、それまでに目の前にいる相手をどうやって捕まえようかと画策し始めた。
あまり時間はない。
「まあ、おめーとは因縁があるからよ。さっさとケリつけようと思ってな」
「そうですか。だけど、私としてはもっと貴方に追いかけて欲しいんですがね。名探偵が私だけを見てくれるのは気分がいい」
「それも今日で終わりかもな」
瞳に宿るのは真剣さを帯びた色。狩る者と狩られる者の対峙。お互いを写す瞳だけが真実を物語っている。
どちらも真剣で、どちらも本気だと理解しているからこそこの状況を十分に満喫しようと、キッドは新一に向け口角をあげながら意味ありげに微笑んだ。
「さぁ、それはどうでしょうか?」
不敵な笑みの真意を探ろうとしても、新一にはまったく読めなかった。
その事をキッドはすぐに察知して、「あまりぐずぐずしていたら、警部に二人の時間を邪魔されてしまいますね」と、部屋の窓へゆっくりと足を進めていく。鍵が掛かっているのはもちろん解っていたし、そしてそれを破る方法ももちろん知識として調べ上げている。後は実行に移すだけ。
厳重に宝石を保管してある場所というのは防犯機能が万全に出来ている為、人は何重ものチェックを怠る時がある。この美術館も例に漏れず、セキュリティのチェックは全てパソコンで制御されており、人はそれに安心感を抱いていた。
けれど、それが盲点だと理解しているのはどれだけいるだろうか。
プログラムをほんの少し書き換えるだけで、密室は簡単に解除されるのだ。
新一はキッドの動きを目で追っていたが、やがて相手が携帯ほどの大きさのリモコンを取り出すのを捉えてはっとした。それが解除キィだと瞬時に判断し、慌てて駆け寄ろうとしたが向こうが投げつけた煙幕によって視界を遮られてしまう。どうしてもっと早く動かなかったのかと後悔しても遅い。カチッと音が聞こえたかと思うと、窓がバンと大きな音をたてて開かれた。
流れ込んでくる冷たい風に煙幕が少しずつ薄れていく。視界がやっとひらけ、新一は慌てて窓辺に駆け寄ったけれど、そこにキッドの姿はなかった。
見上げた先には、ハングライダーを使って闇夜に紛れていく怪盗の姿。
しかし、今からヘリに乗り込んだとしても遅いだろう。
「くそっ」
警備を強化した所で、大元を握られていてはどうしようもない。探偵として警視庁に目を掛けられていても、それはあくまでも殺人事件を扱うセクションのみ。目暮のいる捜査一課では新一の意見を重視してくれるが、中森が所属するセクションでは、新一の意見なんて耳を傾けてももらえなかった。
セキュリティに関して、もっと慎重になるべきだったと悔やんだ所でどうしようもない。とりあえず微かな望みを捨てずに、今はキッドを追いかける事に専念しようとドアに向かおうとした時、渇いた銃声が新一の鼓膜を震わせた。
相変わらず鳴り響いている警戒音に掻き消される事なく、音質が違うそれを新一の耳はしっかりと拾い上げた。
(まさか……っ)
それは時に人を殺めるものだというのを瞬時に理解する。
のろのろとした足取りでもう一度窓辺に向かい、新一は微かに身を乗り出すと闇に染まった空をじっと睨み続けた。すでにキッドの姿はない。またいつもの様に逃げられたのだと、そう言い聞かせて悔しがろうとしても、不安の色が濃く胸を覆って息苦しくなる。
「お前を捕まえるのは俺だろ……っ」
……人の許可なしにくたばるんじゃねぇ……っ。
きつく唇を噛みしめ、浮かんだ最悪の結果を脳裏から振り払う。以前も似た事があったが、あの時は生きていた。だから、きっと今回もそうなんだと半ば願いながら、新一はキッドの不敵な笑みを思い出していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お邪魔しますっと」
「……そこは玄関じゃねぇぞ、快斗」
真夜中の訪問者。しかも、二階の窓から入ってくるなんて怪しい事この上ないのだが、すでに常習犯になっている相手なだけに何度も同じ台詞を繰り返すのもいい加減面倒くさくなり、軽く文句を突きつけるものの、新一から発せられる言葉の威力は微々たるものでしかない。
結局、本気で怒るなんて気持ちは微塵もないのだ。
新一はいそいそと靴紐を解いている相手を眺めながら、微かに眉を顰めた。読んでいた本に栞を挟んで枕元にぽんと置く。
安堵感で脱力しそうになるのをどうにか押し留め、なるべく平常心を装いながら相手をじっと観察し始めた。
「まだ起きてたのかよ、新一。夜更かしはお肌の大敵だぜー。寝不足で目の下にでっかいクマでも作った日にゃあ、ダンナが心配すんじゃねーの?」
「明日は日曜で、服部は夕方からしか顔出さないから平気だ」
「じゃあ、それまで一人淋しく過ごす新一と二人っきりー。奥さん、俺と浮気しません?」
「バーロ、するわけねぇだろ。それに、お前だって本命がいるじゃねーか。最近会ってないみたいだし、淋しいのはむしろそっちの方じゃないのか?」
学部が違うというのが大きな要因であるが、それよりも大きな原因がある。
快斗のからかいも、新一にはにべもなく落とされてしまう。しかも、意味有り気に口角を上げてみせる表情に、つくづく新一の性格が表れているなと内心微苦笑を浮かばせた。解っているくせに、敢えて彎曲に質問してくる辺りが新一らしい。
新一が会話に挙げた相手は、高校の時の同級生でもあり目下怪盗の時にはライバル視されている相手。
「淋しい? そんなもん少しも思っちゃいねーっての。それに、あいつが追いかけてるのは俺じゃないしな」
「まあ、今のお前じゃない事は確かだけどな」
『今』の所にイントネーションをつけた新一は、そっと立ち上がると快斗の傍に近寄っていく。
月明かりに照らされた快斗の顔と自分の顔はひとつひとつのディテイルが似すぎていて、他人の空似で片付けられる範囲を超えている。二人を並べてみたら、きっと双子だと勘違いする者もいるだろう。
けれど、見た目がどんなに同じだとしても、纏っている雰囲気がまったく異なっていた。
快斗は氷の様に冷たい感情をその胸の内に秘め、反対に新一は触れたら熱い陽炎を胸に巣くわせている。安易に触れたらどちらもただじゃ済まない。
それでも、そんな鋭利さを孕んだ空気を笑顔で緩和させてしまう辺りはやはり似たもの同士なのかもな……と、新一は口角を微かに上げる。
「それってどういう意味?」
「それぐらい自分で考えてみろよ」
「なんだよそれー」
「どこまではぐらかせるだろうな。あいつだって名探偵と称されてるから、案外辿り着くのは時間の問題かもしれねぇぞ」
すっと伸ばされた手がシャツ越しの快斗の肩口を掴む。
僅かに体が竦み、次の瞬間には神経を刺すような痛みが肩口から広がっていった。ポーカーフェイスを貫こうとしても数時間前に受けた傷はまだ生々しく、快斗をじわじわと痛めつけていく。新一は軽く触れているだけなのに、それでも苛む痛みは次第に強さを増して快斗は小さく呻いた。
「……っ」