彼方から 第三部 第九話 改め 最終話
彼方から 第九話(最終話)
「あれは、イザークか?」
「なんなんだ? あの牙……」
「あの目、あの髪、あの腕は……」
「あの異形の姿はなんなんだっ!?」
アゴルの言葉、その問い掛けを耳にしたまま、皆の動きが止まっていた。
襲撃者はもういない……
イザークもノリコも……
バーナダムも攫われたノリコを追い、走り出て行ってしまった。
奇しくも、残された形となってしまった面々は、各々が其々の顔を見回し、互いの考えを探るかのように眼を見合わせていた。
どれほどの時を、そうしていただろうか――
いや、恐らくは、それほど長い時間ではなかっただろう。
最初に動き始めたのは、ゼーナだった。
ジーナに手を添えながら、ゆっくりと立ち上がる彼女に気付くアゴル。
気を取り直すように軽く首を振り、
「ジーナ……」
娘の名を呼ぶと、アゴルはゼーナの元へと、歩み寄って行った。
「ジーナ、大丈夫か?」
ゼーナにしがみ付くようにしている娘に手を差し伸べながら、
「ゼーナも、怪我はないか?」
そう、声を掛けた。
「……おとう、さん」
「ああ、大丈夫だよ」
アゴルに応え、表情が強張ったままのジーナをアゴルへ渡すと、
「大丈夫かい? アニタ、ロッテニーナ」
ゼーナは床にへたり込んだままの二人に歩み寄りながら、声を掛けていた。
「……はい、ゼーナ様」
「だ――大丈夫です」
ゼーナの問い掛けに応えながら、二人は互いに顔を見合わせ、何とか立ち上がる。
その様子を見て、安堵したかのように笑みを浮かべるゼーナに、二人は自然と身を寄せていた。
「ガーヤ、バラゴ、二人は平気か? 怪我はないか?」
ジーナの体に触れ、怪我がないことを確かめながら、アゴルは広間の中央に立ち尽くしたままの二人に、声を掛ける。
だが、彼らの耳にアゴルの声は届かなかったのか、二人はどこか一点を見詰め、惚けたように動かない。
アゴルはジーナを抱き上げると、
「ガーヤ! バラゴ!」
もう一度、声を張り、二人の名を呼んでいた。
アゴルの呼び掛けに体をビクつかせる二人。
ようやく、『気』が戻って来たのか、二人はゆるゆるとアゴルの方へ顔を向けた。
「だ、大丈夫――怪我はないよ」
大きく息を吐きながら言葉を返し、ガーヤは剣を鞘に納めてゆく。
その隣では、バラゴが疲れ果てたかのように、床に腰を落としていた。
深く……深く静かに、息を吐いてゆく。
「――大丈夫かい?」
ガーヤの問い掛けに、俯いたまま、無言で頷くバラゴ。
「バラゴ……?」
「大丈夫だ、怪我はしてねェ――ただ、どうにも、考えが纏まらねぇだけだ」
アゴルの問い掛けにも、バラゴは俯いたまま、そう返していた。
彼の言葉に、皆が俯いてゆく。
その脳裏に、イザークの異形の姿が浮かび上がってくる。
イザークの周囲から迸った閃光が……
広間の中を所狭しと奔り、弾け飛んだ、あの凄まじいエネルギーが……
切り落とされた腕が、再び元の通りに治癒した様が……
自分たちが眼にした光景が、『何を』意味しているのかを、皆が思い、それを口に出来ずにいる。
「お父さん……イザークは……」
「ジーナ……」
きつく、首に腕を回し、顔を埋めてくるジーナハース……
彼女が何を言いたいのか、ゼーナには良く分かるのだろう。
無言で二人に歩み寄ると、父親にきつく抱きつくジーナを慈しむように見詰め、その小さな背に優しく手を添えていた。
娘に添えられた、優しい、ふくよかな手の平。
アゴルはゼーナの手を見やり、娘の体を優しくしっかりと抱き寄せると、大きく、息を吐いた。
「みんな、聞いてくれ」
改めて皆を見回す。
無惨な様相と成り果てた広間の中……
皆の視線が自分に集まる。
バラゴも、まだ床に腰を落としたままだが、眼を向けてくる。
アゴルは皆と視線を交わしながら頷くと、もう一度、大きく深呼吸をした。
「ひとまず、イザークのことは置いておく」
そう言いながら、皆の眼を見る。
「今、答えの出ないことを考えていても、先には進めん。それよりもやらなければならないことが、今はあるからだ」
静かに、自分自身の鼓動も鎮めるかのように、アゴルはゆっくりと、そして意を籠めて、皆に語り掛ける。
「そうだね……」
ジーナの背からその手を降ろし、ゼーナは呟きと共に頷く。
「……確かに、こうしていても仕方ないね」
姉の言葉に反応し、逸早く動き始めたのはガーヤだった。
そのまま、床に腰を落としたままのバラゴの肩に手を置き、
「さ、あんたも立つんだよ、バラゴ。アゴルの言う通りだ、今あれこれ考えたところで、答えなんて出やしないからね」
気を取り直すよう、促していた。
顔を上げ、暫し、ガーヤの眼を見やった後、バラゴは小さく息を吐くと額をポリポリと掻きながら、
「……分かった。とりあえず、イザークのことは、今は後回しだ」
気を入れ直すかのように、立ち上がった。
剣を収め、アゴルに歩み寄りながら、
「それで? やらなきゃなんねぇことってなんだ」
指示を乞うかのように問い掛けてゆく。
いつもよりは少し、表情が硬い気がするが、それでも、上手く気持ちを切り替えられたように見える。
アゴルは少しだけ口元を緩ませると、
「大まかに分けて三つだ」
そう言いながら頷いていた。
「先ずは情報だ、外の様子が気になる。奴らが何者なのかも……それに、奴らを追い駆けて行ったバーナダムもそうだが、ノリコ……それにイザークも、どこにいるのか、今、どんな状況なのか、確かめねばならん」
集まって来てくれた皆に、アゴルは自身の見解を口にする。
「それなら分かるよ、アゴル」
「え?」
皆の視線がゼーナに向けられる。
「あいつらはこの国の大臣、ワーザロッテの親衛隊だよ……そして、行先は恐らく、占者の館」
「本当か? ゼーナ」
聞き込みをしながら探さねばならないと思っていたアゴルにとって、これは思いがけない朗報だった。
「ああ、まだ、国専占者だった頃、城や占者の館で、何度か目にしたことがあるからね、間違いない。あたしが国専占者から外されてからは、ワーザロッテがあの館に入り浸っていると聞いているしね」
「じゃあ、ノリコを狙ったのは、この国の大臣ってことか? 何のために……」
「バラゴ、考えるのは後だ」
「ん? あ……ああ、そうだな」
また、動きが止まりそうになるバラゴを牽制するアゴル。
バラゴは、今必要ではない考えに捉われそうになる自身を窘めるかのように息を吐くと、アゴルに小さく頷いてみせた。
「占者の館へは、おれが様子を見に行く――済まないがゼーナ、その間、ジーナを頼めるか」
「……構わないよ」
微笑み、手を差し伸べてくれるゼーナ。
不安げに、自分を見やる娘の頭を、宥めるように何度も撫でながら、アゴルはジーナをゼーナへと、手渡していた。
「お父さん……」
「大丈夫だ、いい子で待っているんだぞ?」
ゼーナに抱えられ、未だ不安げな表情の消えない娘に、アゴルは微笑み、その頭を優しく撫でてやる。
「娘を、よろしく頼む」
「ああ、分かってるよ」
作品名:彼方から 第三部 第九話 改め 最終話 作家名:自分らしく