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ブルー・カーバンクル

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 密閉空間、落とした照明、カーテン越しの淡い月光。おあつらえ向きに親は留守。
 ソファに浅く腰掛けた青子が、自分の唇に指先をそっと乗せた。寄せられた眉から読み取れる感情は困惑よりも嫌悪に近く、唇からは今にも「なぜこんなことを?」という問いがこぼれ落ちそうだ。軽いけれど確かなまばたきをして、それでも青子は視線を下げない。そこにあるものがまるで真実ででもあるかのように。かたちを見極めることが彼女の崇高な使命ででもあるかのように。
 目を逸らしていいのに。それを受け入れてしまう必要はないのに。
 ふ、と息を吐いて、快斗は青子の隣に身体を沈めた。背もたれに深く身体を預けて足を組む。この角度では青子の耳を見るのがやっとだ。青子の髪の柔らかさを知っているのは、俺と彼女の父親以外に誰がいるだろう?背中に流れる豊かな髪を見ながら快斗は思う。
 青子は快斗の動きには注意を払わず、ほとんど身じろぎしなかった。指先を唇に当てたまま、まっすぐに視線を前に投げている。薄暗い部屋の中にテレビ画面がもやもやとした光を投げ、それが青子の耳の形を浮かび上がらせる。

「快斗」

 画面から視線をそらさないまま、青子がそっと呼んだ。

「あ?」
「これから、どうなるの」
「それ、聞いてどーすんの」

 わざと突き放すように言うと、青子は自分の腕をぎゅっと掴んだ。身体をかばう仕草にかき立てられるのは嗜虐性か、それとも庇護欲か。掴まれた腕の服地が痛々しいほどに皺になっている。迷う時間だけ空白を置いて、青子はおもむろに立ち上がった。それから制止を振り切るように走り出して、

 テレビゲーム機の電源を切った。

 ぶち、と非情な音がして、低く流れていたモーター音と薄暗いBGMが止んだ。

「あってめこのやろう!まだセーブしてねーだろ!」
「だって怖いんだもん!なにあれ!オバケなの?宇宙人なの?いやだもう見たくないよ!」
「だから見んなって言っただろーが!こーいうの苦手なくせになんで見るんだよ!」
「だって快斗がおもしろいって言うから!」
「結局見れてねーだろ!つか消すなよ!あのアイテム取るの苦労したんだぞ!?」

 コントローラーを投げ出して駆け寄って、無駄と知りながら電源を入れてみる。ぶうんと再び低いモーター音が流れ、けれど流れる映像は当然、ずいぶん昔に通り過ぎたシーンのもので。

「このやろー」

 モーター音に負けないくらい低く呟く。青子はけろりとした顔で、だってあんなのやってる快斗が悪いんだよーと言った。そう言って手近にあった別のゲームを取りあげ、こっちやろーよこっち、と笑う。
 青子は快斗の返事を待たず勝手にソフトを取り替え、うきうきとスタートボタンを押した。自分用のコントローラーも手際よくセットして、ソファの前にぺたんと座り、快斗が放り投げたコントローラーを拾い上げて差し出す。

「ね?」

 いいんだけどさ。俺だって別に、赤い服を着た配管工が憎いわけじゃないんだけどさ。
 密閉空間、落とした照明、カーテン越しの淡い月光。そのうえ親は留守。この状況で、怖いのがまずCGのゾンビってどうなの。俺が何かするとかどうして思わないの。自慢するわけじゃないけど、この家ってそんなにちゃちな造りじゃないんだぜ?大きな声出せばどこからか助けが来るとか思ってる?健全な男子高校生が何考えてるか分かってる?
 差し出されたコントローラーを受け取らないまま、快斗は床に手をついてすいと距離を詰めた。テレビ画面ではデモが始まり、配管工が待ちかねたように車を飛ばしている。青子の瞳にそれがきらきらと映っているのを確認できるほどの至近距離。
 青子は目を丸くして快斗を見つめ返し、それからきょとんと首を傾げた。

「なに?」

 なに?じゃ、ねーよ。
 ちょっとは怖がれ、と思いながら、近い距離のまま息を殺した。青子は思案顔で快斗を見つめ続ける。しばらくのあと、青子は快斗の頬に両手を宛てがった。
 そのまま、ぐき、とねじる。

「いててててて」
「あ、取れない」
「ああ!?」
「前に青子のパンツ見たときみたいに、また何か仕掛けてるのかと思ったのに」

 青子は不満げに顎を引き、なーんだ、と呟いた。青子が不満に思う理由が快斗の行動にあるのではなく、「たいした仕掛けもないのがつまらないから」という事実にたまらなく凹まされる。それは自分の取った行動が無意味と断じられるのに等しかった。
 ああ、こいつにとって俺ってなんなの。
 自問してから、いつも手近に転がっているその答えを拾い上げる。
  ───「幼なじみ」。うん。分かってる。
 17才になっても背が伸びても声が変わっても、青子にとって俺は、初めて会ったときのチビのままなんだろう。
 17才になって背が伸びて髪も伸びて、自分の首筋や細い手首が甘やかな気配を纏い始めていることに、青子は気付いていないのだ。

「…あいかわらずムネはねーけどな」

 おっと。心の声が漏れてしまったぜ。
 言葉を耳に入れた途端、青子はぎっと目を険しくした。クイックモーションの素早さで、二人分のコントローラーを快斗に向かって投げつける。ひとつはなんとかかわしたが、近すぎる距離が災いして、もうひとつは見事に快斗の眉間にヒットした。

「まだ触ってねーだろ!?」

 言うが早いか、ソファの上のクッションが顔面めがけて飛んでくる。ぼふ、と音は間抜けだが、それだけに精神的ダメージは大きい。
 くそう。どうせなら触っときゃよかった。


作品名:ブルー・カーバンクル 作家名:雀居