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彼方から 第三部 第四話 ~ 余談 ・ エイジュ ・ アイビ

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 たとえ、暖かい布団の中での眠りであっても、常に手元に、剣を置いておくのは……

 ガーヤの呟きと、確かに聞こえる庭の人の声に、同室のノリコも眼を覚まし、体を起こしていた。

          ***

「あんたにとってノリコって何なんだ!? 彼女の気持ちは知ってんだろ!?」

 ああ、知っているとも――あんたに言われなくとも、直接、この耳で、彼女の気持ちを聞いたんだからな。
 白霧の森の化物に操られた、大岩鳥に攫われた時……
 国境を越えた先で、野営をした夜……
 どんな姿でも、何者でも良いと言ってくれたあの言葉を、おれを好きだと言ってくれたあの声を、鮮明に覚えている。
 忘れたりなど出来ない。
 なのに……それなのに!
 その想いに応えることの出来ない自分を、どれだけ恨めしく思っていることか!
 想いを素直に口にできるあんたを、どれだけ羨ましく、妬ましく思っていることか!
 掴まれた手が、何故か痛む……
 こいつがどれだけ、ノリコのことを想っているのか、それが伝わってくるようだ。
 おれは…………おれも――
 ……ノリコ……
 
 バーナダムの言葉に、彼女を手当てしたあの夜が、脳裏にまざまざと蘇ってくる。
「あんたには関係のないことだ!」
 イザークは、自身の顔が火照るのを感じ、彼に掴まれた腕を思わず振り解いていた。

          ***
 
「なっ……!」
 荒っぽく、手を振り解かれた。
 言葉だけではなく態度でも、『関係ない』と、強調された気がする。
「――なんだよォ(その態度!)」
 
 ――ムカつくんだよっ!

 イザークの腕を掴んだ時点で、既に冷静さを欠いていたとは思うが、更に手を振り解かれたことで(しかも荒っぽく)、『短気で血の気の多い』性格に、拍車がかかってしまった。
 もう――抑えようがなかった。

「なんで、そんな曖昧な態度取るんだよっ! それがどれだけ彼女を悩ませてるのか、分かってんのかっ!?」
 っていうか、こっちを見ろよ!
 無視かよ、無視すんのかよ。
「ノリコはそれでもいいって言ってるけど、おれは嫌だぞ! ノリコが、そんな奴に惚れてること自体が嫌だ!!」
 何とか言えよ!
 おれ一人が熱くなって、バカみたいじゃないか!
「あんた、おれが何を言っても、彼女の気持ちは変わらないって、高を括ってんのか!?」
 だとしたら最低だぞ!?
「普段突き放しておいて、気が向いたら優しくして……それで一喜一憂してる彼女を見て、楽しんでんのか?!」
 昨日だってそうじゃないか――
 ノリコが話し掛けたって、ほとんど無反応みたいな返しをしておいて、東屋ではノリコに座れって言わんばかりの態度をして……
 彼女がどれだけ、あんたの態度に振り回されてるのか、分かってんのか?
 昨日だけじゃない。
 借り家での日々だって……
 一緒にいた時間は短かったけど、それでも分かる。
 あんたのノリコに対する態度が、どっちつかずで曖昧なんだってことが!
 普段、ぶっきら棒で冷たかったりするくせに、時々、変に優しく気を遣ったり……
「そうやって人の気持ちを弄んで……面白いかよっ!!」
 もしも、本当に彼女の気持ちを弄んでんだったら……おれは――
 おれは絶対に、あんたを許さない。
 ノリコだって、渡さないっ!

 バーナダムはイザークの背中に向けて怒鳴りつけていた。
 有りっ丈の想いと、強い、意志を籠めて……

          ***

「そうやって人の気持ちを弄んで……面白いかよっ!!」
 バーナダムから吐き出された怒号に、イザークは思わず振り向いていた。
 身体が小刻みに震えているのは、彼の言葉に対する怒りからか、それとも……
 強い、意志を籠めた瞳で見据えてくるバーナダムを、吹き出しそうになる感情を抑えながら、イザークも見据え返していた。

 ふざけるなっ!
「あんたに……何が分かる…………」
「なに?」
 そうだ……何も知りもしないくせに……
 ふざけるな……おれは、ノリコの気持ちを弄ぼうなんて思っちゃいない。
 そんな権利、おれにも――誰にも有りはしない!
 分かっている、おれの態度が、あいつを悩ませていることぐらい……
 だが、どうしたらいいのか、おれには分からない。
 気持ちを抑えることなく、あんたのように言ってしまえたら……
 だめだ……
 これ以上、何か口に出そうとしたら、もう、止められなくなる。
 何もかも、ぶちまけてしまうかもしれない……
 それだけは、出来ない……
 出来ないんだっ!!

「あんたに何が分かるっ!!!」
 訊き返してくるバーナダムに向けて、イザークはもう一度、同じ言葉をぶつけていた。
 まるで今、心に渦巻いている感情の全てを、その言葉一つに籠めるかのように……
 口にすることの出来ない『言葉の全て』の代わりに……

 体を震わせ、今までにない激しい表情を見せて、声高に言葉を放つイザークを、バーナダムは驚きに満ちた顔で見つめ返していた。

          ***

「う……」
 ガクッと、力が抜けてゆく。
 身体を支える力を失い、膝が崩れ、イザークは地面へ尻餅をつくかのように、両の手をついていた。

 ――来た!!
 ――やはり……あの症状が……

 体が震える。
 どうにもならない。
 力が……入らない。
「な……なんだよ、どうしたんだよ」
 今の今まで、普段と変わりないように見えたイザーク……
 彼の突然の異変にバーナダムは戸惑い、咄嗟の判断が付かず、ただ声を掛けるしかなかった。
「あれ? イザークはどうしたんだい? 座り込んで……」
 館の出入り口から、ガーヤがそう、声を掛けて来る。
「何か庭の方で声がするなと思って、来てみたんだけど……」
 様子を窺うように庭へと出て来ながら、ガーヤはバーナダムに向かって問い掛けるように話し掛けた。
「お……おれ知らねぇよ、いきなりへたり込んだんだ」
 肩越しにガーヤを見やり、バーナダムは戸惑いながら説明する。
 知らない者が聞いたら、恐らく、『言い訳』にしか聞こえないだろうが、彼の言葉は正しい。
 二人は確かに大声で言い合ってはいたが、互いに手を出し合っていた訳ではない。
 仮に……手を出すような事態に陥ったとしても、バーナダム相手にイザークがへたり込むようなことには成り得ないのだが……
 彼の体に異変が起きる理由を知らない者にとって、イザークの変調は『突然』であり、『いきなり』でしかない……
 『どうした』と理由を求められても、応える言葉をバーナダムは持っていないのだ。
 
 戸惑い、困惑しているのはイザークも同じだった。

 ――何故、こんなに早く……
 ――まだ、一年も経っていないのに……

 重く、自由にならない体を、何とか両腕で支え、倒れ込まないようにするのがやっとだ。
「え……何? イザーク、立ち上がれないのかい?」
 彼の様子に、ただ、問い掛けることしか出来ないガーヤ。
 無理もない……
 彼らは、イザークの『強い』姿しか、ほぼ眼にしていない。
 凄まじい能力を持ち、剣技でも体術でも他を凌駕する腕の持ち主……