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(1)



「よう!はやいな」
ズボフスキーが事務所に顔を出すと、すでにアレクセイは自分のデスクにいた。
「ん……?ああ、あんたか」
机の上には、昨日受け取ったミハイルの書類が散乱していた。
くわえ煙草のまま顔を上げたアレクセイの手もとには、灰皿がなぜか2つ。吸い殻の数は、とても今朝からの分とは言えない数だ。
「は……ん、おまえあれから家に帰らなかったのか?」
「……いや、……ああ、まあな」
彼にしては、いやに歯切れが悪い。
こういう時は必ずと言っていい程ユリウスの事が絡んでいる。
ズボフスキーは他の党員に聞かれない様に少し小声で話し始めた。
「彼女、今朝はもう落ち着いてたぞ。ガリーナと一緒に朝食の用意をして、ミルクも買いに出てくれたよ。今日はどこかへ出かけると言っていたな」
「……そうか」
「なんだ、素っ気ないじゃないか。……昨晩の事か?」
ユスーポフ家につながる『エフレム』という名を聞いた時の、ユリウスの狼狽ぶりを隣で見つめていたアレクセイ。
彼女に声をかける事も出来ず、優しく肩を抱き寄せる事もせず、こぶしを握り締め、嫉妬とも怒りとも言えない表情でただ見つめていた。
あんなアレクセイを見たのは、ユリウスをいきなり連れて来たあの夜以来二度目だ。
「……夕べは世話になったな、遅くまで。ガリーナにも礼を言っておいてくれ」
「伝言を伝えるのは、おれの女房だけでいいのか?」
「……」
「まったく……。彼女が絡むと、ほんっとうに子どもだな、おまえは!」
「……」
「彼女へ言うことも無いのか?ん?だとしたら、彼女の方が少しは大人だな」
「どういう意味だ?」
ズボフスキーは、やれやれと肩を少しすぼめ、髭をさらりと撫でた。
「おまえへの伝言だ。夕べは会えて嬉しかったそうだ。そしておまえに謝っておいてくれって」
「‥‥」
「けなげだな、彼女」
「謝るって……なんであいつが謝るんだ?」
「あのなぁ、おまえが不機嫌になったからだろ?ユスーポフ家に繋がる話しになった時に。あれから彼女にろくに挨拶もせずに帰っただろ?可哀そうに、彼女あれから落ち込んでたぞ」
アレクセイはきまり悪そうにズボフスキーから視線を外し、手元の書類に目を落とす。
「なぁ、アレクセイ。おまえ達もういい大人なんだから、いつまでも学生の頃の様な恋愛はやめろや。おれはキューピッドなんてがらじゃないぞ」
「……」
「おまえ言っていたよな。彼女の記憶を取り戻してやるって。だったら少しは彼女と話をしてこいよ。お前と会わない、話もしない、では思い出すものも思い出せないんじゃないか?」
「……」
一向に態度に表さないアレクセイに痺れを切らしたズボフスキーは、ゴホンと咳払いをし、アレクセイの耳元に顔を寄せ声をひそめた。
「夕べお前に会ったからなんだろうな、今朝のユリウスは綺麗だったぞ。笑顔がそりゃもう最高だな。あんな風に笑いかけられたら、どんな男も骨抜きだろうよ。ああ、そう言えばイワンと約束してるとか言ってたな。最近2人でガリーナを助けてくれるから、おれも安心……」
言い終えないうちにアレクセイは大きく息を吐き、広げた書類を片付け始めた。
「どうした?いきなり」
「どうもこうもねぇよ!ったく……、けしかけやがって」
「何の事だ?おれは事実を言っただけだがな。まぁ、それでお前がその気になってくれたんなら、よしだ!おぉ、行ってこい、行ってこい!今ならまだ家にいるだろうから」
「ったく、今はそれどころでは……」
厳しい顔を向けるアレクセイの肩を ズボフスキーはポンと叩き静かに声をかけた。
「おまえの気持ちはわかる。だがな、そうなにもかも自分が背負う事はないんだぞ。おまえが抱えている思いは他の同志だって思っている。決しておまえだけではないんだぞ。だからそんなに自分を追い込むな。体を壊すぞ」
「だが……!」
「書類の精査ならおれがやっておく。おまえは没頭すると周りが見えなくなるたちだからな。この書類に本格的に取り掛かったら、いつ彼女に会いに行ってやれるか分からなくなるだろう。今行ってこい!……多分会いたがってるぞ」
「‥‥」
「彼女を少しは安心させてやれ!」
ズボフスキーに急き立てられ、アレクセイは渋々席を立った。
「わかったよ……」
「ああ、それと……別に長居をしてきてもいいが、ガリーナがいる事を忘れるなよ」
ニヤニヤと笑うズボフスキーをあからさまに無視し、行ってくる!とばかりに片手をあげ、アレクセイはコートを着て事務所を出て行った。
アレクセイの背中を見送り、不思議に思って見ていた他の同志の目をやり過ごし、自分のデスクに座った。
すると、アレクセイとは入れ違いにイワンが訝し気な顔をして入ってきた。
「おはようございます、同志ズボフスキー。夕べはありがとうございました。あの、今同志アレクセイが……」
「おまえ、睨まれなかったか?」
「はい、よくお分かりで。あの、ぼく何かしてしまったんでしょうか?」
「いいや。ああ、イワン、すまん。アレクセイが帰ってきたら、何か言われるかもしれんが、まぁ気にしないでくれな」
「はぁ……」
「ふうん、意外に単純だな、あいつ」
楽しそうに笑うズボフスキーを イワンは不思議そうな顔で見つめていた。
「うん……、髭のキューピッドか……。それも一興だな」
この計らいが二人の進展に繋がる事を祈って、髭のキューピッドはミハイルの書類に目を落とした。



作品名:その先へ・・・4 作家名:chibita