彼方から 第三部 第八話 & 余談 第五話
エイジュは咎めるように彼の名を呼び、眉を顰めると、『仕様がないわね』と呟きながら、傍にライザがいるにも拘らず、左手を翳し、氷の障壁を解いていた。
「何故、わたしを止めようとした……?」
既に、殺意も戦意も失くしたのか、傷ついたクレアジータを診るエイジュの後ろで所在なく佇み、ライザがそう、訊ねてくる。
警戒しながら歩み寄ってくるローリに、眼を向けようともしない。
「理由などありませんよ」
エイジュに両手の治療をしてもらいながら、
「ただ、あのバリアに触れると、こうなってしまうのが分かっていましたから……」
クレアジータはそう言って、少し、痛みに歪んだ笑みを見せる。
「わたしは、あんたを殺せと依頼された暗殺者だぞ? 分かっているだろう?」
「ええ、分かっています」
痛みが引き始め、安堵の溜め息を吐きながら、クレアジータはライザの問いに応えてゆく。
「分かっていても、体が勝手に動いてしまったのですよ」
瞬く間に治ってゆく、自分の手の平を物珍しそうに眺めながら、クレアジータは至極当たり前のことのように言葉を続けていた。
「は……呆れた臣官長様だな」
笑うしかなかった。
「初めてだ、標的に助けられるなど……」
バカバカしくなってくる。
自分より強い者など、この国には存在しないなどと奢り高ぶっていた己に。
今、眼の前に居るこの三人は、明らかに自分よりも強い……
『力』『能力』……そして、『意志』――
そのどれをとっても、三人に勝てるものは持ち合わせていなかった。
***
「この襲撃が失敗したことは、直ぐに大臣の耳に入るだろう……まぁ、暗殺を依頼するくらいだから、表向きは何の変りも見せないだろうが、その分、次は何を仕掛けてくるか分からないぞ、用心することだな」
馬車に乗り込むクレアジータの背に、ふと、思い付いたようにライザが声を掛ける。
「ご忠告有難う……肝に銘じておきますよ」
客車の扉から顔を覗かせ、そう言いながら笑みを返すクレアジータ。
つい先刻まで、自分の命を狙っていた男に対しても、臆することなく振る舞う『臣官長』に、ライザは苦笑するとともに、何か、憑き物が落ちたかのような、深い溜め息を吐いた。
本当に、自分のしていたことがバカらしく思え、改めて、『敵わない』とつくづく思う。
「あんたも、大臣の耳に入った内容如何では、口封じに命を狙われる恐れがある、精々気を付けることだな」
クレアジータに続き、同じように馬車に乗り込むローリにも、そう言葉を掛ける。
「……分かっている」
こちらはクレアジータとは違い、多少の警戒心は残っているようだ。
その表情の硬さから、それが見て取れる。
「随分と余裕があるのね……口封じならあなたが一番、可能性が高いのではないのかしら?」
馬の首を撫で、落ち着かせながら、エイジュが皮肉を籠めた口調で訊ねると、
「……一応、腕に覚えはある。あんたほどではないがな」
ライザはそう言って、自嘲の笑みを零していた。
――今夜の最大の誤算は、この女だったな……
心の底からそう思う。
その身に纏う『気』の柔らかさからは、想像できぬ強さだ。
『能力』自体も、底が知れない……
御者台に乗り込む彼女の背を見上げながら、この短時間の内に訪れた自身の心の変化に、ライザは少し、戸惑いを覚えていた。
「追っては掛からぬと思うが、早々に立ち去った方がいいだろう」
「そうね、そうさせてもらうわ」
手綱を握る彼女にそう声を掛け、自身も踵を返す。
「有難う――」
背中に掛けられた声音に、足を止める。
「君の心が、光の方を向くことを願っていますよ」
振り向いた瞳に映ったのは、動き出した馬車の中、温かな笑みを向けてくるクレアジータだった。
――光……?
走り去って行く馬車を見送るように暫し足を止め、彼の言葉を心の中に留めるように繰り返す。
やがて……
何かを確かめるように自身の胸に手を当てながら、ライザはその場を後にしていた。
第六話に続く
作品名:彼方から 第三部 第八話 & 余談 第五話 作家名:自分らしく