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ちょうど隅っこ、角にあったはずなのに、部屋の中心部に近づいていた。
つまり――結果として、自分が部屋を出るのを塞ごうとするかのような形だ。
　バリツは背筋が寒くなった。息をひそめ、思考を巡らせる。

（待て……密生していた植物は、四方にあった。つまり――）

　ガサリ。

　何かが動く音。
　嫌な予感を覚えながら、後ろを振り返る。
　入り口とは反対側の壁の隅の植物もまた、近づいている。

　ガサ、パキキ。キキ。

（これは、やばいやつでは……）

　反射的に、振り向き――目を疑った。
　左右には、先ほどまではなかった影が直立している。

　しかし人ではない。
　前身を葉で包み、枝を骨格とする存在――。
いわば植物人間だ！

「バニラ君！」バリツは叫ぶ。思わず本を取り落としてしまったが、構っている余裕はなかった。「加勢を頼みたい！　植物が動き出した！」

調理室のドアは吹っ飛んでおり、ここから距離はそう離れていない。声は届いているはずだ。
ともあれどの道、助けが来るまでの間は、自力でなんとかする他ない。

そいつらは四方を塞ぐようにして、距離を詰めてくる。
さながら一昔前にコマ撮りで撮影された映画の骸骨戦士。あるいはゾンビだ。

　バリツは息を大きく吸った。

（やるしか――ないか！）

　バリツは奇しくも自身と同じ名を冠するマーシャルアーツ・『バリツ』の心得があった。ラム・ホルトの紹介で、亡くなった母カエデ・バートンライトと親交があったインストラクターから個人教授されたものだ。最も、長いことブランクはあるが……。

　「お、おりゃああ！」バリツは雄叫びを上げて、前蹴りを一体の胸部に見舞う。人間であれば人体急所である水月――みぞおちにあたる部位。
　だが相手が植物人間だからか？　揺らぎはしたものの、手応えがない！
「くぅ――！　やりづらい！」

　ならば！
　蹴りに合わせて前身していたバリツは、背後で自分を掴み損なった一体に裏拳の要領で手刀を見舞う（久々にやると腰にくる！）。

そいつがつんのめったのを見計らい、迫るもう一体の腕を抱え込んで背負い投げを試みる。

が、それは叶わなかった。

　なるほど植物は人間と比べても確かに軽かった。　
　だが、その投げ技を行うには、バリツにはブランクがありすぎた。投げるまでの力の流れが一端、途絶え、隙が生じた。

　そして相手は人間ではなく、植物人間。
　その腹部から唐突に伸びた蔦が、バリツの腹部を捉えたのだ！
　バランスを崩したバリツはそのまま床に倒れ込み、そこへ、植物人間が殺到する。

　もがくが、腹部に絡みついた植物人間は更に蔦を伸ばし、前身を拘束してくる。寝間着に覆われていない肌に、ざらざらした感触が容赦なく食い込む。

「くそ！　バニラ君――ぐぉっ……！」

　叫ぼうとする首が、背中に組み付いた一体により容赦なく締め上げられる。
　他の三体が踊り狂うかのように慌ただしく上下に動き出した途端、バリツは全身をやたらめったら打ち付けられるのを感じた。人間の拳にあたる部位にて枝葉の塊を形成し、それで自分を順繰りに殴りつけているのだ。

　腕でガードするが、まさに袋だたきだ。人を餅つきの餅みたいに……！

（くそ、くそう……！）

　もがけどもがけど、拘束は解けなかった。
頭の中で血液が沸騰するかのようだった。
バニラが来る気配はなかった。彼もまた、罠に陥ったというのか……？

酸欠が始まっているのかもしれない。視界がぼやけてくる。
少しずつ、痛みすらなくなってきた。
ただただ、連続する殴打の不規則なリズムだけが、まどろみの中に聞く屋外の豪雨さながらに思えた。

　……。

（――これは……幻覚だろうか？）

いつしかバリツの身に異変が生じた。
　そこにあるはずのないものが見え始め――周囲から本も、植物人間も消えていった。

　ぼんやりと明るみを帯びていく薄暗い部屋。自分を見下ろす大柄な人影。

　バリツはそのシルエットに見覚えがあった。
親代わりの師匠。ラムおじさん。

（これは――走馬灯なのか？）

　そういえば――このゲームの世界に閉じ込められる前も、明晰夢めいた体験をした。結局あれが何だったのかはわからないが……自分の死の前兆だったというのだろうか？

　バリツはぼんやりとした酩酊に包まれた。
　最期に見るのが師匠なのは、悪いことではないのかもしれないとすら思った。
　師匠のシルエットはかがみ込み、そっと手を伸ばしてきた――。

「え」

　震え上がった。
明らかになったラム・ホルトの顔。
見たこともないような、恐ろしい形相。
眼は飛び出さんばかりに見開かれ、歯はむき出しとなり、顔のあらゆる筋肉が狂気に歪んでいた。

　しかもその男は――伸ばした手を引っ込め、再び伸ばしてきた。
　なんども、なんども。その動きは、どんどん速くなる。
　やがて上半身の前面のあちらこちらに迸る、遅れて殺到したかのような激痛。

師匠は――自分の胸部を、顔面を、容赦なく殴りつけているのだ！
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。

『どうした！　どおしたあ！』
（――――！？　おじさん……！？）
『――！　――！　――！！』

　そんなことがあるはずがなかった。あったはずがなかった。だが、遠のく意識の中でバリツが見いだすラム・ホルトは、歯をむき出しにあざ笑い、眼をぎょろりと見開いたまま、バリツを確かに殺そうとしている。何かを叫びながら。

（これが……私が体験した記憶だとでも？　そんな！　ありえない！）

　恐怖と痛みを前に、余計にもがく。ただただワケが分からなかった。
　両腕でガードと捌きを試みるも、元ヘビー級ボクサーの、凶器にも等しい鉄拳によるダメージは蓄積するばかりだった。

『チェックメイトだあああ！！』

　やがて、渾身の一撃を見舞おうと、師匠が大きく拳を振りかぶった。

　バリツは悲鳴を上げた。