彼方から 第三部 第六話 & 余談・第三話
彼方から 第三部 第六話
陽が、中天に懸ろうとしている。
ノリコを攫い、馬を駆って逃げ去った襲撃者たちを追い、バーナダムは一人……セレナグゼナの街中を走っていた。
大きな建物の並ぶ広い通り。
だが、人通りはまるでない。
まるで、襲撃者たちが逃げやすいようにと、街の人々が気を利かしたかのようだ。
国や街の長から何かお触れがあった時の為なのだろうか、大きな舞台が設えられている四辻が見えて来た。
そこまで、バーナダムは全力で追い駆けて来たのだが……
流石に息が切れてしまったのだろう……立ち止まり、両膝に手を着き、大きく肩で息をしている。
「ち……ちくしょう」
肺が痛む。
悔しさで、涙が出てくる……
「あいつら――どっちへ行ったか、分かんねぇ」
襲撃者を見失ってしまった……ノリコを、見失ってしまった。
駆ける馬に、人の足で追いつけるはずもないのだが、それでも、悔しくてならない。
見失った自分に、腹が立ってくる。
『力』の無さに――打ちのめされそうになる。
ゼーナの屋敷を飛び出した時、アゴルが何やら怒鳴っていたのが聞こえたが、それを無視した。
『好きな人』が攫われたのが分かっているのに、冷静に次の行動の判断など、出来るわけがなかった。
それに今は、エイジュも居なければイザークも動けない。
無謀だと分かっていても、やらなければならない……
だが、結果はこれだ……
バーナダムは、自身の無鉄砲さに腹が立ち、そして……それに見合うだけの力が伴っていないことに、情けなさを感じていた。
「あはは……そんでよお」
どこか、建物の中から、大きな笑い声と共に話し声が、聞こえて来る。
「あ」
荒い息遣いのまま、周囲を見回すバーナダムの視界に、四辻の角に建つ大きな屋敷の扉から、馬を引いて出てくる、二人の男たちの姿が入った。
「なぁっ!」
バーナダムは慌てて駆け寄ると、その二人に声を掛けた。
「ここを、馬に乗った四・五人の男が通らなかったか?」
「ん?」
二人組は怪訝そうに、声を掛けて来たバーナダムを見やった後、互いに眼を合わせながら、
「さあ……」
と、首を傾げ、
「おれら、今、馬屋から出たとこだから……」
「この時間、ここは人通りが少ないからなァ」
どこか、急いている様子のバーナダムを見て、済まなそうにそう、返してくれる。
二人の返しに、溜め息にも似た息を一つ、バーナダムが吐いた時だった。
「ん?」
遠くから駆けてくる馬の足音が、彼の耳朶を捉えていた。
音に釣られ、肩越しに振り返り、思わず眼を見張る。
――あいつ……!
見覚えのある男が、血の気の失せた必死の形相で馬を駆り、脇目も振らずに走り抜けてゆく。
――そうだ
――奴らの仲間の一人!
――これで、馬さえあれば、後を追って行けるっ!
――ノリコを見つけられる!
バーナダムがそう思った時だった。
「おい、あれ何だ?」
「え」
馬屋から出て来た男たちの一人が、上の方を指差し、確認するように問い掛けてくる。
指で示された先に見えるのは、雲一つない青空……
その、何もない空に身を躍らせる、一つの影……
「人だ!」
逆光に煌めく影は、長い髪を棚引かせ、
「人が、屋根から降って来た!!」
三階建ての、高い、建物の屋根から事も無げに……バーナダムたちの眼の前に、確かに『降って』来た。
――……は?
見覚えのある服に、再び眼を見張る。
だが、その髪色は、覚えのある人物とは似ても似つかぬ色をしている……
とても――同一人物とは思えない。
今朝早く、発作で倒れたイザークだとは……
ふら付いて……人の支え無しでは、歩くことも儘ならない状態だったイザークだとは……
だが、三階建ての建物の屋根から飛び降りて、無事でいるような男に、他に心当たりはない……
重さを感じさせないほど静かに、通りに降り立ったその人物は、三人を一瞥することも無く――降りたその場で地面を強く、蹴り出していた。
「イザークッ!?」
まさかと思いながらも、バーナダムは思わず、呼び止めていた。
ブルーグレイの長い髪を纏った背が、十数メートル先で、止まる。
一瞬振り返った彼の人の顔は……表情が、固まってしまっているように見えた。
青色を帯びた皮膚、形の変わった瞳――口元から覗く、牙……
見間違いかと思えるほどの時間でしかなかったが、確かに……バーナダムは眼にしていた。
変容した、イザークの容貌を――その、髪の色を……
直ぐに顔を背け軽々と、高い建物の屋根を、飛び越えて行く様を……
「…………」
何一つ、言葉が出てこない。
悪寒にも似た嫌な感覚が、足下から這い上がってくるように思える。
「な……何だ、あれ――か、軽々と、屋根の上を飛んでったぞ!」
「あんた、知り合いなのか?」
馬屋から出てきた男たちが訊ねる、その声が言葉が……バーナダムの耳を通り抜けてゆく。
――何か……
――何かが、起こってるんだ……
――あいつの……イザークの体に
――何か、とてつもないことが……
イザークが建物を飛び越え向かった、その先を暫し見据えた後……
「すまんっ!」
バーナダムはいきなり振り返ると、二頭いる馬のうち、手近にいた一頭の手綱をいきなり掴んだ。
「あっ、おれの馬っ!」
男の咎める言葉を聞き流し、馬に飛び乗ると、
「後で返す! 貸してくれっ!!」
許可も得ないまま、走らせる。
「わーっ! どろぼーーっ!!」
男の叫び声が、遠く、小さくなってゆく。
泥棒呼ばわりは心外だが、そんなことを気にしている暇はない。
今はノリコを助けることの方が大事だ。
……イザークのことも、気になる。
あの変容した姿。
恐らく今朝の『発作』と、無関係ではないはずだ。
バーナダムは言い知れぬ不安と焦燥を抱え、イザークを、襲撃者の仲間を追い、只管に馬を走らせていた。
***
セレナグゼナの街の大きな通りを、馬が一頭、駆けてゆく。
馬の背に乗るのは、血の気が失せ、恐怖に引き攣った表情のバンナ……
ただ、自分が『見たもの』から逃げ果せる為に、馬を走らせていた。
……『黙面様』の居る館まで……
『黙面様』から、自分と同様に特別な力を戴いた者たちが居る、館まで……
追撃者の気配を、微かに感じながら……
――ノリコ……
高い、建物の屋根の上に立ち、イザークが……
ブルーグレイの髪と、形と色の変わってしまった瞳、先の尖った耳に、口元には牙を……覗かせて……
脇目も振らず、一目散に逃げ去ろうとしているバンナを見ている。
――ノリコ!!
自らの意志で呼び起こした【天上鬼】の力が、その『意志』を、『意識』を――喰らい尽くそうとしているかのように、膨らんで来るのが分かる。
『闇』の感情が、膨らんでくるのが……
だが、もう、歯止めは効かない。
彼女を眼前で奪われた今、彼の意識は一つのことに集約され始めている。
ノリコの、ことだけに……
陽が、中天に懸ろうとしている。
ノリコを攫い、馬を駆って逃げ去った襲撃者たちを追い、バーナダムは一人……セレナグゼナの街中を走っていた。
大きな建物の並ぶ広い通り。
だが、人通りはまるでない。
まるで、襲撃者たちが逃げやすいようにと、街の人々が気を利かしたかのようだ。
国や街の長から何かお触れがあった時の為なのだろうか、大きな舞台が設えられている四辻が見えて来た。
そこまで、バーナダムは全力で追い駆けて来たのだが……
流石に息が切れてしまったのだろう……立ち止まり、両膝に手を着き、大きく肩で息をしている。
「ち……ちくしょう」
肺が痛む。
悔しさで、涙が出てくる……
「あいつら――どっちへ行ったか、分かんねぇ」
襲撃者を見失ってしまった……ノリコを、見失ってしまった。
駆ける馬に、人の足で追いつけるはずもないのだが、それでも、悔しくてならない。
見失った自分に、腹が立ってくる。
『力』の無さに――打ちのめされそうになる。
ゼーナの屋敷を飛び出した時、アゴルが何やら怒鳴っていたのが聞こえたが、それを無視した。
『好きな人』が攫われたのが分かっているのに、冷静に次の行動の判断など、出来るわけがなかった。
それに今は、エイジュも居なければイザークも動けない。
無謀だと分かっていても、やらなければならない……
だが、結果はこれだ……
バーナダムは、自身の無鉄砲さに腹が立ち、そして……それに見合うだけの力が伴っていないことに、情けなさを感じていた。
「あはは……そんでよお」
どこか、建物の中から、大きな笑い声と共に話し声が、聞こえて来る。
「あ」
荒い息遣いのまま、周囲を見回すバーナダムの視界に、四辻の角に建つ大きな屋敷の扉から、馬を引いて出てくる、二人の男たちの姿が入った。
「なぁっ!」
バーナダムは慌てて駆け寄ると、その二人に声を掛けた。
「ここを、馬に乗った四・五人の男が通らなかったか?」
「ん?」
二人組は怪訝そうに、声を掛けて来たバーナダムを見やった後、互いに眼を合わせながら、
「さあ……」
と、首を傾げ、
「おれら、今、馬屋から出たとこだから……」
「この時間、ここは人通りが少ないからなァ」
どこか、急いている様子のバーナダムを見て、済まなそうにそう、返してくれる。
二人の返しに、溜め息にも似た息を一つ、バーナダムが吐いた時だった。
「ん?」
遠くから駆けてくる馬の足音が、彼の耳朶を捉えていた。
音に釣られ、肩越しに振り返り、思わず眼を見張る。
――あいつ……!
見覚えのある男が、血の気の失せた必死の形相で馬を駆り、脇目も振らずに走り抜けてゆく。
――そうだ
――奴らの仲間の一人!
――これで、馬さえあれば、後を追って行けるっ!
――ノリコを見つけられる!
バーナダムがそう思った時だった。
「おい、あれ何だ?」
「え」
馬屋から出て来た男たちの一人が、上の方を指差し、確認するように問い掛けてくる。
指で示された先に見えるのは、雲一つない青空……
その、何もない空に身を躍らせる、一つの影……
「人だ!」
逆光に煌めく影は、長い髪を棚引かせ、
「人が、屋根から降って来た!!」
三階建ての、高い、建物の屋根から事も無げに……バーナダムたちの眼の前に、確かに『降って』来た。
――……は?
見覚えのある服に、再び眼を見張る。
だが、その髪色は、覚えのある人物とは似ても似つかぬ色をしている……
とても――同一人物とは思えない。
今朝早く、発作で倒れたイザークだとは……
ふら付いて……人の支え無しでは、歩くことも儘ならない状態だったイザークだとは……
だが、三階建ての建物の屋根から飛び降りて、無事でいるような男に、他に心当たりはない……
重さを感じさせないほど静かに、通りに降り立ったその人物は、三人を一瞥することも無く――降りたその場で地面を強く、蹴り出していた。
「イザークッ!?」
まさかと思いながらも、バーナダムは思わず、呼び止めていた。
ブルーグレイの長い髪を纏った背が、十数メートル先で、止まる。
一瞬振り返った彼の人の顔は……表情が、固まってしまっているように見えた。
青色を帯びた皮膚、形の変わった瞳――口元から覗く、牙……
見間違いかと思えるほどの時間でしかなかったが、確かに……バーナダムは眼にしていた。
変容した、イザークの容貌を――その、髪の色を……
直ぐに顔を背け軽々と、高い建物の屋根を、飛び越えて行く様を……
「…………」
何一つ、言葉が出てこない。
悪寒にも似た嫌な感覚が、足下から這い上がってくるように思える。
「な……何だ、あれ――か、軽々と、屋根の上を飛んでったぞ!」
「あんた、知り合いなのか?」
馬屋から出てきた男たちが訊ねる、その声が言葉が……バーナダムの耳を通り抜けてゆく。
――何か……
――何かが、起こってるんだ……
――あいつの……イザークの体に
――何か、とてつもないことが……
イザークが建物を飛び越え向かった、その先を暫し見据えた後……
「すまんっ!」
バーナダムはいきなり振り返ると、二頭いる馬のうち、手近にいた一頭の手綱をいきなり掴んだ。
「あっ、おれの馬っ!」
男の咎める言葉を聞き流し、馬に飛び乗ると、
「後で返す! 貸してくれっ!!」
許可も得ないまま、走らせる。
「わーっ! どろぼーーっ!!」
男の叫び声が、遠く、小さくなってゆく。
泥棒呼ばわりは心外だが、そんなことを気にしている暇はない。
今はノリコを助けることの方が大事だ。
……イザークのことも、気になる。
あの変容した姿。
恐らく今朝の『発作』と、無関係ではないはずだ。
バーナダムは言い知れぬ不安と焦燥を抱え、イザークを、襲撃者の仲間を追い、只管に馬を走らせていた。
***
セレナグゼナの街の大きな通りを、馬が一頭、駆けてゆく。
馬の背に乗るのは、血の気が失せ、恐怖に引き攣った表情のバンナ……
ただ、自分が『見たもの』から逃げ果せる為に、馬を走らせていた。
……『黙面様』の居る館まで……
『黙面様』から、自分と同様に特別な力を戴いた者たちが居る、館まで……
追撃者の気配を、微かに感じながら……
――ノリコ……
高い、建物の屋根の上に立ち、イザークが……
ブルーグレイの髪と、形と色の変わってしまった瞳、先の尖った耳に、口元には牙を……覗かせて……
脇目も振らず、一目散に逃げ去ろうとしているバンナを見ている。
――ノリコ!!
自らの意志で呼び起こした【天上鬼】の力が、その『意志』を、『意識』を――喰らい尽くそうとしているかのように、膨らんで来るのが分かる。
『闇』の感情が、膨らんでくるのが……
だが、もう、歯止めは効かない。
彼女を眼前で奪われた今、彼の意識は一つのことに集約され始めている。
ノリコの、ことだけに……
作品名:彼方から 第三部 第六話 & 余談・第三話 作家名:自分らしく