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炬善(ごぜん)
炬善(ごぜん)
novelistID. 41661
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CoC:バートンライト奇譚 『毒スープ』後編(上)

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「これは私の勘だが、私があの部屋で手に入れた注射器については信用していいと思う」

 バニラはバリツの眼を注意深く見つめ、自身が正気かどうかを判別しようと試みたように思えた。無理もない。あの閉鎖された「小娘」の部屋で、何があったのか、バリツは説明できていないのだから。

しかし、バリツの勘には、根拠があった。論理的かどうかは、わからないけれど。

(あの幼女の目的はわからない。私にショッキングな体験を植え付けた。だが……彼女は少なくとも黒幕ではない。このゲームのようなやり口をするような存在には思えない)

 バニラはバリツの眼の次に、血時計を見遣ったようだった。バリツもつられて見遣ると――もはや血の大半が落ちきっているではないか。

「――どのみち考えている時間はなさそうだね」
「俺も乗るぜ、バリツ」

 こうして、麻酔が用意された。包丁と、幸運にも戸棚の別の引き出しの中にあったタオルの準備も万端だ。
 だが、いざ腕を切り落とす段階になると、再び沈黙が場を支配した。
 バリツは呟く。

「で……、誰が――」
「埒があかない。俺がやるよ」バニラはため息をついて進み出ると、ためらいなどなかったかのように、注射を腕に突き刺した。

 彼とて当初は流石に遠慮する様子を見せていたが、制限時間を受けてのじれったさが勝ったのだろう。それを踏まえたとしても、彼がくぐってきた修羅場の数を改めてうかがい知る瞬間だった。

(考えてみれば、謎解きの大半も、ほとんどバニラ君がやってくれた気がする……本当にありがたい話だけど)

 バリツと斉藤がハラハラと見守る中、バニラは包丁をあてがい――(バリツはそこから先は、直視できなかった。思いっきり顔をしかめたまま、目を背けてしまった)。

 ……数秒の後、バニラが鍋の蓋を開け、何かをポチャリと中身にくわえたのが分かった。何をくわえたのかは、言わずもがなだ。

「ホラ」
 バニラの声を受け、ようやくそちらに視線を戻すと、バニラは肉をそぎ落としたのであろう右腕にタオルをあてがっていた。
「二人の番だよ?」

けろりとした様子で、バニラはバリツと斉藤に注射器を促す。
全く痛がる様子を見せない彼の様子。それにタオルにそれほど血が滲んでいないことから察するに、《血止め機能付き局所麻酔》の効能は抜群のようだ。

 とはいえ――。

バリツは斉藤を見上げる。
斉藤もまた、バリツをじっと見下ろしている。
斉藤の眉尻は、下方向に曲がりきっていた。バリツ自身も、似たり寄ったりな表情を浮かべていることが自分でわかった。 

「い、いちおう――」斉藤は遠慮がちに言う。「スープの材料の条件は満たしたんじゃねえか? これ。肉は入ったしよ?」

真っ先に腕を切り落とすことを宣言していた斉藤だったが、なまじっか麻酔の存在を認知したことと、先んじて実践してみせたバニラの姿を受けて、すっかり気持ちが萎えてしまった様子だ。

 そして、ハナから萎縮してしまったバリツは、言わずもがなだった。自らほのかな情けなさをかみしめながら、斉藤に首肯する。

「そ、そうそう」
 ただし、斉藤の言い分は言い訳ではなく、実際、理に叶っているようにも思えた。バニラもその点は、合意したらしい。

「まあ――……言われてみれば確かに」

 バニラは答えると、少しかき回した後に毒の小瓶の中身を入れ、再びかき回した。

「時間は明記されていなかったけれど――まあ大丈夫だと思うよ」

 こうしてすべての材料を混ぜて、ついに完成したスープを、バニラは人数分の更に盛り付けた。

 一見すると、濃厚なトマトスープにしか思えないそれは、しかしながら、強烈な鉄の匂いを依然として放っている。かび臭い悪臭すら漂う。
バニラが加えたはずの『最後の素材』は、どうやら鍋の底に沈んだらしく、視認できない。これから食すにあたって、幸いなことだったが……。

「――まず、俺から飲ませてくれないか」

斉藤が真っ先に進み出た。腕を切り落とすことは撤回したものの、始めに宣言していた手前。思うところがあったのかも知れない。

「斉藤君――」
「まあ見守っててくれ」

その手の巨大さ故にスープをスプーンで掬えない斉藤は、小皿を丸ごと口に運び、嚥下した。

「――おいおい、思ったよりは飲める味だ」ぜ。

 言いかかった斉藤が、小皿を取り落とすと、その体がビクンと大きく震えた。
 バリツの背筋が、凍った。
 
「――斉藤君……!?」

 斉藤は、狭い調理室の壁にもたれかかるようにして、がっくりと崩れ落ちた。巨大な全身の力はすっかり抜けきり、顔は真っ白に変わっていた。眼も閉じていた。
 苦しむ間もない――即死だった。

(これであっているのか……? 本当に……!?)

 バリツの不安に答えるかのように、斉藤の姿が少しずつ薄れ始めた。その巨体を通り越して、調理室の白い壁が、見え始めた。

そしてものの数秒で、斉藤の姿は消えてしまった。

「――大丈夫なはずだよ」

様子を黙視していたバニラの呟きに、バリツは頷くほかなかった。

二人は、同時に嚥下することに決めた。
だが、小皿とスプーンを互いに抱える中、バニラがおもむろに語り出した。

「斉藤が飲んだ後に話すのもおかしいかもしれないけれど……どうにも引っかかる」
「バニラ君?」
「このゲームは、本来はもっと整った体裁だった気がするんだ。それを無理矢理いじくりまわしたかのような違和感がある」
「――……」
「例えるなら――まるであっさり攻略されたのにムカついて、急ごしらえでヤケクソ改造したかのようなさ」
「そういえば――」

話に耳を傾けていたバリツも、このゲームのギミックを回想する。
初見殺しとでも言うべき怪物。
専門知識なしでは読み解けないような小瓶。
本来注射器をワザと用意していなかったという麻酔。
そして……あまりに役割が偏っているそれぞれの部屋。
バニラの例えは、言い得て妙だった。

「結局あの礼拝堂も、ほとんどレシピがあっただけだったね……」
「まあ考えても仕方ないけどね――」
バニラは淡々と締めくくると、バリツへ向けて頷いた。

「飲むよ?」
「う、うむ」

バリツとバニラは、スプーンを用いて、ほぼ同時にスープを口に運ぶ。
躊躇わなかったバニラの方が、どうやら一瞬早かったらしい。

だが、バリツが口を付けようとした瞬間――脳裏にあるビジョンが過ぎった。否、唐突に叩き付けられた。

「――っ!?」

バリツは恐ろしい悪寒を覚え、スープを取り落としてしまう。

それは、あれから結局訪れなかった礼拝堂の景色――。
その奥に鎮座された、巨大な象の像。

動くはずのない石像――しかし、その眼が怒りに燃え、確かにバリツを射貫いたのだ。

バニラはまもなく倒れ伏してしまった。恐らく、バリツに何が起きたかも気づかなかっただろう。

クルタパジャマの若者の遺体は、斉藤よりも素早く、瞬く間に消滅した。

 バリツは取り落としたスープの小皿は、割れてしまった。
 そこでバリツは――行儀の悪いことこの上ないが、鍋の中に残ったスープを直接口に運ぼうと試みた。

 だが体が、動かない!

「なん……だ!?」