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炬善(ごぜん)
炬善(ごぜん)
novelistID. 41661
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CoC:バートンライト奇譚 『毒スープ』後編(下)

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『おやあ? 何をしてるのかなあああ!?』

 邪神の突然の雄叫びに、バリツは意識を取り戻す。
 直後、二発の銃声が聞こえたが――新たな痛みはなかった。

 ふと振り返ると――あの修道女の後ろ姿。
這う自分とスライムの間に立ちはだかっている。どうやらスライムへ向けて銃を放ったらしい。
彼女はバリツを庇おうとしてくれているのだ。

「――何故……?」

 だが、結果は目に見えていた。
 スライムは修道女に狙いを変更し、バリツの目の前で修道女を取り込んでしまった。しかしそのまま消化には手間がかかるのか、スライムはその場から動かなくなる。
 
(時間を――稼いでくれたというのか!?)

『もーいいやああああっ! ゲームが台無しだあ! 人形! お前はあとで処分するからね!』

 邪神のやけっぱちな叫びの直後、周囲に地鳴りが響いた。ずしりずしりという音の後、背中に恐ろしい圧迫感が走る。

 エクストラゲームの化けの皮が、完全に剥がれた。怪異はバリツの胴体に巨大な拳をそっと乗せ、ゆっくりと、力を込め始めたのだ!

「ぐっ、あああああああ……!?」

『我が自ら裁きを下しちゃうよ! 虫けら! オマエはもう用済――』

 天上から何かが砕ける音がした。
 周囲にいくつもの光の筋が、唐突に降り注いだ。

邪神が支離滅裂に咆哮する。ひどく狼狽した様子だ。

背中の重みがふっと消えた。バリツは反射的に仰向けになり、恐ろしい重圧の余波を逃がそうと試みる。

(さっきから――一体何が起きているんだ!?)自分を打ち抜いたはずの修道女が、唐突に身を挺してスライムに飲み込まれた。しびれを切らした邪神が、どうやら直接自分を処刑しようとしてきた。だがそこで、更なる異変が起きた。とにかくワケが分からなかった。

 仰向けになったバリツは、唐突なまぶしさに眼を細める。どす黒い天球に穴ができ、砕かれた先から光が漏れ出ているでないか。

『君ぃ……! 何しに来たの!』

 光に照らされ、再びその全貌を現した巨神チャウグナ-・フォーン。
その怒声は、バリツに向けられた物ではなかった。

 邪神が叫ぶ先を見遣る。

 そこに立っていたのは――《幼女》だ。

 風圧であやういラインまで舞い上がる、ワンピースの裾。
 右手には、「小娘の部屋」で見かけた大鉈を。左手には何かが記された看板を。
そのあどけない美貌と真紅の眼に――怒りが満ちていた。

幼女はツカツカと、バリツの元へ――否、その横の邪神へと歩みを進める。
 幼女が修道女をすれ違った瞬間、スライムが唐突に爆発四散し、中にいた修道女は、その場に投げ出される。

 バリツはあっけにとられるが、邪神はそれがどうしたと言わんばかりだった。

『まあいいやあ! 我に直接ケンカ売ってなかったから、まだあの部屋にいるのを見逃してたけどねえ!』巨神の嘲る声。
『いい機会だから直接おしおきしてあげる! まあ君はニャルラトテップ氏らのお気に入りだし、星振は満ちてないから手加減してあげっばっゴォオオっ!?』

 邪神を見上げると、その顔をひどくのけぞらせている。
 何かが額に激突したらしい。

 バリツは風圧を覚えた。
いつのまにか、あの幼女がすぐ側にいた。
文字通りの電光石火だった。

 彼女はバリツに見向きもせず、チャウグナ-・フォーンの脚を、そのか細い手で、掴んでいた。看板を手にしていたはずの手だ。とはいえ、それは掴むと言うより、手を添えているようにしかみえないものだったが――それほどまでに邪神は巨大だったのだから。

 しかしながら幼女がそのままぴょんとはねたかと思うと、あの巨大なる邪神が――まるで子供がおふざけで地面に放ったスーパーボウルのように、あっさりと飛び上がってしまった。
 
『待て! 待って! 我をドコに連れて――』

 まるで下手くそな3Dアニメーションのような光景だった。力学的に到底信じがたい話だった。

 黒い天球に新たな風穴を造りながら、幼女は邪神を連れてどこかへと飛び去った。『その鉈で我をどおおおぉぉぉ……―――――……』あの邪神の間延びした悲鳴だけが、遙か彼方へと遠ざかっていった。

「…………うそでしょ?」

 あたりに訪れるのは、唐突な静寂。

 呆然とするバリツのすぐ近くに、何かが落ちてきた。
 それは一度大きく跳ねたかと思うと、しばらく踊り続け、やがて動かなくなる。あの幼女が持っていた立て看板だった。どうやらこれをあの邪神の額に投げつけていたらしい。
 バリツはなんとか頭をもたげ、文字を読み取る。


『ぜんぶ きこえて きたで

れっつ せいけいしゅじゅつ』


(あの邪神は――あの子の怒りに触れたというのか――?)

 悟った瞬間、バリツの膝がドクンと脈打ち、たまらず仰け反る。
 緊張の糸が解けた為に、力も抜けてしまったかのようだ。

 バリツは荒く息をついた。
 膝が痛い。ひたすらに痛い。
仰向けに伏したまま、もはや体を動かせなかった。
立て続けの出来事のために、脳が冴えていたが――流石に限界だった。

 眼前の脅威はないものの、このままスープへ到達できなかったならば、自分はどうなるのか?

 恐怖した途端、頭上に影を感じた。

自分の頭がそっと持ち上げられ、柔らかい何かに乗せられた。不快ではない。

その訳はすぐにわかった。

あの修道女が傍らに座り込み――自身の頭を膝に乗せたのだ。

 柔和な微笑みを貼り付けたかのような修道女の表情は変わらない。
 だがその眼に、バリツは確かな理性の光を見いだした。
 初めてのことだった。

「君は……一体?」

 いつか論文を書いているときにやらかした三徹明けの寝不足にも似た、朦朧とする意識の中――。
真っ黒な天球から漏れる光を背にした彼女は、文字通り後光がさしていた。

「私は元々《しもべの部屋》に配置されるはずだった奴隷なのです」
修道女は、語りだす。
「しかし、《しもべの部屋》を占拠されていた《神の卵》――あのお方の力を受けて、今は一時的に自我を抱いてします。あなたの膝を撃ち抜いた時にはまだ洗脳下ではありましたが……そのお詫びをさせていただきたいのです」

「君は……あの邪神から解放された、と?」

 修道女は首を横に振った。

「私はかの主の糧となった生け贄たちから生み出された存在。主の身に今何が起きているにしろ、彼は決して死することはなく、故にしもべたる私の根源もまた、永劫の呪縛から逃れることはないのです」
「そんな……」
「哀れまないでください。まだ生ける人よ」

 そう応える彼女は、傍らの何かに手を伸ばしている。
 いつの間に持ってきてくれたのだろうか。
彼女の膝元には、バリツが目指していた毒スープの鍋があった。
彼女はそれを、僧衣の袖口から取り出した小皿に盛り付けていた。

「主の眼には及びませんが――私もまた、皆様を見守らせていただいておりました。私は嬉しいのです」
「……嬉しい、とは?」
「お姫様と呼んでくれた方が、いることが――」
「お姫、様……?」

 出血のあまり意識が朦朧としてきた。やけに早く、そして浅い自身の呼吸のペースが、自分で怖かった。