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炬善(ごぜん)
炬善(ごぜん)
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CoC:バートンライト奇譚 『猿夢』 上

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「猿夢」プロローグ




 「尾取村」での怪異から、約一ヶ月後。

 昼下がりのバートンライト邸。その執務室。 
 書類の一つを書き上げ、ふうと一息ついた冒険家教授バリツを、突然の爆発音が襲った。

「はっ!!?」

 衝撃に震えるテーブル。シャンデリア。
 風景画、壷入り観葉植物。飾られた盾と剣。本棚の古典に古文書たち。
 色とりどりのアンティークが、小刻みなダンスを踊る。
 明らかに尋常ではない。

「何事だ!?」

 オフィスチェアから飛び上がり、部屋を飛び出す。
 階段を駆け下りる中、火薬めいた明らかな異臭が鼻腔をつく。

(厨房で、ガス漏れ着火があった、とでもいうのだろうか?)
 
 3階の執務室から1階まで到達し、観音開きのドアを押し開く。
 来客用を兼ねた、食堂と厨房が地続きになったフロア。
 そこは20帖の広さを有するが、立ち込める黒煙は、その全てを覆っている。

 咄嗟に、ハンカチで口周りを抑えるが、火の手は目視できなかった。
 どうやら爆発は一度きりだったらしい。煙も少しずつ薄れていく。

 一面の長テーブルはひっくり返り、椅子も散乱していた。
 絨毯には黒い文様が、波状に焦げ付いている。爆発の痕であろう。

 食堂の奥の厨房。その角の暖炉。
 バリツはそこに、小さな人影を目視した。

 そして全てを悟り、肩をすくめた。

「……何をしている?」

 歩み寄りながら、声をかける。
 そこにいたのは、一人の少女。
 薄れていく煙の中、その銀の長髪が、窓から差し込む昼下がりの陽光に煌く。
 遠目からも明白な輪郭の、黒いゴシック&ロリータファッション。
 謎と脅威に満ちた――小さな狂信者。

「……アシュラフ君」

 ため息をつき、肩を大きくすくめた。

 アシュラフ・ビント・へサーム。
 見目は、小学生とも中学生とも付かない年齢の、神秘的な美少女だ。
 しかし彼女は、その外見に不釣合いな、驚異的な身体能力と、重火器の取り扱い技術を有し、武術経験を有する大の大人二人をも容易く萎縮させてしまう。

 更に、「邪教殺すべし」の信念の元、冒険家教授である自分を何故か(ホント何故だ!?)目の仇にしている。彼女は自らの邸宅に、爆弾やブービートラップをこっそり仕掛け、菓子や食物を物色することを繰り返すのだ。
 
 尤も、今目の前にいる彼女はといえば……
 全身黒い煤だらけでしゃがみこみ、その小さな口で、フランスパンの先端にもぐもぐとかじりついているのであるが。

「今日は何の目的かね? 何故こんなところに……?」

 どこから突っ込めばいいんだ、と内心頭を抱えながらも、問うてみる。

「なひぇといーまひひぁは」
「まずその口のフランスパンを何とかしなさい」

 丸々先端をくわえていたフランスパンを、少女は噛み千切り、
「……何故といいましたか、バートンライト。愚問ですね」
 ごくんと嚥下し、続ける。
「キッチンといえば食物。食物といえば供物。供物といえば邪教。あなたの邪教信仰を暴くのにこれ以上うってつけの場所はないではないですか」

 その美麗な声に乗せられて、狂気に侵された謎理屈が展開されていく。
 いやいやいや、どういうこっちゃね。
 あんぐりと口を空けるバリツを横目に、少女はフランスパンに再度噛り付き始める。なかなかに黒焦げ状態のパンに。

「……そのフランスパン、美味いのかね……」
「実に美味です。良き焼き加減です」
 嘘でしょ……。
「まあ……私のいきつけの逸品だからな」
「罪なる美味。暴食。つまりあなたは邪教徒です」
「ぜったい言いたいだけだよな君……! あー、というか!」

 頭をかきながら、バリツは問う。

「なんで厨房においてあったフランスパンを盗み食いするだけで爆発が起きるんだね?」
「知りません。焼きたてが食べたくて、ちょっとガスの元栓を緩めて、ちょっと銃を一発ぶっ放したら勝手に爆発したのです」
「火を認知したての原人類かー!!!」
「まあ面食らいましたが、爆発が起きたなら起きたで、ついでに邪教徒を葬り去ることもできると考えていたわけです。おや……」

 アシュラフはじーっとこちらを睨みつける。
 そして、腕以外は全く不動のまま。
 懐から、目にも留まらぬ速さで拳銃を取り出し、バリツに突きつける。

「そういえば何であなた生きてるんですか」
「はあああ!??」
「まあ」
 予備動作なしに、拳銃が懐へと引っ込む。まるで手品だ。
「此度は見逃しましょう。人の食事を邪魔しないで下さる? 邪教徒」
「え? は? え……」

 そのまま、種を抱えたハムスターめいて、フランスパンを再度かじりはじめる。
 あの、ここ私の家なんだけど。
 爆発の後片付けすごく面倒くさいんだけど。
 君が味わってるそれ私のフランスパンなんだけど。
 冷蔵庫にイチゴジャムやマーマレードやバターもあるんだけど。 

 ……もはやツッコミが追いつかない。
 頭が痛くなってきた。
 本当になんなのだ、この少女は。

 ……?

(そういえば……)
 こんな状況にも関わらず、バリツの中で一つの疑問が芽生えた。
(そもそも、この少女は一体、何者なのだ?)

「ところで――」

 思わず、声をかける。
 食事中に水を刺されたと感じたらしいアシュラフが、咀嚼を続けるままに、こちらに忌々しげな半目を向ける。

 言葉選びをマズッたら、本当に銃をぶっ放されそうな殺気を覚える。
 ド直球に尋ねるのは、得策ではない。
 となると……。

「そもそも君は、何を信仰しているというのかね?」

 本当は「そもそも君は一体何者なのだなんでそんな身体能力を有しているなんでその見た目で重火器をぶっ放せるそもそもどっからその拳銃や爆弾手に入れたなんで君はパン一斤のためにガス爆発をおこせるのだ」
 ……等云々と、トライアスロン大会記録保持アイドルめいた肺活量を持って、息継ぎなしで早口にまくし立てたいところであった。自分にそんな技能はないけれど。

 だが、それら全てをオブラートに包んだ上で浮かび上がり、自然と口をついたもの――それこそが、その問いかけであった。

 考えてみれば「神」「真なる信仰」などと、かつての探索でもまくし立てていたが、具体的な信仰対象は言わず仕舞いであったのだ。

 アシュラフの、フランスパンを食す手が止まった。
 あたりがしんと、静まり返った気がする。
 違和感が、湧きあがった。
 何かが変だ。

「あの、アシュラフく――」

 絶句し、目を見開いた。
 目の前の少女の、妖艶な笑みを前に。

「知りたいのですか?」

 涼しく、楽しげな響き。
 臓腑に短刀を、ゆっくりと差し込まれるような感覚。

 ゆっくりと少女が立ち上がる。
 コツ、コツと、こちらへと歩みだす。
 じりじりと、詰め寄ってくる。

 バリツは固唾を飲み込んだ。金縛りにあったかのように、動けなかった。
 これは畏敬か? 魅了か? 恐怖か?

 喜怒哀楽(いや、哀はないか)……
 先日の「尾取村」での怪異の経験を主に、彼女の様々な側面を見知ってきたつもりだったが、斯様な体験は異例であった。

 心臓が早鐘のように鳴り響く。