CoC:バートンライト奇譚 『毒スープ』後編(上)
「――はっ!?」
意識を取り戻す。
自分はぽつねんと、暗闇の中に立ち尽くしていた。
現実ではない。
毒入りスープ作りの牢獄でもない。
その前にみた明晰夢でもない。
ラム・ホルトの面影もない。
全く新しい――どこか。
「一体……一体なにが……」
バリツは前方を見やる。
そう遠くない先に、頭上からの光。
華やかさはないが、真っ暗な舞台を照らすスポットライトさながらだった。
光が描く円の中、小さな少女が、うなだれていた。
真っ先に目につく、煮出された紅茶のような赤毛のショートカット。
白いワンピースらしい服装。
ラム・ホルトが――ナイフを突き立ていた少女?
「おい、君――!」
反射的に駆けだした。
近づくにつれ、その両手が鎖によって地につなぎ止められていることに気づいた時、脚にますます力がこもった。
間近でかがみ込み、表情を伺うが、前髪に隠れ見えなかった。そのワンピースは砂埃にまみれていた。まるで人身売買の被害者ではないか。
(私はこの子を知っている。この子と確かに縁していた。名前すら、思い出せないはずなのに!)
助けなければならない。助けなければならない。
そうだ――今度こそ。
できなかった償いを――!
「とにかく、今鎖を――!」
錆だらけの鎖の解錠――無理ならば根元の杭自体を引き抜けないかとバリツは手を伸ばす。
だが、そのまま固まった。
自身を制止するかのように、少女がそっと片手を伸ばしていた。
真っ白な、腕を。
「――え?」
大の大人は呟き、少女を見やる。
それは――あの赤毛の少女ではなかった。
澄んだ夜空の満月のような、ほのかな輝きを孕む、真っ白な肌。頭髪。
バリツも初めて目の当たりにした――先天性の疾患により白い体毛と皮膚を有する、アルビノと言われる特異体質だ。
「なんで……」
バリツはその顔を見た。
もはや項垂れてはいない顔を。
こちらをまっすぐに見据える、美しき、ポーカーフェイスの小顔を。
肌の色も異なる。髪の色も異なる。自分を見据える眼は、水色。
だが、その顔をバリツは知っていた。
見紛うはずもなかった。
「――アシュラフ……君?」
カチャリと、鈍い金属音。
唐突に現れた、眼前の小さな黒い穴を、バリツは凝視する。
瞬きの間に、彼女の手に握られた銃が、自分の顔面に向けられていたのだ。
バリツは言葉を失った。動けなかった。
ちゃりちゃりと鎖の音を立てながら、少女はゆっくりと立ち上がった。
その眼は無感情に、自分を見下ろしていた。
――『バートンライト……』
どこからか、声が聞こえた。
それは、淑女の声。あまりにも神々しい声。
山岳を吹き抜けるそよ風のような響き。
声の主は、目の前の少女ではない。彼女の口元は微動だにしない。
――『バートンライト。あなたは英雄ではありません』
どこかで聞いた言葉だ。
これは、確か初めての怪異――「尾取村」に召喚される直前、深淵の中で聞いた……。
続く言葉を、バリツは知っている。
――『弁えぬ者を待つものは……』
少女の人差し指が、銃の引き金を絞る。
――『《無》となりましょう』
火花。
衝撃。
暗黒。
バリツ・バートンライトの意識は途絶えた。
……ふふふ。ふふふふふっ!
☆続
作品名:CoC:バートンライト奇譚 『毒スープ』後編(上) 作家名:炬善(ごぜん)