CoC:バートンライト奇譚 『毒スープ』後編(上)
暗闇に入り込んだ瞬間、バリツは奇妙な感覚を覚えた。まるで、全く異なる世界に足を踏み入れてしまったかのような。
この部屋に入った結果、あの姿になる前の斉藤と、怪物がどうなったか――今更のように思い出したが、どうやら自分の体は五体満足だ。
背後のドアは、即座に閉じられた。またもや独りでに。
そのまま真っ暗闇に閉じ込められたはずだったが――不思議と周囲は、ふっと明るくなっていった。視覚いっぱいに、四方をレンガで覆われた小さな部屋が広がった。
そしてバリツは、目の前の存在を認識し――硬直した。
自身のへそほどの背丈の、一人の娘を前に。
艶やかな桃色のミディアムヘアー。
傷一つない、滑らかな二の腕、細いふくらはぎ。
ノースリーブの、ワンピース。
バリツは見覚えがあった。
「君は――……」
幼女。
かつて『猿夢』の怪異の中で自分たちを助けてくれた、謎めいたその人だった。
だが、どうしたことだろう?
小柄さに不釣り合いな、罪深いほど蠱惑的なボディラインにそった白の布地は、今や真っ赤な返り血に染まっていた。
そのか細い両手にはいずれにも、信じがたい長さの刃物が握られていた。大太刀などという生やさしいレベルではない。刃だけでも、バリツ自身の体躯以上の長さだ。ネパールや北インドでみられる生贄の儀式用の「ラム・ダオ」ですら、幼女が握るそれとくらべれば子供のオモチャのようなものだろう。
そしてよくよくみると、幼女の首には、小さな横向きの板がぶら下がっていた。
『すぶり れんしゅう ちゅう』
こんなものを、この部屋で振り回していたというのか?
《小娘》とは、彼女のことだったのか?
斉藤や怪物は、彼女の刃を受けて切り刻まれたというのか?
(そもそも――何故彼女がここに?)
服を返り血で染めた、桃色の髪の娘は、バリツを前にじっとうつむいていた。
口元はかすかに緩んでいたが、前髪に遮られ、目元が見えなかった。
息詰まる緊張を覚えるが――成すべき事があった。
斉藤貴志を、助けねばならない。
「……素振り、とやらの邪魔をしてしまない」
バリツはその娘に目線を合わせるために、かがみ込む。
「図々しいのは承知している。しかし――また君の力を貸しては貰えないだろうか? 仲間が窮地なのだ」
「きさるぎ駅」の怪異にて、この幼女は、捜し物を見つけ出すことを条件に魔法めいた力をもって窮地を救ってくれた。正体こそわからないが――手招きされた以上、無下にはされないだろうとふんだ。
「もし何か捜し物があるなら――」いいかけて、恐怖に固まった。
眼。
顔を上げた幼女は、らんらんと、怪しげな虹色に輝く相貌を、自分に射かけていた。
――ふと、いつかの記憶が蘇る。
それは、「きさるぎ駅」の怪異に巻き込まれる直前。
自分がアシュラフにふと問いかけた瞬間。「君は何を信仰しているというのか?」――と。彼女はにんまりと微笑み、答えたのだ。
知りたいのですか?
ああ……あの目だ。
否……あの目よりも、遙かに恐ろしい目だ。
幼女が手をかざす。
バリツは無抵抗なままに、それを受け入れた。
――冒険家教授の絶叫が、部屋を満たした。
☆続
作品名:CoC:バートンライト奇譚 『毒スープ』後編(上) 作家名:炬善(ごぜん)