CoC:バートンライト奇譚 『毒スープ』後編(下)
何のことか思い出せないバリツに、修道女は微笑む。
あの張り付いたような笑みではない――それは確かに彼女が抱いた自我の証だった。
「ご存じの通り、主が《小娘の部屋》と忌んだ《しもべの部屋》にじっさい御座しましたのは、《神の卵》でした。ですが何故でしょう――あのお方からは、まるで私自身であるかのような何かを覚えるのです。力も、由来も、きっと全く異なるはずなのに……」
ぼんやりと聞きながら思い出そうとするが、視界も霞んできた。
修道女の声は、まるで子守歌のようだった。
「そして本来《しもべの部屋》にいたのは私でした。私は嬉しかったのです。この恐怖に満ちた世界に巻き込まれながらも真っ直ぐにかの部屋を指して――『お姫様』を迎えに行くと……そう言ってくださる殿方がいたことが。初めての事でしたから」
言いながら、修道女が小皿をバリツの口にそっと当てがうと、恐ろしい鉄の味が口腔内に広がった。
しかしながら不思議なことに、決して不味ではなかった。
「あの時、ほんの一瞬だけ――自我なき人形に過ぎなかったはずの私の心に、確かに一つの火が点ったのです。あの人になら、食べられても構わないと――過ぎるほどの」
血のスープを恐る恐る嚥下した瞬間、バリツは唐突に思い至った。
修道女がさっきから一体誰のことを話しているのか。
ただしそれは、酔っ払い。崩れたリーゼント。くまさんパンツ一丁。そして最終的にゴリラパワーを得て巨人と化した――一人の陶芸家。
もはやマトモに言葉も発せられない。意識も低下している。
だが、最後の力を振り絞ってでも、脳内で絶叫せざるを得なかった。
(――あの斉藤くんのことおおぉぉ!?)
だが間もなく、スープが流れ落ちた胃から、恐ろしいショックが全身を巡った。
「ぐぉっ――」スープには確かに毒が混ざっていたが――この衝撃は、その作用をも超越した何かによるものだった。
全身の血の気が、はっきりと引いていった。
生命を正しく維持しようという体内のあらゆる細胞、内臓、神経、血管、リンパ官――それらすべてが唐突に「もうがんばらなくていい、休め」と告げられたかのようだった。
そして瞬く間に、バリツの意識は闇に落ちた。
――さようなら。暗き影を身の内に抱く方。あなたの行く末に、真実がありますように。
☆続
作品名:CoC:バートンライト奇譚 『毒スープ』後編(下) 作家名:炬善(ごぜん)