CoC:バートンライト奇譚 『猿夢』 上
一頭一頭僅差はあれ、それぞれの背には、ベルトで固定された恐ろしい拷問機械がぎらついている。そして、その体は、ところどころが金属の部品で置換されている。いわゆるサイボーグに近い形態だ。
だが、細かに観察している暇はなかった。
(今度は斉藤君が『えぐりだし』の犠牲となるというのか……!?)
「斉藤! なんでオマエがココにいるんだよ!」
ところが猿の口から、拍子抜けするような声が飛び出した。
男子更衣室と女子更衣室を間違えた友人を、叱り飛ばすかのような調子である。
流れるような連携で、猿たちは、謎の呪縛に囚われた斉藤を抱えあげる。
その振る舞いひとつで分かる。どうやら猿は、斉藤を完全に仲間だと思いこんでいる。
「お、おお!? 皆、ありがとう」
ウキー! ウキー! キーッ!!
バリツが唖然として見守る中、猿達が何かを口々にわめき始める。
バリツやタンのことは眼中にないといった様子だ。
類人猿に相違ないうなり声や、鳴き声の喧騒が飛び交う中、バリツの耳は言語を捉える。
「イヤイヤ、何でコイツまでコッチにいるんだよ。どうすんだ!」
「マズいぞ! アノ方に取り込まれちまったんならアトは――」
「聞いてくれよ、皆」
斉藤が猿達に訴える。
「何か知らないけど、気づいたら巻き込まれてたんだよー」
「イヤイヤ、斉藤! オマエに例の話を吹き込んだヤツがいたはずだ! オマエはソレで取り込まれたんだよ」
「まさかオマエが例の話を聞くコトになるとは! やはり人間ドモの世界はロクでもないぜ! 腐ってやがる!」
例の話、とは都市伝説のことなのか?
それに……「あの方に取り込まれた」と言ったか? どういうことだ?
バリツの脳裏を数々の疑問が掠めるが、思考の猶予はなかった。
「オレたちの詰め所には連れてくワケにはいかない!」
「とりあえず、コノ電車の先まで送るしかないんじゃないか?」
「やむを得ぬ! ソウだな」
「ソウしよう!」
猿達は斉藤を抱えあげたまま、狭い通路を、前へと機用に進んでいく。
まるで流れるかのように。
「待ってくれ皆、俺のツレがいるんだ!」
「ナニ言ってんだ斉藤! オマエは猿だ!」
「ナンてことだ、斉藤の奴、人間ドモに洗脳されちまったのか!」
「やはり人間ドモはロクでもないな! 生かしてはおけん!」
慌しく喚き散らしながら、彼らは車両のドアの先へと消えていった。
その声はすぐに聞こえなくなった。
呆然とする中、代わりと言わんばかりに金切り声が響く。
男性の一つ前の座席にいた女性のものであろう。
バリツは顔をしかめ、ミラーから目を逸らす。
聴覚は強制参加だが、視覚まで「えぐりだし」のショーに付き合わせる必要はない。
「おい、タン君! しっかりしろ!」
鼓膜を破らんばかりの絶叫の中、バリツは隣の助手に呼びかける。
反応はない――。
気迫をこめて、もう一度。
「タン!!!! アシュラフ君だ!!!!」
「は、え!? アシュラフちゃん!? 殺さないで!」
やぶれかぶれで例の狂信美少女の名を出したわけだが、響く絶叫の中でも目覚めなかったのはどういうことだったのか。もしかしてワザとじゃなかろうか。
ともあれ、今は詮索している時ではない。
「寝ぼけている場合じゃないぞ、タン君、念じるんだ」
「へ? 何を?」
「この夢よ醒めろ! ――とだ! このままでは私達がターゲットになるぞ!」
「いやいや、所長、もう夢から醒めてますやん――ってああ! 鏡! あのミラー! 後ろで人が殺されとるやんー!」
「まだ寝ぼけてたのか! そうなのだよ! まだ悪夢だ! さあ、とっとと目覚め――」
その時であった。
突然の、強烈な浮遊感。
自身を取り巻いていた世界が、一瞬にして水没したかのような感覚。
景色が暗転し、刹那、何も見えなくなる。
(なん――だ!?)
状況についていけなかったが、自身の体が自由になったことを感じた。
だが、足元に大地はなかった。
自身の体が、空中に浮かんでいる!
落下の恐怖に襲われ、やたらめったらに四肢をバタつかせる。
だが――その気配はない。
無重力の空間に放り出されたとでもいうのだろうか?
(私は、夢から抜け出せたのか……? いや、これは……)
ふと見やると、自身の眼下に、深淵が――先ほどまで車窓からしか伺えなかった景色が広がっていた。
暗黒の世界の中、一台の電車がゆっくりと進んでいた。虚空の中に敷かれた、無限にも思える、か細い線路を。
いかなる事象によるものか――その天上が透け、中の様子が伺えた。
その車内は、先ほどまで自分が乗っていた電車に相違なかった。
後方の座席3つが、血の海に染まっていた。
その内2つは、「いけづくり」「えぐりだし」の犠牲者だとして――自身に異変が起こった間に、新たな「停車駅」の犠牲者が生まれたのだろう。
バリツはだんだんと理解してきた――電車からは出れても、悪夢はまだ続いている!
前方に残された、たった一人の乗客は――タンその人だ。
空中にて、バリツはかすかにあのアナウンス音を聴き取った。
「次は~『ひきにく』~『ひきにく』~」
やや離れた距離からでも分かる。気づけばタンタカタンの膝の上に、一頭の猿が乗っているではないか!
子犬めいた細身にいかなる怪力を秘めているというのか。
猿の手には、チェーンソーを4つ重ねたかのような、妙な機械。
その鈍い刃は、大時計の秒針めいて、ゆっくりとタンの脳天に迫る。
(タン君……! タンっ! 目を覚ませ! 目を覚ませ!)
バリツは必死に呼びかけようとするが、声が全く響かない。
呼吸はできるはずなのに、まるで水中で叫んでいるかのようだ。
タンの縮れ毛を、刃が掠めた。
「もうダメや~!!」
(タン君ーーーッ!!!?)
全てが暗闇に包まれた。
電源を引っこ抜かれたテレビのように。
バリツの意識は、途絶えた。
☆『中』に続く
作品名:CoC:バートンライト奇譚 『猿夢』 上 作家名:炬善(ごぜん)