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スターダスト・アイスクリーム

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「スターダスト・アイスクリーム」

 のどが渇いた。

 そう心の中で発すると粘膜の乾きがいっそう輪郭を濃くする。
 長いプラチナブロンドの髪が乱雑に扱われ、それでも真っ直ぐに美しく伸びている。その持ち主である少女、ナターリヤは腰を下ろしたベンチの上で敷石にため息を吹きかけた。
 彼女自身がため息を好いていないため、単なる呼吸として収めていたがその重さ、色どれをとっても、ため息と分類するのがふさわしい。

 庭園に備え付けられたベンチに座る彼女の隣に、イヴァンの姿はない。
 愛しい兄を求め再び会議会場に忍び込んだはいいが、目当ての兄はナターリヤの姿を見つけた途端、全速力でどこかに走り出してしまったのだ。
 当然ナターリヤも追いすがったが、早朝の待ち伏せのために朝食も抜いてきたからか、スタミナは兄よりも早く尽きてしまい、一人残された彼女がこうして失意による停滞の様相をみせているのだ。
 逃走という現実をまざまざと見せつけられた彼女は打ちひしがれるまでにはいかなくとも、多少の打撃を受けこうして座り込んでいるのだ。

 温かい南欧の日差しはナターリヤの項を焼く。会場に選ばれたホテルでは広大な庭園が売りのようでナターリヤの目前にも彩り豊かな花と鮮やかで生命力をそのまま姿にしたような芝の青が広がっているが、見るものの目を喜ばせるはずのそれらは今のナターリヤには何の意味も為さない。

 彼女を高めるのも貶めるのも、感情のスイッチは全て兄が握っているのだ。
 たとえ今、暑さがその身をじりじり苛んでいても、ナターリヤの信念と愛情を曲げることは太陽にもできない。

 「やぁ、疲れているのかい?」
 声は求めているものとは全く違う、いやに朗々としたものが降り注ぐ。即座の反応で、ナターリヤは元から険しい眼光をさらにまがまがしい敵意を乗せる。
 声の主であるアルフレッドはそれを知ってか益々のスピードと明るさを持った空気をナターリヤの胸元に押し寄せる。それを振り払うためにもさらに表情を険しくさせ、アルフレッドに対する壁を厚くさせた。
 兄が会議に参加しているのなら、気に食わないこの男も同席しているということに繋がる。そのことも忘れ暢気に日の光を浴びていた自分自身に舌打ちを行い、すぐさま、普段なら避けて視線も言葉も交わさない男に対して同じように舌打ちを向けた。

 いけ好かない、大嫌いな、浅はかで無遠慮な、子供。彼女にとってアルフレッドは、喧しい他の欧州の国々よりさらにマイナスの冠詞が付いたそういう存在であった。

 アルフレッドはきっちりと仕立てられたスーツを少し余裕を持って着こなし、彼女に笑顔を注ぎ込む。
 その手には片手で余るほどのアイスクリームのカップが握られており、会議に合間にも関わらずスプーンを絶え間なく動かして口に運んでいる。
 その様子はナターリヤを呆れさせるのに十分であった。
 「君、随分参ってるみたいだよ。甘いものでも食べてリフレッシュしたら?」

 アルフレッドが差し出した彩りのあるカップには、更にカラフルなアイスクリームがこんもりと乗っていて、ナターリヤは心中で下品な色、と呟く。

 この男との関係はとっくに進むことをやめてしまったため、表層に嫌悪を発そうが、もうどうにもなることはない。もう二人の関係は道を塞いでいて、互いに違う行き止まりで吠えているにすぎない。
 それでも、アルフレッドは言葉を投げかけることもナターリヤに笑顔を見せることもやめない。これが何かの嫌がらせだったなら合衆国はよほどのへそ曲がりだと言えるだろう。
 現に、男の唇の端は上がっていて、暑さにあえぐナターリヤをあざ笑う形にも見える。その表情のまま許可も求めずナターリヤの隣に座り込み足を組んだ。
 本来ならそこは兄の場所であるべきなのに、そのことがナターリヤの剣呑さを加速させる。

 「冷たい食べ物は嫌い」
 「そうかい、すっごくおいしいのにな」
 ナターリヤの鋭い切り替えしにもアルフレッドの陽気な調子は止まらない。

 殴ってでもやらないとこの減らず口は尽きそうにもない様子だが、ナターリヤは手袋で包んだ掌をぐっと固め、ふつふつと沸く怒りを逸らそうとする。
 殴るのは簡単だが、単なる暴力は自らの立つ瀬も兄の安穏さも脅かすことになるかもしれない。恐れはなかったが、面倒と兄の悲しみを嫌うナターリヤは、無言のままこの時間をやり過ごそうと薄く形のよい唇をぴったりと噤む。
 ナターリヤの認識では、この男は単なる子供だった。思考も行動も底が浅く、何もかもが自分の尺度で計れると思っている、

 子供は悪戯と騒がしさとお菓子がすき。

 ナターリヤは羅列されたどの事項もため息と同じく好いておらず、アルフレッドを構成するもの何一つに愛しさも親しさも抱かない。
 だからいくら喉が渇いていようとアルフレッドのアイスクリームをほしがったりはしない。男もそんなことくらいは理解できているはずなのに、男は舌を回すことをやめない。アイスクリームを舐めとりながら、ナターリヤにいつまでも言葉を弄する。

 「それにこれは星を砕いたフレーバーなんだぞ」

 あまりにも真摯に、それこそまるで愛の言葉を告げるときのように、アルフレッドが宣った。
 相手がそんな様子だから、押し黙ると決めたはずのナターリヤも思わず顔を上げてカップに視線を伸ばしてしまう。
 しかし男の舌から発されたのはまったく現実の味がしない言葉で、ナターリヤは大げさに表情を不愉快さに歪める。

 「くだらない戯言はよせ」
 メルヘンの沸いた、歯の浮く発想は兄譲りであるらしい。そんな子供だましに一瞬でも気を引かれたことが腹立たしい。タイツで包んだふくらはぎにもじんわりと汗が浮かぶ感覚がある。暑さとアルフレッドから放射される腹立たしさにナターリヤの腹と頭の中はうねっていく。

 「ええ、本当だぞ。君は星を食べたことがないのかい?」
 アルフレッドの舌は止まらず、ナターリヤに言葉を何かの砲弾のような勢いで浴びせかけてくる。あまりにもそのわめきが思考を騒がすもの だから苛つきながらもナターリヤの視線は、星を砕いたというアイスクリームを見やった。

 ピンクともっと赤いベリーと、ミントの青色、カスタードのイエローに、練り込まれたチョコチップとナッツ、これ以上類挙すればもう味を想像する事もかなわない。

 確かに、この星以外の他の星に到達した人間はごく僅かで、星を食したことがあるというなら、間違いなく兄かこの男だろう。
本当なら、どんな味がするんだろう。
 先ほどは虚言と切り捨てたアルフレッドの言葉に、わずかに足を踏み入れてしまったことにナターリヤは気づかない。砂糖とミルクと果実以外の味を思い浮かべても、「星」の味に近づける訳はなかった。

 「特別に君になら分けてあげてもいいんだぞ」

 言葉の意味は耳を通過していって、アルフレッドの明るい声音だけがナターリヤの胸の内側に張り付く。暖かい季節に似合わないナターリヤの手袋が、固く組まれていたはずの指が、ほんの僅かにアルフレッドへと向く。

 ナターリヤは言葉に迷わされるままにアルフレッドに視線を送り、アイスクリーム以外の色を目にすることとなる。