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炬善(ごぜん)
炬善(ごぜん)
novelistID. 41661
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CoC:バートンライト奇譚 『猿夢』 中

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4、無人駅と幼女



 バリツの意識は急激に回復した。
 深く暗い水底から、一気に地表へと引き戻されたかのようだ。

 荒い息をつきながら、周囲を見渡そうとして、周囲のまぶしさに目を細める。
 とはいえ、周りが極端に明るかったわけではなかったが――数え切れない時を、暗闇の中で過ごした後のようだった。

 自分が今一度、電車の座席に腰掛けていることに気づいた。
 とはいえ、塵芥川と分かれた後に乗り込んだ電車ではない。
 遊園地のアトラクションめいたそれと同じだ。

(夢から醒めたのではないのか?)

 バリツは戦慄するが、様子があの時とは異なっていることをすぐに把握した。
 体は動き、手と指は思い通りに応えてくれる。
 
 立ち上がり、車内を見渡すと、バラバラの座席に、見覚えのある姿があった。
 怪訝な顔つきで周囲を伺うバニラ。
 青ざめた顔で、座席から立ち上がれずにいるタン。
 それぞれの困惑を胸にした二人と、バリツは視線を交錯させる。

「……斉藤君は?」

 疑問に答えるかのように、通路の突き当たりの扉が開き、前方車両から斉藤が慌しく現れる。

「おーい! 皆、無事だったか?」
「斉藤君! 大丈夫だったのかね?」
「ああ! びっくりしたけどよ。猿達はやはり、俺の友達だったぜ」

「んー、いやちょっと待って。斉藤」
 バニラが斉藤を相手に身構える。
「斉藤。君が猿達に担がれて、電車を抜け出した所を見た。猿に俺たちを売り払おう……なんて魂胆じゃないよね?」

 あの時は姿を視認できなかったが、バリツと同じく、バニラも全容を俯瞰していたようだ。
 バリツは、尾取村での怪異を共に乗り越え、その後も交流を保ってきた斉藤を信頼していた。少なくとも、そうありたいと心の底から願っていた。
 だが、自分達と知り合って間もないバニラの反応も、自然であると認めざるを得なかった。

「あー……まあそう思うのも無理はないのか」
 斉藤は言葉を選んでいたように見えたが、答える。
「猿アンド、お前達。みんなの味方……というのはダメだろうか?」

 バニラがバリツに視線を送ってきたのがわかった。
 その目が言わんとすることは、簡単に分かった。
 ――信頼して良いのかい?
 バリツは頷いた。

「バニラ君。斉藤君は共に怪異を乗り越えた仲だ。信用していい」
「ま、まあ、せやな」
「んー……まあ今は疑っても仕方ないね。すまない斉藤」
「いいってことよ。バリツ、ありがとな」
「気にすることはないさ」

 誰からともなく、一同は車窓に目を遣る。そこに暗黒の深淵はなかった。
 自分達の電車が、駅のホームに停車していることがわかった。
 数刻見るだけでわかるほど、ひどく寂れたホームだ。

 車内から空は見えなかったが、外は仄かに明るかった。
 嫌な静けさを伴った、激しい雷雨の前であるかのように。

「一体どこに来ちまったんや……」
「とにかく皆、降りようぜ」
 語るなり、斉藤は先陣を切るように電車から降りる。
「私も続こう」
「そうだね」
「ま、待ってや。ちょっとまだ例のアレのショックが……」
「無理もないが……ここにいても仕方がないぞ。タン君」

 タンは腰が抜けたかのように立てない様子だったが、バリツは彼を支え、半強制的に立ち上がらせる。
 この電車に乗っていると、とんでもないことが起こる……そんな予感がしたのだ。

 予感に答えるかのように、電車から降りた途端、かのチャイム音。
 そして、車内を流れる不気味なアナウンスが、仕切りのない窓越しにはっきりと聞こえてきた。激しいノイズを伴って。

「次は~……ガガ……おしまい、です。「『おしまい』……ガー……でス」

 最後は大げさなスローモーションめいた、ゾッとするほどの野太い声。
 のっそりと進行した電車が、ホームから離れていくのを見守らずにはいられなかった。

 悪夢のショーを満載した乗り物は離れゆき、後には沈黙が降りる。
 もしあのまま乗っていたら……? 考えるだけでも、おぞましかった。
 
 線路を隔てた先には、反対側のホームはなく、横一面に雑木林が広がっている。
 枝葉は所狭しと、信じがたいほどの広さで生い茂り、線路の上まで覆っていた。空の様子はハッキリとは見えないが、晴れてはいないようだ。
 だが、少なくとも夜ではないように思えた。

 ホーム内は、ところどころに明りが薄く灯り、見渡すことに差し障りはなかった。

 真正面には、駅構内に続く入り口がある。
 昭和の建築を思わせる、木造の概観だ。

「ホントどこやねんここ……」
「どこかの田舎駅だろうか? ……現在地を確認してみよう」

 バリツは懐からスマホを取り出すが、すぐに異変に気づいた。
 電源が落ちている。先ほどまでは、少なくとも半分以上のバッテリーはあったはずなのに、だ。
 作動を試みるも、電源が入る様子はなかった。

「どういうことだ?」
「所長、俺のスマホもダメや」
「また厄介なことになったものだな……斉藤君は?」
「俺はそもそもスマホ忘れてたぜ!」
「あ、うん……」

 ふと見やると、バニラが懐から取り出したのだろうデジタルカメラで、周囲の撮影を開始していた。怪異の証拠を残す、抜かりのない姿だ。
 それにしても、スマホが沈黙している状況下で、何故彼のデジタルカメラの電源は生きているのだろうか――?

「うへえ何や、これ」

 タンの声に振り向くと、彼は雑誌の切れ端のようなものを拾い上げていた。
 それは赤黒い何かに、びっしりと覆われていた。

「血がついてるんか? 87ページっての以外読めへん……」 

 タンは近寄ってきたバニラに、その切れ端を見せる。

「あのさ、おまえさんの写真術で何とかならん?」
「君は何を言っているんだい……」
「タン君、この血を落すのに写真術は関係ないと思うぞ。それにしても周囲にゴミはないのに、その切れ端だけはあるというのは気がかりだな……」
「教授の言うとおりだね。血は乾いているみたいだけど……」
「まあ、よくわかんけど、いちおう持っておくで。バッチイけどさ……」
 
 愚痴りながらも、タンはそれを畳み、ズボンのポケットに挿し込む。
 その時、ホームの壁に向き合っていた斉藤が声を上げる。

「皆、こいつを見てくれ」

 斉藤の指差す先に、ひどく文字の薄れた掲示板があった。

 掲示板の塗装は剥がれ、色合いは、風化しつつある壁との境目があいまいになっていた。斉藤の指摘がなければ、見落としていた可能性もあったかもしれない。

 駅名の看板を見やる……『き さ  ぎ 駅』。
 『さ』と『ぎ』の間は真っ黒に汚れて読めなかったが、どうやら文字が一つ入るようだ。

 すぐ真下に、時刻表と思しき紙。汚れておりほとんど読めなかったが、元より発着する電車はそう多くないようだった。
 そして、唯一、紙の下方にて、読み取れる文字が伺えた。

『普 1 :00』 『さ   :30』

「どういう意味だ……?」
 バリツは首をかしげる。
 これだけでは、いつ、どの電車が来るというのか、わからなかった。
「後で何かのヒントになるかもしれないね」
 言いながらバニラは、一連の掲示物も、カメラに収める。