『未満』――背中合わせの冷たい熱
『未満』――背中合わせの冷たい熱
――――引き留めたのは、俺だった――――
「アーチャー、あんたは……」
「さっさと寝ろ」
ピシャリと言われて士郎はかたく目を瞑る。
背中に感じる温もりに安堵を覚えたのはいつからか。
この家に自分以外の存在が常に居るのはいつぶりか。
(俺は……)
背中合わせで同じ布団に入ることに、士郎は少し慣れた。対するアーチャーも同じように慣れたのだろう、このところ文句を聞かない。
男二人で、なぜ同じ布団に入らなければならないのか、などと不機嫌に吐き捨てていた彼が、今では毎夜、さも当然の如く士郎と同じ布団で横になっている。
当然、それには理由というものがあるのだが……。
士郎はアーチャーと契約を結んだ。
無理やりに引き留めたカタチになったアーチャーとは、どうにか契約が成っている。
契約は成った。
そう、契約は成ってしまったのだ。
何せ、衛宮士郎なのだ。契約をするにはしたが、そうそう事はうまく運ばない。何もしなければアーチャーに魔力が流れていかず、こうして極力近くにいて魔力を供給するという事態に陥った。
近づいているだけで魔力を補給できるとは、ワイヤレス充電器のようだ、と士郎は少し自嘲気味に思っていた。何しろ、使い魔を持つような魔術師であれば、魔力の供給は契約とともに勝手に成されることなのだから。
だが、士郎には、その当然のことが、簡単にできない。魔術師として正しい知識と技術を学び始めたのはほんの少し前、聖杯戦争がはじまってからだ。だというのに、身に余るサーヴァントなどと契約をしたものだから、身の程知らずだと揶揄されても反論できる要素はない。
そういう状態であるために、士郎とてどうにか対処しなければ、と意気込んだ。何もしなければ、アーチャーをみすみす座に還してしまうことになる。それだけは絶対に避けたい事態だった。
しかし、現実とは酷薄なもので、魔術の知識にしても技術にしても、士郎には師匠である遠坂凛から与えられた課題をこなすことでやっとの状態である。さらに、アーチャーと契約しているにも関わらず、魔力の方はアーチャーに供給されていない、という歪な契約状態。
魔術師としては落第生。所謂、へっぽこ魔術師だ。
諸々の事情を解消し、尚且つ互いの尊厳を失わないギリギリの方法ということで、毎夜、アーチャーと同衾して魔力を供給することになっている。
アーチャーとて納得しているわけではないことは士郎にもわかる。こんな契約、いつでも破棄してやると言われてもおかしくはない。しかし、最初の夜に散々文句や厭味やらを言っていたアーチャーが、それきり何も言わず、いつ寝首を掻かれるかとヒヤヒヤしていた士郎と背中合わせでおとなしく横になっている。
殺し合ったアーチャーが何を考えているかわからない。もしかするとアーチャーも、士郎の考えがわからないのかもしれない、とは思いながら、士郎はアーチャーを引き留めた理由を明確にした覚えはない。
アーチャーは、何を話し合うこともないのが自分たちだと、思っているのかもしれないと士郎は思うことにした。細かいことを言えば違うのかもしれないが、同じ存在である。自分のことは自分が一番理解しているように、士郎とアーチャーも互いが一番理解していると認識している。
だから、説明する必要も義理もない。そんなふうに士郎は考えた。その理屈は通っていると自負している。
ただ、士郎の本心は少し違う。
そう思うことにして逃げているのだ。
座に還ろうとする彼を黙って見送ることができなかったとは、口が裂けても言えないことだとわかっていたから、逃げるしかない。
無茶な契約を強行したのは、その気持ちが大部分を占めている、とは言ってはいけないことだった。士郎とアーチャーの間では。
聖杯戦争の終結から、はや一か月。世の中は春の気配が近づき、卒業のシーズンだ。士郎の通う穂群原学園でも、先日卒業式が行われ、士郎はもうすぐ最高学年になる。
(一年後には、俺も卒業か……)
いまだ行き先など、靄の向こうで見えない。だが、遠い先のことなら見えている。
今、背中を合わせる存在、アーチャーこそが、士郎の身据える未来だ。
(俺に、歩めるんだろうか……)
未来を思うとき、士郎はどうしようもない恐怖心に苛まれる。アーチャーの辿った道を自身も辿るのだと知ったときの、歯の根の合わなくなるような感覚、心が欠けそうだとはっきり自覚した瞬間。
それはやはり、恐怖心というものなのだろう。
自身を省みることのほとんどなかった士郎にとっても、アーチャーの歩んだ険しい道程は、眩しいと思う反面、何よりも恐ろしい道だった。
行く末を知らずに歩んだ者と、行く末を知った上で歩む者。どちらが過酷かといえば、その道程だけのことでいうならば、後者だろう。
過酷な道を知った上で歩むことは、何も知らずに歩むよりも数倍強い心が必要だ。
“知っている”という不幸は、存外、心を挫く。
「っ……」
強張る両手で口を覆い、士郎は震えを押し殺す。
アーチャーに気づかれてはならない。
たとえ誰に知られても、アーチャーだけには、気づかせるわけにはいかないのだ。
アーチャーを引き留めたのは士郎だ。アーチャーに己の歩む姿を見ていろ、と胸を張って。
やせ我慢というべきか、考えなしだったというべきか、士郎は今さらながら、自身の勇み足を後悔している。
(だけど、あの、守護者ってやつには……)
アーチャーが続ける霊長の守護者。その役回りを聞いてしまえば、誰だって引き留めるだろう。
(ここで、少しでもいいから……、ほんの少しだけ、息抜きでもって…………思うんだ……)
アーチャーの運命は、すでに変えようがない。座に戻れば、また守護者として殺戮を繰り返す装置の役目を果たすのだろう。
(だから、今だけ……)
肩越しに、ちらり、と背後を窺う。士郎よりも肩幅が広いせいか、暗い色のシャツが見えた。
(肩、出てる……。絶対、布団からはみ出てるよな……)
一人用の布団で、しかもアーチャーの体格であれば掛布団も敷布団も足りないだろう。
そっと顔を戻して、シーツを握りしめる。
振り向くことは絶対にしない。
それは、暗黙のルールだ。
アーチャーは、やりたくてこんなことをしているのではないと、士郎は知っている。
士郎の追う背中は、温もりを持っているが、そこからは冷たい空気感が発せられている。その背中に拒絶されていることを士郎は嫌というほど知っていた。
未熟者の士郎に否応なく引き留められ、士郎の不甲斐なさで毎晩同衾させられているのだ、我慢に我慢を重ねているのは、火を見るよりも明らか。
薄いのか、か細いのかはわからないが、士郎から微かに流れてくる魔力を糧に、どうにか現界ができているものの、アーチャーはいつ魔力切れを起こして座に還ってしまうかわからない。
(頑張らないと……)
アーチャーを繋ぎ止めるために、アーチャーに流す魔力量を増やし、魔術の向上に努めることを士郎は心に誓って瞼を下ろした。
***
(またか……)
背中を合わせた契約主、士郎から、冷たい記憶が流れてくる。
――――引き留めたのは、俺だった――――
「アーチャー、あんたは……」
「さっさと寝ろ」
ピシャリと言われて士郎はかたく目を瞑る。
背中に感じる温もりに安堵を覚えたのはいつからか。
この家に自分以外の存在が常に居るのはいつぶりか。
(俺は……)
背中合わせで同じ布団に入ることに、士郎は少し慣れた。対するアーチャーも同じように慣れたのだろう、このところ文句を聞かない。
男二人で、なぜ同じ布団に入らなければならないのか、などと不機嫌に吐き捨てていた彼が、今では毎夜、さも当然の如く士郎と同じ布団で横になっている。
当然、それには理由というものがあるのだが……。
士郎はアーチャーと契約を結んだ。
無理やりに引き留めたカタチになったアーチャーとは、どうにか契約が成っている。
契約は成った。
そう、契約は成ってしまったのだ。
何せ、衛宮士郎なのだ。契約をするにはしたが、そうそう事はうまく運ばない。何もしなければアーチャーに魔力が流れていかず、こうして極力近くにいて魔力を供給するという事態に陥った。
近づいているだけで魔力を補給できるとは、ワイヤレス充電器のようだ、と士郎は少し自嘲気味に思っていた。何しろ、使い魔を持つような魔術師であれば、魔力の供給は契約とともに勝手に成されることなのだから。
だが、士郎には、その当然のことが、簡単にできない。魔術師として正しい知識と技術を学び始めたのはほんの少し前、聖杯戦争がはじまってからだ。だというのに、身に余るサーヴァントなどと契約をしたものだから、身の程知らずだと揶揄されても反論できる要素はない。
そういう状態であるために、士郎とてどうにか対処しなければ、と意気込んだ。何もしなければ、アーチャーをみすみす座に還してしまうことになる。それだけは絶対に避けたい事態だった。
しかし、現実とは酷薄なもので、魔術の知識にしても技術にしても、士郎には師匠である遠坂凛から与えられた課題をこなすことでやっとの状態である。さらに、アーチャーと契約しているにも関わらず、魔力の方はアーチャーに供給されていない、という歪な契約状態。
魔術師としては落第生。所謂、へっぽこ魔術師だ。
諸々の事情を解消し、尚且つ互いの尊厳を失わないギリギリの方法ということで、毎夜、アーチャーと同衾して魔力を供給することになっている。
アーチャーとて納得しているわけではないことは士郎にもわかる。こんな契約、いつでも破棄してやると言われてもおかしくはない。しかし、最初の夜に散々文句や厭味やらを言っていたアーチャーが、それきり何も言わず、いつ寝首を掻かれるかとヒヤヒヤしていた士郎と背中合わせでおとなしく横になっている。
殺し合ったアーチャーが何を考えているかわからない。もしかするとアーチャーも、士郎の考えがわからないのかもしれない、とは思いながら、士郎はアーチャーを引き留めた理由を明確にした覚えはない。
アーチャーは、何を話し合うこともないのが自分たちだと、思っているのかもしれないと士郎は思うことにした。細かいことを言えば違うのかもしれないが、同じ存在である。自分のことは自分が一番理解しているように、士郎とアーチャーも互いが一番理解していると認識している。
だから、説明する必要も義理もない。そんなふうに士郎は考えた。その理屈は通っていると自負している。
ただ、士郎の本心は少し違う。
そう思うことにして逃げているのだ。
座に還ろうとする彼を黙って見送ることができなかったとは、口が裂けても言えないことだとわかっていたから、逃げるしかない。
無茶な契約を強行したのは、その気持ちが大部分を占めている、とは言ってはいけないことだった。士郎とアーチャーの間では。
聖杯戦争の終結から、はや一か月。世の中は春の気配が近づき、卒業のシーズンだ。士郎の通う穂群原学園でも、先日卒業式が行われ、士郎はもうすぐ最高学年になる。
(一年後には、俺も卒業か……)
いまだ行き先など、靄の向こうで見えない。だが、遠い先のことなら見えている。
今、背中を合わせる存在、アーチャーこそが、士郎の身据える未来だ。
(俺に、歩めるんだろうか……)
未来を思うとき、士郎はどうしようもない恐怖心に苛まれる。アーチャーの辿った道を自身も辿るのだと知ったときの、歯の根の合わなくなるような感覚、心が欠けそうだとはっきり自覚した瞬間。
それはやはり、恐怖心というものなのだろう。
自身を省みることのほとんどなかった士郎にとっても、アーチャーの歩んだ険しい道程は、眩しいと思う反面、何よりも恐ろしい道だった。
行く末を知らずに歩んだ者と、行く末を知った上で歩む者。どちらが過酷かといえば、その道程だけのことでいうならば、後者だろう。
過酷な道を知った上で歩むことは、何も知らずに歩むよりも数倍強い心が必要だ。
“知っている”という不幸は、存外、心を挫く。
「っ……」
強張る両手で口を覆い、士郎は震えを押し殺す。
アーチャーに気づかれてはならない。
たとえ誰に知られても、アーチャーだけには、気づかせるわけにはいかないのだ。
アーチャーを引き留めたのは士郎だ。アーチャーに己の歩む姿を見ていろ、と胸を張って。
やせ我慢というべきか、考えなしだったというべきか、士郎は今さらながら、自身の勇み足を後悔している。
(だけど、あの、守護者ってやつには……)
アーチャーが続ける霊長の守護者。その役回りを聞いてしまえば、誰だって引き留めるだろう。
(ここで、少しでもいいから……、ほんの少しだけ、息抜きでもって…………思うんだ……)
アーチャーの運命は、すでに変えようがない。座に戻れば、また守護者として殺戮を繰り返す装置の役目を果たすのだろう。
(だから、今だけ……)
肩越しに、ちらり、と背後を窺う。士郎よりも肩幅が広いせいか、暗い色のシャツが見えた。
(肩、出てる……。絶対、布団からはみ出てるよな……)
一人用の布団で、しかもアーチャーの体格であれば掛布団も敷布団も足りないだろう。
そっと顔を戻して、シーツを握りしめる。
振り向くことは絶対にしない。
それは、暗黙のルールだ。
アーチャーは、やりたくてこんなことをしているのではないと、士郎は知っている。
士郎の追う背中は、温もりを持っているが、そこからは冷たい空気感が発せられている。その背中に拒絶されていることを士郎は嫌というほど知っていた。
未熟者の士郎に否応なく引き留められ、士郎の不甲斐なさで毎晩同衾させられているのだ、我慢に我慢を重ねているのは、火を見るよりも明らか。
薄いのか、か細いのかはわからないが、士郎から微かに流れてくる魔力を糧に、どうにか現界ができているものの、アーチャーはいつ魔力切れを起こして座に還ってしまうかわからない。
(頑張らないと……)
アーチャーを繋ぎ止めるために、アーチャーに流す魔力量を増やし、魔術の向上に努めることを士郎は心に誓って瞼を下ろした。
***
(またか……)
背中を合わせた契約主、士郎から、冷たい記憶が流れてくる。
作品名:『未満』――背中合わせの冷たい熱 作家名:さやけ