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清川@ついった!
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全部、夕焼けのせいにすればよかったんだ

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三郎は一面に広がる菜の花畑を少し離れた道ばたの岩に座って見つめていた。道は畑より少し高い所にあって、三郎が見下ろす形になっている。菜の花畑の奥で、日が沈もうとしている。一日が終わる。
 今自分たちが居る所は、学園からはそう遠くはない。けれど、目の前に広がる風景を眺めていると、ふと自分がどこか遠い所に来てしまった様な気がする。例えば、自分が生まれ育った村にもこんな黄色い風景が目の前に広がっていた。それが、何の花だったかもう思い出せない。ただ、目に焼き付いた葉の緑、黄色と空の青さだけは、鮮明に思い出す。あれは、いつだったか。
夕日に包まれた風景は、次第に菜の花の黄色を深い茜色に変えた。濃い影がそれぞれの花に暗く落ち始めている。頬に触れる、春終わりのの空気は生温く湿り気を帯びていた。じっとり、と嫌な汗が、浮き上がってくる。垢染みた着物を着ているだけでも肌に触れる感触は気持ちが悪いのに、それが更にまとわりつく様に肌に張り付いて離れない。
 三郎の後ろ姿を雷蔵は見つめている。三郎は目を細めなければ見れない程の眩しさの中に居た。雷蔵はその後ろ姿に声をかける事をためらった。影が伸びている。その頭の辺りに雷蔵は腕を組みながら立っていた。雷蔵もまた、垢染みた着物を着ている。普段、綿毛の様に柔らかい髪は、汗でしっとりと濡れて、髪の触れる部分の至る所に張り付いている。淡い髪色は、日に当たらない後ろの半身は濃い影を落としていた。背に広がる山々は、じっと夜が来るのを待っている。群青の色彩が二人の背後に音も無く忍び寄って来ていた。
 三郎は、雷蔵の気配を後ろに感じていた。両手に、顎を乗せながら、まだ菜の花畑から目を離さない。
「昔もこんな風景をみたなぁ、」
三郎が独り言の様に言った。それを合図に雷蔵は足音を消しながら、三郎の横に腰をかけた。それから、暫く三郎の視線を辿りながら同じ方向を見つめている。
「何処で、」
「故郷の村で、それが唯一、その村での私の記憶だ。」
二人は、視線を合わさない。三郎は、目を僅かばかり細めて手前の菜の花の淵を丁寧になぞった。春の終わりが近いからか、ぽつりぽつりと、いくつかの花は首を項垂れている。あの時は、枯れた菜の花は一つもなかったな、と思った。また記憶がよみがえる。
 顎を乗せた右手に、大きな手で握られた感触を思い出す。ごつごつしていて、ささくれ立った手、握られると分厚い肉が三郎の小さな手を包んだ。暖かい春の日だった。
 三郎は、右手から顎を離して暫くじっとその手を見つめていた。マメだらけで、間接の骨が目立つ、薄い手だ。左手で、掌に出来たマメを撫でた。指の影が、先ほど見つめていた菜の花の影よりも濃くなっている。
唇がやけに乾く。三郎は舌の先で口角を濡らした。舌の先が口角に当たると刺す様な痛みがあった。少しだけ、三郎は眉をしかめた。

雷蔵はその、三郎の動作を横目で見つめていた。三郎は不意に、自分と同じ顔なのに、影は濃くて全く違う造形を映し出す時がある。その殆どが、何か思いにふけっているときだった。いつも何か神聖で犯してはならない空気を纏っていたので、その感傷の先にある物を雷蔵は測りかねていた。その思考の見つめる物が、秘密の多い三郎の過去であると言うのは、長い年月をかけて雷蔵には朧げながら、やっとわかった。

「そう言えば、」
思い出した事がある、と雷蔵は続けた。今よりも数年前の話だ。
「昔、みんなでここでかくれんぼしたな、」
その言葉に、反応して黒い目だけが上目遣いに雷蔵を見つめている。丸まった背中が雷蔵の目に映った。遠目で見たら老人と孫が話している様に見えるかもしれない。
「いつの話だ?」
「一年のときの話だ。三郎は、たしか居なかった」
けれど、話し振りは自分の方が老人の様だ、と雷蔵は思った。懐かしさで、目が細くなる。
「あの時は、ここはもっと小さくて、」
雷蔵は立ち上がって、そのまま畑の方へ降りて行った。声が小さくなっていく、それでも三郎は岩の上からその声を聞いた。
「ぼくの背も、もっと、こんなのだった。」
ひょっこりと、道の影から現れた雷蔵が走って一番手前の菜の花の辺りで、自分の胸辺りを指した。 「あの時は、高くて、見を屈めれば良い隠れ場所になったのに、今じゃ屈めても身を隠す事も出来ない」
雷蔵は、そのまま菜の花畑に入って行く。
「あ、おい。何しているんだ」
「おいでよ」
声が遠い。
半身を乗り出している三郎の目から、徐々に雷蔵の姿が畑の中の黒い染みの様に小さくなって行く。日はもうその姿を菜の花畑の中に隠そうとしている。影が、溶けて行く。気がついたら、三郎も菜の花畑に向かって歩いていた。
近づくに連れ、青い匂いが強くなって行く。足を踏み入れると、小さな紋白蝶が、二匹重なる様にして、足下から飛び去って行った。
「雷蔵」
腰まである菜の花をかき分けながら、三郎は雷蔵の影を追った。影は、どこかに踞ってしまったのか、三郎には見えない。闇が、足下まで来ていた。
青い匂いが、する。思い出は、はっきりとした形を伴って、三郎の肺から全身に駆け巡る。あの、色は、そうだ。捨てられた色彩だったんだ。
 三郎は、それから探すのを止めて、その場に立っていた。日が、沈む。その様をじっと見つめていた。汗で湿った髪が、春の風で小さく揺れている。

   動かなくなった三郎を不信に思って、雷蔵は、自分から、気配を消して三郎の背後に現れた。足音が、三郎に近づいてくる。三郎の肩が震えているのが見えた。
 暫くしてやっと、おずおずと手を差し伸べた。その手が、触れるか触れないか辺りで、三郎が雷蔵を振り返った。目が合う。不意の出来事に、雷蔵が驚いて後ろに身を引いた。その拍子に、背後で枝が数本折れる音が聞こえた。
振り向いた顔は尋常のいつもの自分の顔だった。ただ、目元が少し赤い。二人の頭上には、星が光り始めていた。暖かかった春の空気は、冷たくなっている。三郎の視線は、既に夕日の落ちた場所に戻っていた。雷蔵はその細い肩を見つめている。自分を見る事無く、三郎は、視界を外さない。
「昔、人買いに連れられて、村を離れたんだ」
細い肩から、鎖骨、のど仏に向かって雷蔵の視線が動いた。ゆっくりと上下するのど仏の動きを見つめながら、雷蔵は三郎の話を聞いていた。薄い胸が動いて同時に三郎の肩が浮いた。
「父上が、私に『かくれんぼ』だと言った。」
三郎は、長い息を吐き出した。湿り気を帯びた声だった。最後の方は雷蔵も聞き取れない。長い沈黙が二人を包んでいた。当たりには人の気配がない。風が止む。鳥も、獣も、活動を止めたみたいに静かになった。雷蔵は、息をするのさえ忘れる程、三郎の横顔に見入っていた。顔の曲線が揺れる。三郎のこめかみから大粒の汗が一粒落ちて行った。

「…その後の事は大体、わかるだろう。」