BYAKUYA-the Withered Lilac-5
Chapter11 執拗に付き纏う虚影
宙を浮遊する虚無が、鋭利な輝きを持つ糸で出来た網にかかった。
巣網の主たる少年、ビャクヤは、罠にかかった虚無に鉤爪を突き刺し、口元に引き寄せて顕現を喰らう。
今や、ビャクヤにとっては当たり前となった、顕現を宿すものの捕食である。しかし近頃は、一人で『夜』へと赴き、こうして虚無を喰らっている。
先日、『光輪(リヒトクライス)』の紅騎士ワーグナーと戦ってから、ビャクヤとツクヨミは、別行動をするようにしていた。
紅騎士ワーグナーが、現実への干渉などお構いなしに、能力で公園を焼いたため、現実世界に公園が焼け跡として出てしまった。
普通の人間に『夜』を認識することはできないものの、これほどまで現実に痕跡を残してしまってはまずい事がたくさんあった。
故にツクヨミは、あの夜以来『夜』へと出向かなくなり、顕現の捕食をしなければならないビャクヤだけが、こうして食事のために『夜』へ来ていた。
「ふう……」
ビャクヤは一息つき、携帯を取り出した。取り出すと同時に点灯するディスプレイには、現在時刻が表示されている。
「二十一時五十分……やれやれ。そろそろ帰らなくちゃ……」
ビャクヤは、時間を見てため息をついた。
顕現の捕食は、ビャクヤにとって常人の食事に近いものである。そのため、どうしても摂らなければ腹が満たされないのだが、ツクヨミから一つ命令されていた。
これまで『偽誕者』を殺害してきた事の因果関係を警察に掴まれないために、補導されるような時間まで『夜』を出歩くべからず、というものだった。
相手は異能力を持った『偽誕者』であるが、人を何人も殺してきた。ビャクヤは、この事実は受け止めているつもりだが、殺人犯として捕まって投獄されるつもりはない。それ故にツクヨミの言うことはもっともだと思うのだが、『夜』に行動できる時間が減ってしまったのは辛いものがあった。
「あーあ。まだ食べ足りないんだけどなぁ……今日も。虚無二匹しかいなかったし……」
ビャクヤの腹を十分に満たすほどの顕現を持つ虚無に、なかなか出くわさないのである。
紅騎士ワーグナーとビャクヤの戦いが現実世界に影響をもたらしたためか、『偽誕者』の活動も減ってしまっている。尤も、ツクヨミによって、『偽誕者』との戦いも禁じられているのだが。
ふと、ビャクヤの携帯が振動した。『LINENNE(ラインネ)』がメッセージを受信したのである。
受信したのは、ツクヨミからのメッセージだった。
「なになに。『そろそろ時間よ、帰ってきなさい』? まったく。そんなに急かさなくてもいいのに」
ビャクヤは、一言『はーい』とだけ返信をし、携帯をポケットにしまった。
「……さて。姉さんもお腹をすかせてるだろうし。早く帰ってご飯を作ってあげないとね」
家事のほとんどは、ビャクヤが行っていた。
ツクヨミが怠惰なため、家事をやらないわけではなく、彼女は彼女で、在宅の仕事をしているために家事にまで手が回らないのである。
ツクヨミは、ビャクヤと姉弟を演じつつも、近所にはビャクヤの保護者として認識されているので、生活費を稼いでいる様子を見せるために、そのような仕事をしていた。
家の外に出ているのはビャクヤであるため、立場としては逆ではあるが、ツクヨミが生活を支える旦那であり、ビャクヤはそれを助ける妻のようなものになっていた。
「最近姉さん野菜不足だからなぁ。今日は野菜たっぷりのスープでも作ってあげようかな? 姉さんセロリが嫌いだって言ってたけど。ちゃんと食べてもらえるように味付けを……」
ビャクヤが、独り言と共に今晩の献立を考えていると、何かの影が街路樹の間を飛んだ。
それは、ビャクヤの視界ギリギリに写っていた。
ーー今何か飛んでいったね。虚無? それとも……ーー
ビャクヤは、周囲の気配を探った。
空を飛べる能力を持つ『偽誕者』など今までに見たことも聞いたことも無いため、ビャクヤは、飛んでいたのは虚無であろうと思っていた。
案の定、感じた気配は虚無に近いものだったが、虚無にしては妙な顕現を持っていた。
ーーこの感じ……いや。匂いだね。虚無に違いないんだけど。どうしてだろう? 『偽誕者』ともよく似てるーー
虚無であれば、ビャクヤを狙ってすぐにでも襲ってくるはずだが、一向に攻撃をしてくる気配がなかった。
まさか、意思を持った虚無が存在するのか、ビャクヤの脳裏にそのような考えが過るが、有り得ないと首を振る。
「なーんか見えたなぁ?」
ビャクヤは、定かではない相手を暴くべく、わざと大きな声を出して後ろを振り返った。もしも相手が『偽誕者』であれば、隠れているのがバレたと思い、何らかの動きを見せるだろうと思われた。
しかし、その何者かは、動きを全く見せなかった。
ビャクヤは、街路樹の葉の中に潜む何かを見つけた。全容は定かではないものの、眼と思われる二つのものが、赤く、妖しく光っていた。
「ねえ。そこにいるんだろ? 出ておいでよ」
ビャクヤは呼びかけるものの、やはりその何者かは動かない。目が合っているにも関わらず、うまく隠れているつもりのように見える。
「おーい。隠れてるのは分かってるんだ。大人しく出てきなよ」
ビャクヤは、再度呼びかけるが、やはり赤い輝きは、ビャクヤを見据えたまま微動だにしない。
ーー虚無の気配に間違いないんだけど。それにしては変だね。虚無なら。人間を見つければすぐに食らい付いてくるのにーー
虚無と思われる何かは、相変わらずビャクヤに眼光を向け続けている。
「おっかしいなー。見間違いだったのかな?」
ビャクヤは、このままでは埒が明かないと思い、別の策に出た。
これまたわざと大きな声で意思表示し、ビャクヤは眼光に背を向けた。もしも相手が、隠れて襲いかかるチャンスを窺っているのだとしたら、まさにこの瞬間に襲いかかるだろうと考えたのだ。
ーーさて。どう出るかな?ーー
ビャクヤは、鉤爪に反射する敵の眼光を探る。しかし、樹上に隠れる何者かは、全く襲いかかる気配を見せなかった。
ーー一体何なんだろう?ーー
ビャクヤは、鉤爪に写る眼光から目を逸らさず、そのまま歩き出してみる。それでもそれは動こうとしなかった。
そのままビャクヤは、振り返ることなく歩き続け、やがて鉤爪に眼光が写らない位置までたどり着いた。
それまでずっと、虚無と思われる謎の者は、一度たりともビャクヤに襲いかかる様子を見せなかった。ただひたすら、ビャクヤの姿を真っ赤な眼で見ているだけであった。
それからビャクヤは、『夜』の外へと出た。
ーー何だったんだろう? 襲われるなら倒すからいいけど。ただ見ていられるだけっていうのは気味が悪いね……ーー
こうして『夜』を抜けることで、辺りにはもう虚無の気配はなくなった。
「まあいいか。さっさと帰って姉さんのご飯を作らなきゃね」
ビャクヤは、鉤爪を消し、帰路に着いた。
その背後には、暗闇に蠢く何かがいた。『夜』の外に出てもなお存在し続けるそれは、漆黒の身体を真っ暗な空に溶け込ませ、空を進んでいく。
作品名:BYAKUYA-the Withered Lilac-5 作家名:綾田宗