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彼方から 第三部 第四話 ~ 余談 ・ エイジュ ・ アイビ

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 彼方から 第三部 第四話

 爽やかな、朝……
 陽の昇り始めた空に雲は一つもなく、陽光を受けた建物の輪郭が黒く、浮かび上がっている。

 一夜を過ごし、まだ誰もが眠りについていると思われる中、イザークは同室のバラゴを起こさぬよう静かに、ベッドの上に体を起こした。
 部屋は薄暗い。
 閉じられた窓の戸板の隙間からは、まだ昇り切らぬ朝の陽の光が弱く、射し込んでいる。
 ベッドに腰掛けたまま、少し……前屈みになるかのようにイザークは額に手を当て、落ちてきた長い黒髪をゆっくりと掻き上げていた。
 薄暗い部屋の中に居るせいだろうか……彼の顔色が、優れないように見えるのは……

 服を着替え、イザークは少し冷えた朝の空気の中、ゼーナの屋敷の庭に出た。
 木々の葉に留まる朝露が、朝陽を受け煌めいている。
 優しく吹き抜けてゆく風に揺らされ、露は雫となって葉から零れ落ちてゆく。
 イザークは風に吹かれながら庭を見渡し、自身の首の辺りに手を添えていた。

 ――やはり……体がだるい

 朝起きた時、そう感じていた。
 そう、それは、カルコの街で起きたあの『発作』と同じ症状……

 ――まさか……周期が短すぎる

 あの『発作』から、まだ半年と経っていない。
 子供頃から何度も経験している『発作』だが、この短さで起きたことはまだ、『一度も』ない。
 屋敷から庭の東屋へと続く石畳の上、イザークは自身の身に起きている『異変』の意味を、考えていた。

「早いな」

 不意に、背後から掛けられた声に、振り向く。
 そこには、意外そうな眼を向けてくる、バーナダムが立っていた。
 否が応でも、昨日の出来事が蘇ってくる。
「……あんたこそ」
 イザークは彼を一瞥した後、特に気にも留めていないような素振りでそう返した。
「誰も起きていないのかと思った」
「あんたとおれ以外は皆、まだ寝てるさ」
 辺りを見回しながらそう言ってくるバーナダムに、イザークも一応、言葉を返す。
「ふーん……」
 彼の返しに、金の巻き毛を風に揺らめかせながら、
「丁度いいや」
 バーナダムは呟く。
 その呟きに、怪訝そうな眼を向けてくるイザーク……
 肩越しに、こちらを見やってくるイザークと眼を合わせると、
「おれ、あんたに話があったんだ」
 バーナダムは真顔で、
「もう、分かってると思うけど――おれ、ノリコのこと、好きなんだ」
 ハッキリと、面と向かって、告げていた。
 …………自分の、気持ちを――

 驚き、見開かれるイザークの瞳。
「昨夜、そのことノリコに告白したんだよ」
 何か言いたげに、イザークは唇を半ば開いた状態で彼をじっと見ている……だが、バーナダムはお構いなしに言葉を続けてゆく。
「でも彼女はあんたを好きだ。これはおれも分かってた」
 努めて冷静に、静かに――けれども彼の言葉は次第に熱を帯び、
「あんた達が両想いなら……おれ、諦める。でも……」 
 そして、イザークを見据えるバーナダムの瞳に、
「あんたがノリコを何とも思っていないんなら」
 強い意志の光が宿る。
「おれ、これからも、あいつに振り向いてもらえるよう頑張ってみようと思う」
 その心に――『想い』に素直に、純粋に……
「いいか? そうしても」
 臆することなく、堂々と――彼は、バーナダムはイザークに、恋の『宣戦布告』をしていた。

 逃げずに真正面から、卑怯な手も使わずに正直に……実に彼らしい、『無鉄砲な』宣戦布告だった。

          ***
 
 バーナダムの『宣戦布告』に、イザークの思考が一瞬止まる。
 昨日、ガーヤと共に迎えに来ていた時の、彼のノリコに対する言葉や自分に向けていたあの瞳。
 それに恋占い事件……
 改めて言われずとも、彼がノリコのことを『好き』だということは良く分かっていた。
 しかし、面と向かってハッキリと言われたことに、少なからず衝撃を受ける。
 既に、彼女に想いを告白していることにも、想いが受け入れて貰えなかったにも拘らず、諦めないと――その想いを、隠したりも誤魔化したりもせずに『ノリコに向け続ける』と――そう言ってきたことにも……

 羨ましく思えた。
 その素直さ、正直さ、心の強さが。
 何事にも真正面から向かって行けるその『無鉄砲さ』が……
 今、この時――自分も同じように出来たらどれほど『楽』だろうか。
 『知られる』ことを恐れる今の自分では、到底叶わないことだ。

 イザークは返す言葉がすぐには見つからず、無言で、暫しバーナダムを見据えた後、スッ――と、視線を外した。

「……おれに、断ることじゃない」

 やっと絞り出した返答が、それだった。
 確かに、間違ってはいない。
 だが、合っているわけでもない――ただ、その場凌ぎのようにとりあえず、言葉を並べただけだ。
 感情論だけで言えば、たとえ断りを入れられたところで、了承できることではない。
 だが、その感情に流されてしまうほどイザークは弱くはなく、そして、素直になれるほど、強くもなかった。

「いいんだな? おれがノリコに近づいても」
 視線を外したイザークに、バーナダムはもう一度、改めて、確認していた。

          ***

 イザークが、ノリコに少なからず想いを寄せているのは分かっている。
 同じ女性を好きになった男として、見ていれば良く分かる。
 ただ、その気持ちをハッキリさせないのが気に入らないだけだ。
 無口で愛想がないが、悪い奴じゃない。
 仲間の誰かが助けを求めれば、そう、それがたとえおれだとしても、必ず助けてくれようとするだろう。
 ノリコを――護ったように。
 能力者としても、剣士としても、十分すぎるほど強い。
 その上見場も良いときている――おれじゃ多分、勝ち目なんか無い。
 ノリコが、あいつを好きになるのは、当たり前だとも思う。
 男の眼から見てもあいつは……カッコイイ――
 でもだからって、簡単に諦めたりなんかできないし、勝ち目がないからって、抜け駆けするようなこともしたくない。
 やっぱり男として、正々堂々と……
 なのに――

「おれに、訊くな」
「なんで!?」

 これだよ……
 これなんだよ。
 ダメならダメだって、ハッキリ言えよ!
 おれもノリコのことが好きだからって、言えばいいだろ!
 どうして言わない? どうしてハッキリしない!?
 男らしくない、男らしくないだろ!!
 これじゃ、ノリコが可哀そうだ……だから、イラつくんだよっ!!

「なんで答えないんだよっ!! おれは、あんたの気持ちを訊いてんだぜっ!?」

 バーナダムは思わず、イザークの腕を掴んでいた。
 ノリコの為に、多分、半分は自分の為に……イザークのノリコに対する気持ちを、『ハッキリ』と訊き出したかった。

          ***

 戸板の隙間から射し込む陽の光で、部屋の中が大分明るくなってきている。
「……ん?」
 普通なら、まだ眠りの中に居る時間だが、ガーヤはふと眼を覚まし、ベッドの上に身を起こした。
「庭から人の声が……」
 無意識に剣を手に取る。
 長年、戦いの中で身についてしまった癖なのだろう。