その両手をポケットにしまいたい。
「私はぁ……」さくらはメニュー表から顔を上げて言う。「カレーにします。みたらし団子と」
「カレーもいっぱいだぜ、種類が」磯野は親指を立ててさくらに言った。
「普通の、カレーライス、ていうやつで」さくらはつぶらな瞳を細めて微笑んだ。
「あとマカロンのプリンセス・セットにしよう」真夏は嬉しそうにメニュー表を閉じる。「お酒は飲めないね、これから本番だから」
「そりゃそうだよ。よし、決めた」眞衣もメニュー表を閉じた。「中とろとえんがわの握り清涼寿司セットと、馬肉の炙りセットの竹、あと豚汁」
磯野波平が大声で高い天井に向けて皆の注文のメニューを伝えていく。
「かっきー、うどんだけ?」磯野が遥香に言った。
「エビチリとぉ……、おかゆの小皿もお願いします」遥香は顕在的に美しい眼差しで磯野に言った。「あ……、デザートも頼んだ方がいいのかな」
「デザートは溶けちゃうのとかは後でいんじゃない?」眞衣は遥香に言う。遥香は素直に頷いた。「だって、波っち!」
「おおよ」磯野が天井に向けて大声で叫ぶ。「最高級エビチリと!最高級のおかゆの小皿だ!イーサン後な!かつ丼の大盛だ!あとアイスティーを五つな!」
「私ジャスミンティーにしてみようかな……」眞衣が振り返って磯野に言った。
「イーサン!アイスティーは四つだ!後ジャスミンティーを一つだ!」
「あ、私マンゴーラッシーにしようかな」真夏が言った。
「イーサン!アイスティー無しだ!タピオカの美味いミルクティーのやつ二つと!ジャスミンティー一つと!マンゴーラッシー一つだ!俺はラム・コーク一つだ!」
電脳執事の年老いたしゃがれた声が室内に応答した。
磯野波平は元の席に着く。無論、五人にはソーシャル・ディスタンスが保たれている。間隔を遮るアクリル・パネルも各席ごとに設置してあった。
「何で今移動したの?」真夏が不思議そうに磯野を見つめて言った。
「でっかい声出すのにさ、ソーシャル・ディスタンスってやつ?」磯野は落ち着き放って答える。「つかさ、まなったん雑煮だけじゃ足りねえべ?」
「マカロンも頼んだよ?」真夏は笑顔で答える。
「それじゃ足りねえってよ。俺のおすすめいっとく?」
「何?」真夏がきき返す。
「チーズ・トマト・パスタ」磯野は笑みを浮かべて親指を立てた。「名前はシンプルなんだけどさ、まあよ、要は、ニンニクとホールトマトと、チーズとベーコンに、乾燥バジルとブラックペッパーの一品よ。俺と夕のパスタ美味いランキング一位」
「イナッチとダーリンは?」真夏がきく。
「イナッチはカルボナーラ、ふっつうの。でダーリンはナポリタン。田舎もんだからな」
「じゃ、それ食べてみようかなー」真夏は磯野に言う。眞衣と四期生は打ち合わせを始めていた。「駅前さんは?パスタだと何食べるんだろう」
「駅前さんはぁ……、確か、やっぱりチーズ・トマト美味いって言ってたぜ?」磯野は自慢げに言う。「これさ、レシピがうちの親父のレシピなんだよな」
「嘘!」真夏は会話の流れで必要以上に驚いてみせた。「そうなの?」
「昔さ、ツインズ、つうBARがあって、そこで青春時代の俺の親父達がこよなく愛した一品なんだとさ。確かにうめーんだよ。ツインズは潰れちまったけどな」
秋元真夏はふうん、と眼で磯野波平を追いかける。磯野波平はまた少し移動した場所で、電脳執事に注文を頼んでいた。
6
壁の一面に内蔵された大型のディスプレイに、星野みなみの笑顔が映った。
風秋夕は深緑色のソファにもたれかかりながら、待ちわびた友人に微笑みかける。足元のガラス製テーブルには、カシューナッツの小皿と、紫色のドリンクの入れられたグラスが置かれていた。ファンタ・グレープである。
「みなみちゃん、こんばんは」夕はディスプレイのみなみに微笑んで言った。
「こんばんはー」みなみは大抵が笑顔であるが、この日も輝くような笑顔だった。
「あれ、みなみちゃん、また可愛くなったね」
「あっそう」
「ははは、手厳しいですね」
「夕君、あのさあ、これって、今お部屋にいるんだけどね?」
「うん」夕はみなみの真面目な表情に感化されて、真剣になる。「あ、<レストラン・エレベーター>の事?」
「うーん、そう」みなみは天使のような瞳をぱちくりとした。「何でわかったの?」
「部屋からの連絡で、質問ナンバーワンがそれだから」
「そう……。やり方が、どうやったら頼めるのか……」
「キッチンテーブルあるでしょ?」
「うん、あるー」
「そこで、イーサンに注文すれば届くよ。終わった後は、皿なんかをエレベーターに乗せれば、自動的に持って帰ってくれるから」
「へー……。すごーい」
「みなみちゃん、部屋でご飯か」
「あ、そう。なんか……食べようかなー、て」みなみは自覚無しで可愛らしく言った。
「お食事が終わったら、一緒に遊んでくれますか?」夕は一瞬のウィンクで、とびっきりの顔で言った。
「はい、遊びません」みなみは笑顔で返す。
「またフラれちゃったね」夕は苦笑して、みなみを見つめる。「こんなやり取りが素敵すぎるから、また誘っていいですか?」
「だめです」
「OK」夕は一瞬視線を下げて、納得した。「みなみちゃんと一緒にいれる為の、次の手を考えとこう」
「考えなくていいから」みなみはそう言ってから、小さく手を振る。「じゃあね、またー。ご飯食べるー」
「はーい。またね」夕は笑顔で見送る。
ディスプレイがブルー画面に映り替わった。すぐに室内に着信が鳴った。その音はディスプレイにて誰かが風秋夕を呼び出している、という着信音であった。しかし、その着信先はここ<リリィ・アース>内限定である。
「イーサン、繋げて」
風秋夕の待つ大型ディスプレイに、和田まあやの顔が映った。
「夕君、ご飯食べた?」
「まあやちゃん、食べてない、かも」夕は笑顔で答える。「何処かで食べようか?」
「いや、ううん。まあやはもう食べたんだけど……」
「食べたのか……」夕は心一新といった思いで、ディスプレイのまあやを見つめる。「たった今みなみちゃんにもフラれたとこなんだよ」
「あそう」
「興味なさすぎるな」
「や、違くて、今イナッチと一緒にいるんだけどさあ」
「え」夕は一瞬の間を置いて、まあやを改めて見つめる。「何処にいるの?」
「六階。地下の」まあやはきょとん、とした表情で答えた。「や、ちが、えイナッチがー、今まで一緒にいたんだけどぉ、いなくなっちゃったのね」
「迷子か……」
「え、イナッチ?」
「嘘嘘、ごめん。イナッチは迷子にならないよ。波平と違うから。俺とイナッチが最もここを愛用してるからね」
「あ……、戻ってきた……。イナッチ何処行ってたの?」
「六階か……」
「あ、じゃ夕君切るね」
「あ、ああ、うん」
「じゃあねー」
ディスプレイがブルー画面に切り替わる。
「何なんだ……、一体……」夕は溜息を吐いて、ディスプレイに顔を上げる。「イーサン、ひなちまの部屋にコール」
着信が室内に響き渡る……。
ブルー画面であったディスプレイが切り替わり、樋口日奈(ひぐちひな)の笑顔が映し出された。彼女は片手にグラスを握っている。
「ひーなっちま。こんばんは」
「こんばんは」日奈は落ち着いた笑顔で返した。
作品名:その両手をポケットにしまいたい。 作家名:タンポポ