CoC:バートンライト奇譚 『猿夢』 上
目の前の少女は異様なオーラを持って、迫ってくる。
瞬きひとつすら躊躇われた。
笑みを湛えた美貌。その金色の眼から、目を離せなかった。
もしや、自分は――触れては成らない領域に足を踏み入れてしまったのでは?
「おいおい、何や~!?」
場違いな大声。
その声の主は、すぐに食堂の入り口に姿を見せた。
「なんや、また君かぁ! って所長もおるんかい!」
ツナギ姿の大男。黒く短いちぢれ毛。
バリツの助手――タン・タカタンだ。
こちらを刺し殺さんばかりに距離を詰めていたアシュラフが、小さく舌打ちをし、そっと後ずさった。
バリツは大きく息を付いた。
ほっとしたような、掴みかかった真理に逃げられたような心持であった。
いやむしろ……自分が捕まえられていた側だったのであろうか。
「相変わらずの騒々しさね」
平時のポーカーフェイスに戻ったアシュラフは闖入者に言葉を投げかける。
「お久しぶりですね。斉藤たかお」
「名前全くちゃうやん! ワイはタン! タン・タカタンや!」
「機動戦士みたいなおこがましい名前ですね。今日からあなたは『タ』です」
「なんでや! ……あー、っていうかこれどういう状況やねん。アシュラフちゃん、また何かやらかしたん?」
タンは、食堂のこの惨状を見渡しながら、呆れ返っている。無理もないことだ。
バリツは頭をかきながら、タンに投げかける。
「ああ……君からも何かいってやってくれないか? タン君」
「私のせいではありませんよ。この自称紳士がガス爆発の実験をしてただけです」
「なにやってんねん所長」
「さらっと嘘をつくなー! それからタン君も手の平を返すなー!」
アシュラフは、パンを最後にひとかじりすると、残りを抱えたまま、てくてくと歩き出す。
歩みの先には、庭園と直結する、今や割れたテラス窓。
どうやら去るつもりのようだ。
「アシュラフ君――」
バリツは呼び止めるが、自分でも何が言いたかったのか、言葉に詰まる。
とにかく情報量が多い。
アシュラフは大の大人二人を横目に、
「また会いましょう。邪教徒の皆さん」
無表情に言い放つと、足早に去ってしまった。
仄かに煌く銀髪と、小さな黒衣の後ろ姿は、まもなく庭園の繁みに隠れ、見えなくなってしまった。
「……やれやれ」
バリツはため息をついた。
考えてみれば、「尾取村」での一件が起こる前は、彼女は姿を見せずに罠や爆弾を設置していくだけであった。
しかしあの一件を受けてか、今の彼女は以前と比べてより堂々と……無遠慮に姿を見せている印象を受ける。
それが何を意味するのかはわからない。
ともあれ……。
「まるで天災のような子だ。毎度後片付けが大変なことだ……」
バリツはため息をついた。
営繕を担当するタンは、あたりを見渡す。
「所長、これ全部片付けないとアカン?」
「あー……恐縮だが。急ぎではないがね」
「えー、ヤダ」
「即答かね」
「冗談やで。あの子がらみについてはまあしゃーない」
「かたじけない」
「そんなわけで、ボーナスちょうだいな」
「あのさあ……」
「あ、ところでな所長」
タンが懐から取り出した一通の封筒を、バリツは受け取る。
「食事の誘いみたいやで。ポストに入っとった」
スマホやSNSの発達した現代にはやや古風な手紙。
奇異なことではあるが、バリツはすぐに差出人を理解した。
「芥川君か」
★続
作品名:CoC:バートンライト奇譚 『猿夢』 上 作家名:炬善(ごぜん)