As you wish / ACT4
「えー、太郎さんってば冷たぁい!こういうのって先払いが普通じゃないですかぁ!」
「黙れネカマ。っていうか先払いで満足されてやる気なくされたら困るんで」
なーんか、いやな予感がするんですよね。つぶやいた真剣な目をした帝人に、茶化していた口を閉じて、臨也は仕方がないなあ、と肩をすくめる。
「俺は君にメロメロだから、しょうがないから後払いで我慢するよ」
「ええ是非そうしてください。ついでにメロメロって死語ですよ」
「ほんとにつれないよねえ!」
俺がこんなに愛を囁いててこんなになびかないのって君くらいだよ!とかなんとかわめきながら、来たばかりの部屋を出ていく臨也を「いってらっしゃい」と見送ったなら、なぜか、とてつもなくうれしそうな顔でへらっと笑って「いってきます」なんて答えるから、ああそうか、臨也的にはいってらっしゃいは嬉しいのか、と脳内メモに描きつける帝人だった。あ、そういえば何も飲み物とか出してなかった。まあいっか。
それにしても嫌な感じ。
帝人は、充電器に刺したままの携帯電話を手に取ると、黄巾賊と言えばですぐに浮かんだ親友当てにメールを作成する。向こうはカラーギャングのことなど隠したがっているし、実際それっぽい話になるとわざとらしいほど話題をそらされるので今まで詮索しなかったが、ほとんどについては臨也から報告を受けていた。
正直、申し訳ないとも思う。だって臨也のせいでつぶされたわけだし。けれども組織を作り上げたのならば、いずれそれが消えることも、常に念頭に置かなくてはならない。それがトップというものではないだろうか?
だから正臣に対して、帝人は必要以上に卑屈にはならない。そう決めた。
「今、ヒマ?・・・とりあえずこのくらいが無難かな」
と、簡素極まりないメールを送信して、パソコンデスクの上に置く。返信が来たらすぐに分かるようにとの配慮だったが、その携帯が正臣からの返信を受信することはなかった。
街は一瞬で人を飲み込む。
そうして帝人の悪い予感は、これ以上ないくらいに当たっていた。
池袋という街は都会だ。
都会には、華やかな大通りが存在する半面、そこから分岐する幾多の細い道があり、そして路地裏には闇が潜む。一昔前ならカラーギャングがたむろっていたその路地を、今少女の手を引いて駆ける影があった。
紀田正臣だ。
やけに響く足音は、少女の物と重なって、さらにその後ろから彼らを追いかける連中の物とも重なって、大きく大きく反響する。
ああ、なんでこんなことに!
舌打ちをして、いっそ返り討ちにしようかと頭の中で計算したが、今手を引いている少女の存在と、敵が手にしていた数多の武器を思い出すとその考えを打ち消した。
今更だった。何もかもが、少年によっては今更の話だった。
半年ほど前までは、正臣は黄色の集団を率いて将軍と呼ばれた男だったけれど、臨也という男がそのすべてを奪いさり、崩して、正臣には何も残らなかった。この大切な少女以外は何も。青と黄色の戦場となった場所に、正臣は臨也のせいで行けなかったのだ。もし自分があの戦場にいたら、共倒れなんてことには絶対にならなかっただろう。けれどもそれは、過ぎた話だ。
ほかならぬ臨也がわざとらしいほどに悪役を演じてくれたおかげで、仲間たちの憎悪が正臣に向くことは結局なかった。自然消滅。それでよかったのかもしれないと、最近になってようやく思い始めていた。
それなのに。
「っ、沙樹、行けるか?」
「大丈夫、だよ!」
そうはいっても、確実に少女のほうが体力がない。あと少し、あとこの路地を抜ければ通りに出る、そうして必死で少女の手を引く正臣に、黒い影が襲いかかったのはその時だった。
「っ!」
持ち前の反射神経でどうにかそれをよけたものの、敵はバタフライナイフをためらいなく正臣ではなく、隣の少女に向けた。
「沙樹!」
狭い路地に、悲鳴のような声が響く。とっさに少女を引き寄せて、かばうように前に出た正臣を、鈍い痛みが襲った。
急速に音が世界から消えていく感覚。後ろにかばったぬくもりが発する悲鳴。もう一度振り上げられるバタフライナイフ。力の入らない体。そして・・・
「だめだよ、勝手に死なれちゃ困るんだよね」
唐突に降った声と、バタフライナイフが跳ね飛ばされる乾いた音。
崩れ落ちた路地の冷たいコンクリートの上で、必死に体を起こそうとした正臣は、踊るようなその黒い男を睨み上げる。
「・・・どういう・・・つもりです、か」
「正臣!」
話しちゃダメ!というように沙樹がその肩を押さえる。
そんな二人にちらりと目をやって、路地の奥から聞こえてくる無数の足音を耳にして、仕方がないなとでもいうように臨也は肩をすくめた。
「別にさあ、俺はいいんだよ、君が死のうが生きていようがどうでもいい。けど君が死んだら俺は確実に、帝人君に見捨てられちゃうんだよねえ。それは困るんだよねえ、実に困る。だから」
手が、差し伸べられた。
一度信じて、裏切られた手だ。
正臣は信じられないものを見る目で、臨也を見上げる。この手を取れというのか?あれだけのことをしておいて、もう一度取れと?
「ジョー、ダン・・・!」
その手をたたき落とそうとした正臣に、臨也は表情を消した顔で淡々と尋ねた。
「君に選択肢があるとでも思ってる?」
背後の少女と、迫りくる足音。
天秤にかけるなら、当然、現状からの脱出のはず。それは分かってる、分かっているけれど。
「正臣、今は」
沙樹が懇願するように言う。今は信じろと。この、おそらく日本で一番信じてはいけない男を信じろと。
「・・・ち、っくしょ・・・」
崩れそうな手を伸ばして、今だけだと自分に言い聞かせて。
正臣は、その黒猫の手を取った。
作品名:As you wish / ACT4 作家名:夏野