スターダスト・アイスクリーム
レンズの向こうの薄い水色、瞳の色彩に行き当たる。それは、アイスクリームではなくアルフレッド自身が有している色だ。こうやって二人向かい合い、瞳を見やることなど今までの二人の関係の中に存在し得ただろうか。
何のことはない、ナターリヤはアルフレッドの子供だましにひっかかってしまったのだ。薄々とそれを気付いた意識は、想像したアイスクリームの甘さとアルフレッドの瞳の色に飲み込まれていく。
しかし瞬間、視界に入った色が、ナターリヤの思考を全て奪っていってしまった。
「兄さん」
ナターリヤの視界をよぎったのは、あんなにも探し求めていた兄の姿だった。
何かから逃れるように背を丸めて剪定された茂みの隙間をのろのろと歩いている。にいさん、と声を漏らすとその姿は一瞬震え、茂みの枝先も気にせず、先ほどと同じように全力でスタートを切った。
ナターリヤもまた、目当ての愛しい姿を見つけたことでそれまで重く腰掛けていたいすから立ち上がり、駆けだした。
緑の匂いが濃い穏やかな庭園は、そのきっかけで逃走と追走の舞台となり、そこにイヴァンの悲鳴がプラスされる。
追いすがるナターリヤはスカートの裾が翻るのも気せず、にいさん、と叫びながら逃げる背中を追った。
後は振り返らなかった。おそらくあの男は、ナターリヤに差し出したはずのスプーンを自らの口の中に納めているはずだ。表情を想像する優しさは、対アルフレッド用のものは備え付けていない。
アイスクリームも、アルフレッドの言葉も、本当のことはどうでもいい。両足を交互にめいっぱい踏み出しながら、ヒールの尖ったブーツで器用に走り、走り、走っていけば、また元の構図に全て戻ってしまうのだ。
そんなことはどうでもいい、呼吸の間に自らのわずかにゆるんだ心持ちを叱責した。
なんにせよ、ナターリヤは星を食べ損ねてしまった。
「兄さん、」
全速力で走って、ようやく背中に追いつくと爪先で大きく地面を蹴りだし兄に飛びついた。
兄の大きな背中はバランスを崩し前につんのめる。そのまま次の逃走を防ぐためにも大きな背中に馬乗りになった。芝生の上で彼女の下敷きになった兄は呻きを発していたが、それ以上に胸にはようやく兄にたどり着いたという充足感で満たされていたため、声は耳を素通りしていった。
でも、こんなことをしたらもっと喉が渇いてしまう。そう思った途端粘膜の張り付く感触がナターリヤの咥内にじわじわと幅を利かせてくる。暑さもその瞬間から蘇り、ナターリヤのしなやかな背中にブラウスがぺっとりと張り付く感覚がある。
兄もこの激しい追跡にとうとう諦めたのか、もう悲鳴を発することもなくただナターリヤの名前を呼んで比較的穏やかに解放を求める。
上機嫌とはいえなかったが、先ほど寄っていた眉間の皺も、唇のゆがみも皮膚から消えている。
ナターリヤは抱きついた拍子に荒く擦ってしまった頬と、全速力での追走のためふとももまで露わになってしまった足を僅かに隠すのみで身繕いは終了した。
「走ったら暑くなっちゃったよ。とりあえず冷たいものでも欲しいな」
イヴァンはそういうとマフラーで巻いた首もとを軽くくつろげた。
求めていた兄から発された台詞に、ナターリヤがあのアイスクリームとそれを食していた男のことを思い返す。
星を砕いたアイスクリーム、その味はどんなものだったんだろう。
「兄さん」
汗の浮かんだ額は、手袋に包まれた掌で拭ってもきっと癒されない。纏う暑さはそのままで、ナターリヤは新鮮な酸素を肺に送り込みながら、その胸に浮かんだ疑問を唇で形作った。
兄さんは星を食べたことはありますか?
その問いかけは渇いた喉では発することができず、唇だけがぱくぱくと動く。その様子を見咎めたイヴァンがナターリヤの表情をゆったりとした動きで伺い始めた。
ナターリヤは眼前の兄の心配をすべて打ち消すために、緩んだ自分の頬をもう一度擦っていつもの表情に収まろうと試みる。
脳内ではあのアイスクリームの青が、赤が、アルフレッドの湛えていた瞳の水色が踊っていた。カラフルでとても思考を落ち着かせるものではない。
無造作に垂れた髪を掻き上げて、とうとう得ることの出来なかった疑問とともに踏み潰してすべて消滅させる。
「ええ、そうですね冷たいものでも」
アイスクリーム以外なら。そうして、その言葉は乾いた喉で飲み込んで全てないことにしてしまったのだ。
作品名:スターダスト・アイスクリーム 作家名:あやせ