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炬善(ごぜん)
炬善(ごぜん)
novelistID. 41661
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CoC:バートンライト奇譚 『毒スープ』前編(下)

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 バニラと斉藤はため息を付いたが、バニラはさらりと答える。

「別に、選択肢が単純化されたってだけの話じゃないかな」

「というと?」
「書物庫と礼拝堂を重点的に調べるんだ」
「なるほど……その中で、残る二つの部屋を調べるヒントも導き出されるということか」
「これが仕組まれたゲームだとするなら、攻略法も用意されてるはずだ。ただ俺たちをなぶり殺したいだけなら、こんな手の込んだ真似をするメリットがない。費用対効果が期待できないからね」
「流石だぜ、バニラ。そんじゃ、気を取り直していくか!」
「うむ。どの道、どうやら小娘の部屋の何かも、調理室の何かも、どうやら外までは」出てこない――。

 ガァン!

 鈍い大きな物音に、言いかけた言葉が引っ込む。
 三人が訝るまもなく、音は続く。

 ガン! ガン! ガァン!

 音の出所は――調理室のドア。
 音に合わせ、ドアがどんどん変形し、こちら側にへこみつつある。
 中から飛び出そうとしている! ……おぞましい何かが!

「ちっ」バニラが舌打ちする。
「わ、私、フラグ回収しちゃったかね……!?」

 バリツが呆然と呟いた直後、斉藤が両手をばたばたさせて叫ぶ。

「と、とにかく! 逃げようぜ!」
「し、しかし、どこへ?」

 逡巡するバリツの眼に真っ先に止まったのは、左側に位置する、半開きの書物庫だ。

「! とりあえず、書物庫へ――」
「いや、バリツ」バニラが制止する。「調理室のドアがあのざまなんだ。書物庫もマズいよ」
「では、礼拝堂か――!」

 礼拝堂は自分たちから――調理室からみて右側だ。
その扉は、鉄格子が設けられ、他の三つと比べても明らかに頑丈だった。
 バニラは頷く。

「入ってすぐゲームオーバーとはならないはずだよ」
「よし、急ごう!」
「おぉぅっ!?」

 矢継ぎ早なやりとりの後、こうして皆は駆け出した。
礼拝堂のドアに飛びつき、取っ手を引くと、問題なく開かれた。

中を確認する余裕はもはやない! 開かれた隙間に、身を滑り込ませる。バニラも続いてなだれ込んでくる。
 それまでのドアよりも明らかに厚手のドア。これならばあるいは、しのげるかもしれない。

 ところが――数秒経っても、斉藤がこない。

「――斉藤君?」

 恐る恐る、しかしながら素早く、鉄格子の窓から中央の部屋を覗き込む。
 
嫌な予感は的中してしまっていた。
斉藤は地面から慌てて起き上がったところだった。
普段の斉藤らしくないミスだったが、やはり酒が完全には抜けきっていなかったらしい。

――そう。彼は気づかないうちに転倒していたのだ!

「なっ……!」

バリツが叫んだ途端、調理室の扉が、ぶち破られた。

なんたる間の悪さだろう。すさまじい勢いで吹き飛ばされた扉は、まさに斉藤が駆け込もうとしていたこの礼拝堂のドアに激突する! 

「ぐぉおっ……!」中途半端に鉄格子から覗き込むような体勢をとっていたバリツは、強制的に外から閉じられたドアに弾き飛ばされ、転倒する。

 ドアに打ち付けた額の痛み。コンクリートとは異なる堅い石畳に叩き付けられる衝撃。脳裏に火花が散るような感覚を覚えるが、かろうじて怪我はしてない……と思いたい!

バリツは額を押さえながら、すぐさま斉藤を助けに行かねばと起き上がる。

 だが、ドアを開こうとした途端、バニラが片腕を挙げて制止してきた。
バリツは訝るが――鉄格子の先を改めて見遣った瞬間、言葉を失った。

その異形を目撃してしまったのだ。
ぶち破られたドアの内側から、シュルシュルと流れ出て、翼を広げた、その悪夢を。

 その体躯は、視認できるだけでも、シャチの成体ほどもあった。

下半身は蛇を思わせた。だが、上体はコウモリともボロボロの雨傘とも似つく翼を備えていた。

頭部は不気味に歪み、頭足類の足めいたいくつもの付属器官がブヨブヨと揺れていた。口からは、ギトギトと涎が溢れている。鍾乳石めいたむき出しの歯は、まるで捕食のためではなく、獲物を悪戯に苦しませるためのようだ。

なみなみと隆起を繰り返すおぞましい皮膚と皮膚は、芋虫めいて生々しく、グロテスクだった。

それは、翼をいっぱいにひろげ、身をもたげながら、斉藤を今にも押しつぶさんとしている。すぐにそうしないのは、まるで獲物が恐怖するのを楽しもうとしているかのようだ。

斉藤は言葉を失い、呆然と立ち尽くしていた。無理もない。
――だが。

「いいこと考えちゃったぜ!」

彼は唐突に指を鳴らした。この怪物を前にしてなおである。

「一体何を――?」

 目が合った斉藤は、バリツにウィンクを返した。
そして、怪物に向き直った。

身を低くしながら、唸る怪物。
斉藤は怪物から眼をそらさないようにしながら、円卓を伝って、じりじりと後ずさる。さりげなく、「小娘」の部屋に背中が向くようにポジションを確保していく。
 
「まさか――」

バリツは彼が何をしようとしているのか、察した。
彼は自ら囮になるつもりなのだ!

「我が名は斉藤貴志!」斉藤が叫んだ。「オラ! こっちこい!」

 彼がくるりと背後にむけて駆け出すと、怪物が吠えた。太古からの老魔術師の詠唱とも、筋肉と筋肉とが互いに嘔吐し合ったかとも、形容できるような、おぞましい発声。

そして、はじけるかのように動き出す!

 斉藤は、無我夢中で「小娘」の部屋のドアを開け放つと
「化けモンには化けモンをぶつけんだよ!」
自らその中へ、飛び込んだ!

 怪物もまた身を躍らせ、尾をくねらせながら、部屋へと無理矢理その巨大をねじ込んでいく。

 「小娘」の部屋の広さはわからない。だが、少なくとも斉藤が追いつかれたのは、明白だった!

「斉藤君――!」
 
直後。

「小娘」の部屋から――乾いた音。
何かがはじけたかのような。

「んな!?」バリツは思わず両腕で顔を覆う。ピシャピシャと音を立てながら、何かの液体が礼拝堂の窓まで飛び散ってきたのだ!

ひんやりとしたような、しかしながら嫌な暖かみを帯びたそれらを見遣る。緑の体液。そして、魚の切り身めいた肉片。

慌ててはたき落としながら、すぐに思い至る。
これらはおそらく、怪物の肉片であると。だが、いったいどういうことだ? 飛行機の大型ファンにでも巻き込まれたというのか!?


……気づけば、あらゆる音がなりをひそめていた。

バリツとバニラは鉄格子ごしに、改めて周囲を伺う。

 円卓。床。壁。
 見渡すかぎり、あちらこちらに、不気味な肉片と、緑の体液が飛散していた。
 だが、不思議なことに、それらはバリツが見ている側で、淡い煙を放ちながら少しずつ溶け、かき消えていく。まるで、熱に晒された氷細工のように。
 
 「小娘」の部屋は、いつの間にか閉じている。
 怪物の肉片と体液は消えていくが――その後もなお、消えないものをバリツは見いだした。見いだしてしまった。

「小娘」の部屋の扉――赤さびだらけの扉の下から床に広がりゆく、異常な量の赤い鮮血。
怪物の体液ではない。人間の血。
素人目、かつ鉄格子の窓ごしにも確実に致死量とわかるほどの、多量の鮮血。

「斉藤……君?」

 答えるものは、なかった。