彼方から 第三部 第六話 & 余談・第三話
彼女を救うことに、彼女を捜し求めることに……イザークの意識はそのことだけに『強く』、集約され始めていた。
*************
「これより先は神域です」
黙面の居る神殿……その神殿がある大きな建物の中。
神域へと続く、暗く長い廊下の手前にある大きな広間に、ゼーナの屋敷を襲撃した面々が集まっている。
自分たちと同じく、黙面より力を賜った、他の、ワーザロッテの配下の連中と共に……
攫ってきたノリコを黙面に仕える神官二人に引き渡し、ほくそ笑みながら……
「皆様は、ここでお待ちくださいますよう……」
二人の神官はノリコを両脇から挟み、その腕を、逃げ出せぬよう掴んでいる。
悲鳴も上げず、抵抗したりもせず、大人しくしているノリコを……
「これで、我々も新たなる力が、黙面様より戴けるのだな」
神官に連れられてゆくノリコの姿を見やりながら、ワーザロッテに命を受けなかった仲間の一人が、昂る気持ちを抑えるようにシェフコたちに話し掛けた。
「おおよ」
満足気に、至極当たり前のことのように、シェフコは頷き、
「ふふ……思ったより、なんとも楽な仕事だったぞ」
トラウス兄弟の弟も、自慢気に、そう応えている。
「バンナが騒いでいた、あやつ……黙面様まで、わざわざ病の時期を狙って襲撃させるので、どんな奴かと思うたら……」
嘲笑の笑みを、口の端に浮かべながら、シェフコが口にしたセリフに続けるように、
「ははは、なんとも頼り無げな色男よ、問題にもならん」
トラウス弟も、見下し、馬鹿にした口調でそう、続けていた。
「ほほう……」
声を掛けた仲間も、感心したように頷いている。
だがそれは……遠回しにした自画自賛に過ぎない。
その場にいる誰もが思っているのだ。
『黙面様に力を戴いた我らが、敗けることなど有りはしない』
と……
「それで、バンナはどうした」
「奴にご執心のようなので残して来た」
「ふふ……」
「気が済んだら、戻ってくるだろうさ」
誰も、気になどしていなかった。
確かに、一度敗けてはいるが……病のせいで足元がふらつき、動くことも儘ならないような男に、二度も敗北するようなことなどないだろうと――
半減したとはいえ、まだ……黙面様より戴いた力が、残っているのだから。
***
神殿へと続く、暗く長い廊下に、三人の足音が響いている……
窓のない廊下には篝火が焚かれており、暗くはないが何処か、重苦しい。
重厚な柱、高い天井……その造りは荘厳だが、漂う気配は不気味で――怪しげだった。
限られた者しか、入ることは許されていないのだろう。
今、廊下を歩いている者はこの三人だけ……
響く足音を頭の隅で捉えながら、ノリコはずっと思い、案じていた……
攫われ、馬に乗せられてから、ずっと……
***
ずいぶんと、街中を走っていた気がする。
馬に乗って、あんなに恐い思いをしたのは初めてだ。
体の自由が利かなかったせいもあるけど、ただ乱暴に乗せられて、支えも何もなくて……落とさなければそれでいいって感じで、運ばれただけ。
イザークと二人きりでの旅の間――馬に乗って移動することが何回かあったけど、あったけど……
恐い思いをしたことなんて……なかった。
きっとイザークが、ちゃんと後ろで、馬に乗り慣れていないあたしを支えてくれていたから……
言葉が少なくて、ちょっと冷たかったり、ぶっきら棒だったり……何を考えてるのか、分かんなかったりする時もあったけど、でも、でも……!
イザークはずっと、優しかった。
あたしのことを何度も助けてくれて、いつも……気に掛けてくれていた。
わけも分からず、この世界に飛ばされた時も……そうだった……
あたしは一体――何をしていたんだろう……
この世界の言葉を覚えようって、そう思った時のことも忘れて……
昨日のゼーナさんのお話しで、せっかくその時の想いを、思い出せたのに……
あたしは、あたしのままでいればいいんだって……
今まで通り、出来ることを見つけて、ちゃんと前見て歩かなきゃって……
一喜一憂するのはもう止めて、あたしは大丈夫だからってそう言えば、彼も……イザークも困らなくて済むかもって――イザークも…………
…………イザークは、大丈夫だろうか……
一喜一憂するのは止めようって思ってたのに……あたし、あの時まで色ンなこと、頭の中、グルグルしてた。
どうしてあたしに答えをくれないんだろうとか、なんでバーナダムに問われて、あんなに不機嫌になるんだろうとか……
結局あたしは……イザークにどう思われたいとか、どうして欲しいとか、考えてたんだ。
肝心なこと、見逃していたんだ。
でも……
『ノリコに触るなっ!』
イザーク……
イザークはあんな状態なのに、あんなに弱ってるのに――助けに来てくれた……
もう……もうそれだけで十分だ。
それまでの悩みなんて、どうでも良くなっちゃったよ。
――だから……
『だから……』『もうそれだけで十分だから』――ノリコの思考がそのまま、何もせず『諦め』へと、続いてしまいそうになった時だった。
「ふふ、恐ろしいか?」
不意に、思案が中断された。
フードを目深に被り、顔の良く見えない黙面の神官が、口の端を歪めながら、そう、声を掛けてくる。
ノリコは涙の溜まった瞳で、声を掛けてきた神官の顔を見上げた。
「無理もないな……どこへ連れていかれるのか、何をされるのか――分らないのだから」
捕らえた腕から伝わる、微かな震え。
それに……暴れもせず、喚きもしないノリコを見て、神官はそう思ったのだろう。
『恐ろしさ故に、何も出来ずにいる』のだと。
……確かに、『何をされるのか分からない』怖さは、感じている。
仲間と――イザークと引き離されてしまった不安もある。
連れて来られたこの場所も、何の為の場所なのか、セレナグゼナの街のどこに在るのか分からない……『黙面様』とやらの正体も知れない……
ノリコは瞳を伏せ、俯いてゆく……
連れられるまま、交互に動く自分の爪先が眼に入る。
規則正しく動く、左右の爪先を見ている内に、ノリコの脳裏に、昨日のゼーナの言葉が蘇ってきていた。
『ささいなことでも
今、手元にある出来ることを使命と考えて
やっていこうと思ってるんだ』
伏せられた瞳が、ゆっくりと前を向いてゆく。
暗く、落ち込みかけていた心に、『光』が射し込んでくる。
――……ううん
諦めようとしていた自分の心に、ノリコは首を振っていた。
瞳に、力が宿る。
――あたし、頑張る
心を、奮い立たせる。
――そうよ
――でないと、必死に守ろうとしてくれたイザークや
――みんなに申し訳ない
『怖い』――そう思う気持ちが、消えたわけではない。
けれど……
――怖がってるだけじゃ、なんにもならないんだ
――この運命、そのまま受け止めて
――その中で、出来るだけのことをするんだ
ゼーナの言葉が、鼓舞してくれる。
作品名:彼方から 第三部 第六話 & 余談・第三話 作家名:自分らしく