CoC:バートンライト奇譚 『猿夢』 上
数日後――。
晴れ渡る空の昼下がり。都内某所。
バリツとタンは、とある喫茶店を訪れていた。
木材を基調とした、老舗特有のシックな内装。
店内は、古時計やモノクロの風景写真でささやかな装飾が施され、暖かな暖色を放つランプが、ノスタルジックな雰囲気を醸し出している。
教授とその助手は、三人の男と同じ丸テーブルを囲んでいた。
その一人は、借り上げた短髪に、きりりと引き締まった顔の美青年だ。
オレンジの開襟シャツ越しにも、その屈強な体格が伺える。
「いや~それにしても、あえて嬉しいぜ! バリツ。タン」
「全くや。お前さんも元気そうやな」
「ああ。壮健で何よりだ。
その気さくな語りかけを受けて、バリツとタンは笑顔を浮べる。
「斉藤君。以前会ったときは甚平だったが、その服も似合っているな」
「そうか? ありがとよ」
斉藤貴志。
頭に自作の壷を被って人と会話することさえ躊躇わない、独特なセンスの陶芸家。
先日の「尾取村」での怪異を共に乗り越えた一人だった。
その一件の後も、バリツは斉藤とSNSで繋がり、時折やりとりを交わしていた。
県外で行われた彼の個展にはるばる足を運んだことも、記憶に新しかった。
「しかし思いなしか――」
バリツはふと気づいた。
一見元気な斉藤であったが、どこかその表情には疲れが伺えた。
「疲れていないか? 寝不足か何かかね?」
「ん、ああ。まあそんなところか。ここんとこ奇妙な夢を見て、寝てる間も仕事をしているような……」
「仕事熱心なことやなあ。俺だってこの所長に薄給でこき使われてるけどなあ」
「今度君の給料を上げる方向を考えていたが、やる気が失せてきたぞタン君」
「何やて!?」
「まあ、俺の体調は気にすることはないのだが――」
紅茶のカップを片手に、斉藤は残りの二人を見やる。
「ところで、おふた方とは初対面でしたか」
同じテーブルで、三人のやりとりを見守っていた男二人。
彼らは尾取村の怪異での関係者ではなく、珍しい顔であった。
片や、中東風の被り物を着用し――顔の右半分の大きな古傷が目を引く青年。
そして、古びたスーツをだらしなく着崩した、やせぎすな男。
「お初お目にかかりやすな。へへへ」
やせぎすな男が下卑た笑みを浮べる。
その前歯は黒ずみ、一部が欠け、不摂生な生活態度が伺えた。
「塵芥川と申すもんです」
「……今なんと?」
「彼――芥川君のペンネームだ」
バリツが斉藤に解説する。
塵芥川。本名、芥川寅次。
バリツの古い学友であり、オカルト系雑誌記者だ。
33歳のバリツとほぼ同い年ではあるが、若々しさはなく、むしろ「中年」と呼ばれても違和感がないような風貌であった。
「以前会った時も思ったが」バリツは旧友に対し、肩を竦める。
「そのペンネームはひょっとしてギャグでやってるのか?」
「へへ、その節はどうも。このペンネームは、知り合いの占い師のお墨付きもあるのさ」
「ぜったいヤバいヤツじゃないか、それ……」
バリツはため息をつく。
数年前に、彼の記事について民俗学的見解を求められた際、コメントを寄稿したことが印象づいていた。
尤も、あまりに荒唐無稽な記事であったため、ロマンがありますなあという意味合いの、無難なコメントに留めたものであったが。
そして、彼のペンネーム「塵芥川」。
彼自身は何故か気に入っている様子であるが、それを名乗る前からの彼を知っている身としては、その名を呼ぶことは躊躇われた。一文字入るか、入らないかの差ではあるのだが。
(……確か、フランシス・ドレーク卿の子孫が、チュパカブラの精霊の導きを経て、北海道中央に黒ひげの財宝を隠したとかなんとかであったか……)
思い返し、くにゃりと眉を寄せながら、コーヒーを喫する。
此度は何の用件なのだろうか?
訝る傍らで、斉藤は紳士的に挨拶を返す。
「塵芥川さん、お初お目にかかる。我が名は斉藤貴志。中卒の陶芸家で、バリツの友人だ」
「中卒ってのいちいちいるんかいな……」
呆れながらも、タンも口を切る。
「ちなみに俺はタン・タカタンや。教授の助手みたいなもんやな。お二人ともよろしく頼んます」
「タンさん、に斉藤さん。へへ、どうも」
「ところで今更だが――」
斉藤が塵芥川に語りかける。
「バリツの助手であるタンはともかく、俺も同席させていただいてよかったので?」
「ええ、構いませんとも。今日のお話はね、むしろ人数は幾分多いほうがありがたいってものでしてね。へへへ」
「左様であったか」
塵芥川の手紙を受け、この喫茶店を訪れていたバリツとタン。
ところが、そもそも手紙で指定された日時は奇しくも、斉藤と久方ぶりに会食する予定と重なってしまっていた。
そこでバリツが掛け合ったところ、斉藤の同席を今回の集いに快諾してもらった、という流れであった。
そしてこの日は、バリツや塵芥川と仕事の縁がある、もう一人が訪れていた。
「どころで、そこのおまいさんは」
タンが残った一人の若者に声を欠ける。
「他所のお国の方かいな? 変なカッコしてるな」
「タン君」
初対面の人物への無遠慮な言い分をバリツは咎めるが、タンの気質については内心は諦め半分であった。
尤も、以前の「尾取村」の一件では、物怖じせず交流を図るその姿勢が、結果としてよい方向に働いていたともいえるが……。
「ん……ああ、俺のことかい」青年は淡々と呟いた。
中東風の被り物の下に着こなした、ホワイトグレーのスーツ。細身ではあるが、長身の体躯。
「バニラ、だよ」
「……バニラやて?」
「個人的な食事の誘いとして、仕事の縁があった塵芥川さんにお呼ばれしたブンヤさ」
「新聞記者か」
斉藤が興味深そうに言うと、青年は頷く。
「察しの通り、出身はアメリカだよ。国籍は日本だけどね」
「もしかして同い年だったりするか? 俺26歳」
「んー……年齢なんてさしたる問題じゃないと思うけど、19歳だよ」
「若いな!」
バリツは33歳。タンは30歳。斉藤は26歳。塵芥川ー―もとい芥川もバリツと同年代。
19歳といえば、この場では最年少ということになる。だが、全くそれを感じさせない。ただものではない気配だ。
「バニラというのは、いわゆるDQNネームという奴か?」
「ちょ、おい、斉藤君まで」
バリツが嗜めると、斉藤は「すまん、冗談が過ぎたか」と片手を上げ謝罪する。
斉藤は初対面の人物には敬語が基本であるが、相手によってはこのように一気に距離が縮まることがあった。
バニラは特に気を悪くした様子もなく、答える。
「まあ気にしないでいいよ。美味そうな名前だろ? そうだなあ……塵芥川さんと同じようなモンだと思って欲しい」
「そうか、バニラよ。よろしく頼む」
「ああ」
青年は続いて、バリツに語りかけてくる。
「久しいね。バリツ教授」
「ああ。バニラ君、久しぶりだな」
「面白い友人に恵まれたようだねえ」
「この流れだとなんだか申し訳ない気もするが、まあそうだネ……」
バニラは新進気鋭の新聞記者だ。
バリツ自身、過去に取材を受けており、面識があった。
作品名:CoC:バートンライト奇譚 『猿夢』 上 作家名:炬善(ごぜん)