サヨナラのウラガワ 1
だが、会いたいという気持ちがないわけではない。偶然、街中で会うこともあるのではないかと、用もないのに新都へ行ったこともある。が、アーチャーの姿も影すらも見つけられなかった。
もし近くにいたとしても、おそらく気づくのはアーチャーの方が先で、そうなると、アーチャーは士郎から身を隠すのだろう。
――――わかってる……。
そんなことは、百も承知だ。
わかっていたが、先日のように、何かの間違いのような邂逅が起こればと、期待してしまう。
――――あの女(ひと)と間違ったんだよな。
士郎がすれ違った女性が戻ってきたと思って、アーチャーは扉を開けたのだろう。
「そしたら、俺がいたもんだから……」
間違われたことに、自分に毛ほども興味がないアーチャーに、少なからず悶々としてきてしまい、むっとして家の掃除をはじめる。
このところ、我を忘れるように、いや、忘れたいことがあって家の掃除に没頭するため、衛宮邸は、やたらとピカピカだった。
姉代わりが夕食を食べに来たときには、旅館よりもきれいねーと感心していた。
元々掃除はマメにやっているため、屋敷内がいつもよりきれいになっていたところで、姉代わりも疑問に思わないようだ。
少々手を付けすぎたと思っていた士郎だが、何かあったのかと疑われることもないので、夏休みに入ってバイトのない日は、ほぼ一日中掃除をしている。
「はあ……」
日暮れまで掃除を続け、こんな掃除をしていても家はきれいになるが、魔術師として成長するわけではないことに嫌でも気づく。
「早く……」
アーチャーに魔力を流せるようにならなければならない。
焦りが胸に広がる。
だというのに、師匠である凛はロンドンだ。
「俺の修業は、放置なのかよ、遠坂ぁー」
暑い中での掃除に少々疲れ、縁側でごろんと横になる。既に旅立った師匠に愚痴ったところで彼女には聞こえない。存外きれいな夕焼けが熱気で覆われている空に吸い込まれていくだけだ。
「はあ……。鍛錬でもするかな」
気を取り直して士郎は立ち上がり、土蔵へと向かった。
七月も終わりに近づき、アーチャーをあのマンションへ連れて行ってから、ひと月ほどが経つ。
士郎は、アーチャーのことを思い出さないように努力し、日々をやり過ごしている。三日に一度、魔力の補給剤を郵便受けに入れるだけの繋がりだ。
あれきりアーチャーと顔を合わすことはない。他人の気配を感じることができるサーヴァントなのだから、士郎が近くに来ればわかるはずだ。したがってアーチャーは、士郎と顔を合わせないようにしているのだろう。
ただ、アーチャーが補給している士郎の魔力量で、どのくらいサーヴァントの能力を発揮できるかなど、士郎は知らない。
本当にアーチャーが人の気配を辿れるのか確信はないが、士郎が二日置きの早朝に訪れることは決まっているので、その日の朝に外出、もしくは玄関を開けなければいい話だ。
あのときのように顔を出してくれれば、と思うこともある。士郎はやはりアーチャーのことが好きなのだ。僅かでもいい、顔が見たいと思うのは当然の感情だろう。
そして、同時に避けられていることも自覚している。その意味もわかっているし、士郎がこうなるように仕向けたのだが、どうしても胸苦しくなってしまう。
アーチャーに会いたいが、会うわけにはいかない、と何度も自身でジレンマに陥り、疲弊して、まだ夏の盛りだというのに、もう夏バテの気がある。
「毎日暑いけど、アーチャーは暑気あたりとか、してないかな……」
サーヴァントには無用の心配なのだが、最近頭がうまく働かず、士郎はどうにもアーチャーを普通の人のように考えてしまうことがある。
「昨日の人って、前と違う人、だったな……」
昨日、補給剤を持って行ったときにすれ違った女性は、その前にエレベーターに乗るときに出てきた人とは違った。アーチャーの部屋がある階には、やはり若い女性は住んでいないようなので、早朝にマンションから出てくる女性は、皆アーチャーが連れ込んでいる女性だと士郎にはわかる。
すれ違う女性が毎回違う人なのが気にはなったが、それを責めることも訊ねることもできない。
――――そんな権利、俺にはないし……。
卑屈になっているわけではない。だが、アーチャーに何も言う資格がないと自分でもわかっている。
いまだに疼く胸が忌々しいとは思うが、もう消すことのできない想いだということは重々理解した。したがって、士郎は投げやりに思う。
――――もういいや、好きで。
それ以上でも以下でもない。ただの感情というやつだ。想うだけなら文句はないだろう。何を望むわけでも願うわけでもないのだから。
「アーチャーは、しあわせなのかな……」
ただ、気になっている。アーチャーが今、自由に過ごして、楽しいとか、うれしいとか、それこそ幸福だ、と思っているのかどうか。
「訊けないから、わかんないけど……」
はは、と士郎は自嘲した。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
好きにならずにいられない。
何かを好くということは、ごくごく普通のことだ。
そういう感情が人にも向かうってことは知っている。
けれど、今まで生きてきた中で、俺は特定の一人にその感情を向けたことはない。
予想だにしなかった。
自分にこんな一面があるなんて。
しかも、その感情を向けた先が、アーチャーなんて……。
その気持ちに気づいたのは、契約をしてから。
俺の憧れをその身にすべて纏ったようなアーチャーの姿は、俺の目に眩しく、そして、手の届かない存在として映っていた。
なのに、目の前に来て、まざまざと憧憬を見せつけて、俺を魅了した。
やっぱり、好きにならずにいられない。
けれど、こんな愚かしい想いは、きっと、ずっと、押し込めるべきものだったんだ。
――――何より尊く、何より穢してはならない。
それが俺の、アーチャーに対する何よりの気遣い。
だから、こんな俗な想いは消し去るべきもの。
だから、だから…………、もう、やめにしたんだ。
Back Side 3
「どういうことよ! 衛宮くん!」
「え? へ?」
ぐわしっ、と士郎の胸ぐらを掴み、凛はこめかみを引きつらせて怒鳴る。
夕食の準備をしている最中、呼び鈴と玄関戸の開く音に答えながらいそいそと向かえば、そこには仁王立ちの凛が立っていた。
それが数舜前。今、士郎は混乱しながら、凛に頭突きをされるのかというくらい引き寄せられている。
「あ、あの? え? と、遠坂? か、帰ってきたのか? お、おかえ――」
「挨拶なんていいわよ! 来なさいっ!」
「え? うわわ! ちょっ、ひ、っぱんなって!」
胸ぐらを掴まれたまま凛に引きずられて、どうにかスニーカーをつま先に引っ掛け、玄関を出る。
凛は自分の荷物を玄関に置いたままだというのに、すぐさま踵を返した。
「あの? わ、わかったから、か、鍵、閉めないと、」
むっとした凛はしばらく疑うような顔を向けてきたが、士郎の胸ぐらから、ぱっと手を離してくれる。
「いったいなんなんだ? 帰ってきたかと思ったら、いきなり来いだなん……」
鍵をかけて振り返れば、凛はにっこりと笑っている。
作品名:サヨナラのウラガワ 1 作家名:さやけ