小説版アマガミ ~森島先輩はそこにいる~
何やら先輩に話し掛けて、楽しそうに談笑してるぞ。
何をそんな笑いながら話すようなことがあるんだ。
早く練習に戻れよな。僕は今まさに「下校デート」という大事なミッションを課せられたばかりなんだぞ。
お、ようやく野球部がグラウンドの方に戻って行った。
急げ急げ。
先輩は校門をくぐり、鬱蒼(うっそう)と茂る雑木林の中にコンクリートで切り開かれた下り坂を下って行った。
よし、ここで声を掛けよう。
しかし、その下り坂を下り終えて歩道に出た瞬間に、ランニング中の運動部が現れた。
あれはバレー部か。
挨拶してる。
良かった。すぐ去ってくれた。
今度こそ……。
僕は焦らずに同じ歩調で、徐々に先輩の背中へと近づいて行った。
って、あれ? 先輩が歩道の左脇にある林の中に入って行ったぞ。
こんなところに道なんてあったっけ?
迷ってる暇はない、僕も追いかけるか。
先輩が入って行った、うっすらと暗い林の中に僕も分け入った。
うわぁ、道なき道って感じだ。
先輩はこんな獣道を通って、一体どこに行こうっていうんだ。
でもさすがは最上級生の先輩。こんな秘密の抜け道を知っているのか。
その木々に囲まれた暗がりが終わると、突然、さっき見てきた校舎や花壇が現れた。
あ、ここに出るのか。っていうかこれじゃ逆戻りしてるじゃないか。
先輩はどこだ……。
いた! よし、ここなら誰も……ああっ!
あ、あの白衣の連中は……生物部か!?
くそっ。またしても森島先輩と楽しげに会話を!
何が冬眠中のカエルだよ。よくそんな話題であんなに盛り上がれるもんだな。
オケラは嫌いって。僕は生物部が嫌いになりそうだよ。
――長い。
先輩が生徒に関わらず多くの先生からも知られていて、学校中で人気が轟いているのはずっと前から知っていたけど、改めてこうやって見せつけられると何だかキツイものがあるな。
まぁ、それだけ先輩が美しいということなんだろうけど。
先輩は生物部の生徒に手を振り、さっき通って来た獣道へと戻りはじめた。
あっ! 別れたぞ!
じゃあここで少し待って時間差をつけてから行こう。そして歩道に出た時、すぐに先輩に話し掛けよう。
すぐにだ。
僕はそうして立ったまま、自分の高鳴る鼓動をしばらく聞いた。
そして、駆けた。
「も、森島先輩!」
と僕は出来るだけ偶然を装って必死な感じは出さずに、しかし、しっかりと声を張ってその名を呼んだ。振り返った先輩は僕の想像に収められている通りの凛とした美貌だったが、先輩の口から発せられた反応は相変わらず天然だった。僕はそれに危うく完全にペースを乱されてしまうところだった。
「ところで森島先輩って、色々な部活に知り合いが多そうですね」
「ええ、昔所属してたからね」
「え? 生物部所属だったんですか?」
「うん。それと、野球部とバレー部とバスケットボール部……あ、後は天文学部と漫画研究部にも居たかな」
僕は驚愕するとともに、先程までの一連のシーンの謎が解けた。だから先輩はあんなに色んな部活の生徒たちと仲が良かったのか。
「一年生の頃は、誘われた部活にすぐ入部してたんだけど、しばらく活動してると、何か違う気がしちゃってね……いやはや」
「へ~……何が違ったんですかね?」
「う~ん……部活のみんなはすごくいい人たちばかりだし、一緒にいて楽しいんだけど、どうも束縛されるのが駄目みたい」
僕が想定していた以上の先輩の自由奔放さに驚いたが、その自分の意思のままに動く姿、自由のままに生きる姿がとても森島先輩らしいと思った。何故だかは知らないけれど、これを聞いた時、僕の心に深く迫るものを感じた。僕が先輩を好きな理由をもう一つ見つけられた喜びなのか……それはまだ分からなかった。
「結局ひびきに怒られて、二年生になってからは誘われても部活はやってないの。楽しいんだけどねぇ……難しいね。皆には悪いことしちゃった」
この、一つ間違えれば危険な領域に落ち込みそうなところを無事に保っている、気まぐれさと好奇心旺盛さの危うい均衡。それを先輩の魅力が秩序立てていたというかつての現実。僕は今、ただそれを受け止めるだけだった。
「その割には部活のメンバーとは今も仲が良さそうでしたけど」
「そそ! そうなの。皆優しいねぇ」
思わずさっき見てきた部活動生とのやり取りのことを話に持ち出してしまい、ストーカーを疑われないかと一瞬ヒヤッとしたが、これも先輩の天然さで気づかれずに済んだ。
その疑惑を掘り返されないように誤魔化したかったわけではないが、さっきから頭の中にあったことを滑るようにそのまま口にした。
「……それは先輩の魅力だと思いますよ」
「わお、お上手ね橘君」
「事実ですから」
「こらこら、年上をからかうもんじゃないぞ!」
その言葉はいかにも年上らしさを丸出しにしたもったいぶった口調に聞こえた。しかしそれが逆に心地良く聞こえた。
「か、からかってないですよ」
「ふふっ、そっか。ありがと。……途中まで一緒に帰ろっか?」
「あ、はい」
その帰り道は、僕のこれまでの高校生活の中で最も眩しかった。斜陽(しゃよう)から無数に伸びる真鍮(しんちゅう)のような光が時折僕の目をちらついたせいかもしれないが、幾度となく登下校を繰り返す中で見慣れた風景は、見渡す限りいつも以上に輝いていた。ガードレール、カーブミラー、密集した住居……、それらが黒いアスファルトに落ちて、今にも闇夜と同化しようとしている影でさえも。
いつもは先輩を真正面でしか見ることがないが、今では僕のすぐ隣にいる。いるだけじゃなくて僕と歩調を合わせて一緒に歩いてくれている。僕はこの近さが信じられなかった。告白してフラれて。あんなことがあったのにこんなに近くにいてくれている。距離的にも気持ち的にも。
僕が一つ二つ話題を振っただけで楽しそうに話してくれる。誰がいつ、どこでどうしたとか。
前に保健室で僕に言ってくれた「気に入っている」という言葉。その言葉を今、隣で塚原先輩も意外とドジだという趣旨の話をしてくれている先輩の嬉しそうな笑顔を見ながら思い出した。その些(いささ)かも壁を感じない屈託のない笑顔を、先輩に気づかれないように、カメラで写真に収めるようにそっと胸に畳んだ。
こんな風に自宅の床で這いつくばってどんどん重くなっていく両腕を曲げたり伸ばしたりして何の意味があるのかと聞かれたら、たぶん答えられないかもしれない。突然、何かに駆られたように腕立て伏せを始めてみたが、自分の身体のあまりの貧弱さに驚いた。
確かに僕は高校に入学してからというもののずっと帰宅部で、これまで運動する習慣は体育の時間以外はほとんどなく、学校から家に帰ってきてやることといったら漫画を読むか、ゲームをするかくらいだった。そんな自分が急にとってつけたように運動習慣なんて付くわけがない。それは仕方のないことだ……とは思うが、それでもその生活習慣をさっぱりと変えたいと思うだけの理由が今の僕にはある。
作品名:小説版アマガミ ~森島先輩はそこにいる~ 作家名:美夜(みや)