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美夜(みや)
美夜(みや)
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小説版アマガミ ~森島先輩はそこにいる~

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 説明が終わると、その決して良いとは言えない彼の噂を聞いたからか微妙そうな顔をした。
 女子からはともかく、男子からは好かれてるとは言い難いからなぁ。
「そうだ、はるか。とりあえず手紙読んでみたら?」
「あ、うん」
 僕が受け取った分も森島先輩に渡した。
「えっと……ふむふむ……」
 先輩が手にしている手紙を読んでいるその様子は、恋文を読んでいるとは思えない、事務的に処理されている感じがあった。
 これも百戦錬磨であるが故か。
「あっ?」
「ど、どうかしましたか?」
「ありゃ、これはまずいかも」
 どうやら森島先輩が読んだその手紙にはどちらも同じ日で、しかも同じ時間に会いたいという旨が記されていたようだった。
 しかし先輩方二人はさほど狼狽の体(てい)というわけではなかった。こういった事態に慣れているからなのか、それともこのお二人の年上としての大人な対応力から来るものなのかは分からなかった。分からなかったが、その冷静さには少しく目を見張るものがあった。
「あ、そうそう。下手にふると怖いから、ちゃんと優しくふってあげなよ」
「怖いこと言わないでよ。もう……」
 なるほど、塚原先輩からのこういう陰ながらの適切なアドバイスがあったから、これまでの森島伝説はつくられてきたのだなと感心していた時、僕の中で急激に差し迫るものを感じ、我に返ったように二人の話に食いついた。
「あ! や、やっぱり断るんですか?」
「う~ん、どうしようかなぁ……」
「高校三年間で一度も付き合わないままでいいの? 試しに付き合ってみれば?」
 つ、塚原先輩……。
「いやぁ……そう言われてもなぁ……」
「誰かと付き合っちゃえば、もう告白されることもないと思うけど?」
 確かにそうだ。
 森島先輩に恋人ができれば、もうこれまでのような“撃墜女王”じゃなくなるんだ。それに、森島先輩がいつどの男にOKを出すかなんてビクビクする必要なんかなくなるんだ。
 その役こそ僕が担(にな)わなければ意味がない。
「むむむ~……いやはや、人気があり過ぎるもの困りものねぇ……」
「全く、ぜいたくな悩みね」
 と言って塚原先輩は笑った。
「あら? もしかして妬いてくれてるの?」
「ええ、とても羨ましい。私も同級生や後輩からラブレターを貰ってみたいわ。それで同じ日同じ時間に呼び出されて、校内を全力疾走したいわね」
「もう、ひびきのいじめっ子!」
「目の前の二年生もはるかにお熱みたいだしね。何かもてるコツでもあるの?」
「え?」
 僕は再び我に返った。
 心の中を隅から隅まで言い当てられたような気がして、何も言い返すことが出来なかった。
 塚原先輩は、そんな一言も発せずにいる僕の表情を見ながら微笑した。
「図星だったかな?」
「そ、それはその……」
 森島先輩がいる前で、そんな、何て言えば……。
 体温がみるみる上がって、頭のてっぺんまで熱くなったのが自分でも分かった。
「もう知らない! ひびきの意地悪!」
 最初にいたたまれなくなったのは森島先輩だった。先輩は逃げるようにしてその場を去って行った。
 僕の側(そば)をよぎる瞬間、その白い顔がほの赤く染まっていたのを認めた。
 その背中を追って塚原先輩も駆け出した。いかにも森島先輩の保護者みたいな台詞とともに。
「もう、はるかったら……ちゃんと最後まで話を聞きなさ~い」
 え? あ、あれ? 
 もしかして喧嘩? 
 まずい! 追いかけて止めないと!
 僕も二人の後を少し遅れて追いかけた。


 二人を捜しまわって校舎を歩いて回ったけど、すぐにテラスで和やかに過ごす二人を見つけて、一安心した。
 あのやり取りはなんだったんだろう。
 喧嘩じゃないのか。
 それにしても、森島先輩と塚原先輩の関係ってなんか不思議だよな……。
 あの様子だと僕が思っている以上に二人の距離は近いのかも。

 ――ラブレターの話の時にはあれだけ余裕な顔だったのに、僕の事になると、森島先輩ははじめて動揺したような表情になるんだよな……。
 って、考えすぎか!

 
 

 なんだか今日の授業は特にだるかった。集中力が続かなくて、ほとんどノートと時計の往復しか記憶に残っていない。とりあえず機械のように板書の内容を数行だけ写しては、もう三十分は経っただろうと思って時計を見ると、五分くらいしか経ってないことに驚いて、集中しなきゃと思ってまたノートかぶりつくものの、また時計を見ても一向に時間が進んでいなくて……。
 最近、やけに授業に興味が持てない。心が上の空というか、例えるなら、授業中にだけ意識がふわふわと教室の外へ浮かび上がって行っているような。
 とは言え、僕は普段から熱心に勉強に取り組むようなヤツではないんだけど。
 意識を目の前のノートや黒板や先生の声に集中しようとすると、それを何かが邪魔しているような気がする。
 うーん、違うな。
 邪魔しているというより、僕の中で凝り固まった何かが石のように居座って、意識がそっちの方に行かないようにしているというか。
 昇降口を出ると、すぐに夕日に照り映えた噴水が見えた。
 ここから見る噴水の清流は、そこだけ真空であるかのように静かに輝く金色だった。
 ついこの前、そこに森島先輩が座っていた。確かに、そこにいた。
 その時のシルエットはまだ僕の心の中に刻み込まれていて、はっきり覚えている。
 噴水の縁に座って水面(みなも)に目を落とす姿。
 片方の手はその縁に、もう片方はスカートの上に。
 スカートから伸びた両足は地面に添えるように。
 気品漂う、柔らかなその輪郭、体躯。
 僕は少しずつ先輩の影をそこに蘇らせはじめた。
 僕の中に浮かぶ幻の精一杯を。
 心に浮かぶシルエットから、先輩の睫毛(まつげ)や唇の厚みから肌の滑らかさといった細部をじんわりと再現していく様は、インスタントカメラの写真が次第に現像されてゆっくりと人物や風景が現れていくようだった。
 すると突然、そこに先輩の実在が感じられないことが耐え難くなった。
 これだけ先輩の存在感や質感を僕の中で再現できるのに、今ここで、実際には感じられないことに、突如として空虚を感じ始めた。
 立ち尽くしている僕の頬や首筋に最後の秋風がにわかに吹き過ぎた。
 そしてたった今、冬の季節は完全にそこにあった。
 この心寂しい感じ……。何だろう。
 まさに今、僕の隣に、森島先輩にいてほしい。


 僕のような帰宅部の生徒たちはもうこの時間になるとほとんど帰っている頃だ。僕の周りには、樹木に添えられたベンチに座って話をしている生徒が一組、二組、見受けられるくらいだ。
 そして今、鞄を持って校門へと歩いている生徒は一人、二人……。
 あ。
 あれは……。
 髪型。腰回りや脚。オーラ。
 間違いない。
 僕は意のままに想像の世界と現実の世界が合わせ鏡になった、ほとんど瞬きの間の神秘な瞬間に立ち会ったような気がして身震いした。
 ――後を追おう。
 僕は第一声で先輩に何て声を掛けようか考えつつ、早歩きで先輩との距離を縮めた。
 すると右側から白っぽい服の生徒たちが四、五人、先輩に近づき始めた。
 あのユニフォーム。野球部だ。