こずみっくな日々
1:現実
「お父さんの子供の頃はパソコンなんて贅沢なものだったんだけどなぁ。」
青い縦縞の寝巻きのまま、掌で少し伸びた顎ひげの具合を確かめながら言った。
紅太は目の前にあるノートパソコンと、眠そうに欠伸をする父親の顔を交互に見た。
このパソコンが自分へのプレゼントである事に気づいたのは、後ろに居た母親の「よかったわね。」というため息交じりの言葉を聞いてからだ。
今まで遊んでいたゲームと言えば、テレビに映像を映す据置機と言われるもの、もしくは掌に乗るほどの大きさで小さい液晶モニターのついた携帯型といわれるものだけだった。
ただ、最近クラスで流行っているのはインターネットに接続し、顔さえ分からない人たちと遊ぶことができる、所謂ネットゲームというジャンルだ。
紅太自身、パソコンというものにあまり興味がなかったが、さすがにクラスの男子の7割ほどが遊んでいるということならば参加せざるを得ない。
仲間はずれだけは避けなければならないのだ。子供の世界で一緒に遊べないというのはつまりそういう事だ。
紅太はとりあえずパソコンを父親に強請った。幸い父親の仕事はパソコンを使う仕事、世間で言うところのIT系の職業だ。小学校低学年あたりで書かされた「おとうさんのおしごと」という内容の作文を書くにあたって聞いた話だ、プログラムがどうとか……、もう忘れてしまったが。
そんな父親だから、パソコンを強請るときにこう言った。
「僕もお父さんみたいになりたい。だからパソコンの勉強したいな。」
そうして2日後の土曜日の朝、目の前にパソコンがあるということは効果はテキメンだった、ということだろうか。
少々ズルイ気もしたが、背に腹は代えられぬ。実際のところ、父親の仕事の内容に悪いイメージはない。「父親のようにはなりたくない」などの反抗的な気持ちもないのだから、パソコンの勉強も、たまにはするだろう。することにする。
父親が母親にパソコンの購入金額についてチクチクと責められているところに割り込むように、紅太は父親へ抱きついた。
「お父さん、ありがと。がんばって勉強するからね。」
少し驚いた父親の表情を上目使いで見つめる。顎に触れていた彼の大きな掌が頭の上にの乗ると紅太は嬉しそうに微笑んだ。
その様子を見た母親はこう呟いた。「あんたはパパの使い方をよく分かってる。」と。
父親が比較的軽がると持ち上げていたノートパソコンも小学生の高学年になりかけている紅太にとっては若干重いものだった。
ただ、その重さも、パソコンのありがたみみたいなものが感じられ、机に乗せる間も口元はニヤニヤしっぱなしだった。机の下にある電源のコンセントにケーブルを繋ぎ、机の上に置かれた真新しいノートパソコンに繋ぐ。
パームレスト右側のランプ類に通電を示すオレンジ色が点灯すると、いよいよ興奮する。
思わずパソコンに向かって手を合わせ
「お父さん、嘘ついてごめんなさい。でもちゃんとがんばります」
と一人呟く。
肝心の電源ボタンらしきものが見当たらず、慌てて床に放り投げてある説明書に目を通す。
てっきりボタンだと思っていたものが、実はスイッチをスライドさせることによって電源が入る仕組みだと知るとそのスイッチに指を添え、ぐっと横にスライドさせた。
ぱっと液晶モニターが反応し、遅れてノートPCの中からファンの風を切る音が聞こえ始める。OSが立ち上がる様子と、新品独特の匂いに小躍りしてしまいそうだ。
そんな紅太の様子とは対照的にノートパソコンはあっさりと起動した。何の苦労もない、呆気なさに少し冷静を取り戻したのか、椅子に座ると、カーソルを操作するためにタッチパネルに指を滑らせた。
指の動きにあわせ従順に動き回るマウスカーソルを確認すると、パソコンに詳しい友人から渡されたプリント用紙を机の引き出しから取り出した。
「い、意外と、めんどくさい……。」
PCはただ立ち上げただけではインターネットには繋がらず、結局父親立会いの下、ネット接続を果たし、そのあとはキーボードの配列と格闘し、さらにブラウザの使い方に四苦八苦し、ゲームの公式サイトでのユーザー情報入力画面で、自身のメールアドレスがない事に気づき、また父親の手を借りてフリーのメールアドレスを取得し、そうしてゲームのユーザー登録を終え、公式サイトからの登録完了通知を待つばかりとなったところだ。
すでに心が折れそうではあったものの、公式サイトに載っている勇壮な騎士、炎をまとった宝玉のついた杖を振り回す魔法使い、ちょっと肌の露出があり、正視するには気恥ずかしい女の子の僧侶、それらを見ると萎えかけた気持ちもまた昂ぶるもの。
公式サイトに載っているゲームの操作方法やキャラクターメイキング、ストーリーなどに目を通しているとついに公式サイトからのメールが到着する。
待ってましたとばかりにマウスカーソルを動かしメールを確認した。
『登録完了いたしました。』