サヨナラのウラガワ 1
「衛宮くん。ぶつくさ言っている時間があると思って?」
「な、ない、です」
士郎は縮こまって答える。凛の笑顔はただの笑顔ではない。これはかなり怒っているときの笑みだ。
――――俺、何もやらかしてないよな……?
疑問を浮かべるものの、凛はロンドンに行っていたので会うことも電話すらもしていなかった。なのに凛は、士郎が何か不備をやったような態度と口ぶりだ。
「行くわよ」
顎をしゃくって凛は士郎についてこいと示唆する。
おとなしく後に続き、赤い橋を渡り切り、川沿いから少し逸れた道のりに士郎は既視感を覚え、
「ぁ……」
小さな声を漏らした。
「やっと気がついた?」
「あの、な、なんで……?」
「なんで、ですって? ほんっとに朴念仁もここまでくれば怒る気も失せるわよ」
「あの……」
怒る気も失せると言いながら怒っている凛は、二の句の告げない士郎を、ぴたりと足を止めて振り返る。
「あんたがアーチャーを押し込めたからでしょ!」
びし、と凛が指をさすその先には、アーチャーの部屋がある。そして、その玄関前には金の髪の人影があった。
「セイ、バー……?」
「帰ってきてすぐにアーチャーの様子を確認して良かったわ」
「か、確認、って……」
「あんた、よくもアーチャーをあんな目に遭わせたわね!」
「え? ど、どういう、」
「自分の目で確かめてみなさい!」
くるりと背を向けた凛のあとに続くも、士郎の頭の中は疑問符だらけだ。
――――あんな目って……?
その上、アーチャーを押し込めた、と凛は言った。士郎にそんなつもりはない。ただアーチャーに、何不自由なく自由に過ごしてほしいと、マンションに移ってもらっただけだ。
カタチばかりの恋人ごっこなどアーチャーには苦痛だろうと思ったから、バイトを増やして家賃を払えるようにもした。二日置きに魔力の補給剤も配達しているし、少ないかもしれないけれど生活費も工面している。特に問題になるようなことはなかったはずだ。
――――何が……?
いっこうに問題となる事柄に思い当たらない士郎だが、玄関を入り、セイバーに促された部屋に足を踏み入れて息を呑んだ。
「ど……して……?」
ベッドに仰臥するアーチャーは眠っている。凛を振り返ると、ダイニングの方へ来いと指示された。
「と、遠坂、あの……」
何を言えばいいのかわからない。ただ、アーチャーが眠っているという状況から、魔力の温存をしているということは士郎にもわかる。
「魔力不足。それも、ひどい飢餓状態」
「飢……餓?」
聞き慣れない言葉に思わず士郎は訊き返した。
「そう。普通の使い魔なら誰彼かまわず人を襲っているかもしれないって状態」
低く吐かれた言葉に、士郎は青くなった。
「人を、襲う……?」
「なんだかんだいってもアーチャーは英霊だから、その矜持と意地だけで耐え忍んだってとこね」
「そんっ……な……! どうしてだ! 俺は、ちゃんと補給剤を、」
「足りなかったんでしょうね。それをあんたには言えない、もしくは言いたくなかったのかも。まったく、意固地になっちゃって、馬鹿よね、ほんと……」
ふぅ、と凛はため息をこぼすと、スタスタと歩き出す。
「遠坂?」
セイバーを促して玄関に向かう凛に、士郎は、どこにいくんだ? と呼びかけた。
「応急処置はしておいたわ。私の出る幕はここまでよ。今すぐに消えたりはしないでしょうけど、それも時間の問題ね。衛宮くんが不足分を供給するもよし、このまま見送るもよし。あんたが契約したんだから、あんたが最後まで責任をもつのよ? いいわね?」
「ぅ……、は、はい」
「いい返事ねぇ、衛宮くん。アーチャーのこと、頼んだわよ?」
「わ……、わかった」
士郎の責任だと言いながら、凛は言外に勝手に消したらただではおかない、と脅しをかけてきている。出る幕はここまでと言いながら、士郎の意思決定は反映されないことが、ありありと示されていた。
だが、それがわかっていても士郎は頷く。頷く以外の答えなど、士郎にはなかった。
士郎とて、アーチャーを座に還したいとは思っていないのだ。今座に還してしまえば、なんのために引き留めたのかわからなくなる。
「あ、そうだ! 衛宮くん。家の鍵、貸してくれる?」
「え?」
「私の荷物、玄関に置きっぱなしだし、藤村先生も心配するでしょ? 私が代わりにお留守番しておいてあげるわ」
口答えすることもできず、士郎はおとなしく家の鍵を凛に手渡した。
サヨナラのウラガワ 1 了(2020/8/15)
作品名:サヨナラのウラガワ 1 作家名:さやけ