BYAKUYA-the Withered Lilac-5
「はい。これでおしまい。一丁上がりってヤツだ。ごちそうさま」
ビャクヤは、中身を失って空っぽになったヒルダを見る。
「どうだい。痛いかい? 身に染みたかい? 分かっただろう。世の中にはこんな規格外(アウトロー)がいくらでもいることが。キミだけが特別強いなんてことはない。懲りたのなら。二度と稚拙な企みなど考えないことだね……」
ビャクヤは口元を吊り上げた。
「……いや。もうしたくてもできないか。そんな孔だらけの身体じゃ……」
ビャクヤは、恐ろしい笑いを止め、慈しむような笑みをヒルダに向け、顕現を喰らって熱を持つ、自らの腹をさする。
「安らかには眠れないだろうけど。この腹。温かさは保証するよ。おっと。お腹の中で眩く光るのは止めてくれよ? 蛍みたいになっちゃうからさ……」
「……終わりね。『忘却の螺旋』の『眩き闇』と言えど、あなたにかかればこんなもの。さすが、『捕食者』の名は伊達じゃない」
ツクヨミは、惨死体となったヒルダを冷たい瞳で見下ろした。
「まあね。それほどでもあるかな。それにしても珍しいね。姉さん自ら死体(食べ滓)を見に来るなんて」
「……この女には、本当に大きな借りがあったのでね。せいぜい無様な死に顔を拝んでやろうと思っただけよ」
ビャクヤに喰われた人間は、その大概が見るに堪えない惨殺体となるため、ツクヨミはこれまで、そうした人間を見ることはなかった。しかし、この女にだけは一切の同情が湧かない。
ヒルダがいたせいで、ツクヨミは『万鬼会』の一員として戦うことになり、親友を失うことになった。
あの時、助力するという形で共に戦った男、『鬼哭王』オーガの仇も少しはあった。
しかし、ツクヨミを支配するのは、彼を殺されたことではなく、親友との決別を生む切っ掛けとなったヒルダへの憎しみであった。
ーーこの女さえいなければ、私たちは変わること無く一緒にいられた。オーガは別にいいけど、ゾハルとは一緒にいたかった。この女が全ての元凶……ーー
いくら恨もうとも、死んだオーガはもとより、虚無へと落ちつつあるゾハルは戻らない。戻らないが故に、ツクヨミから、ヒルダが死んだ後でも憎しみが消えなかった。
「ビャクヤ、この女には、殺して、顕現を奪うだけじゃ足りないわ。骨の一欠片、髪の毛一本残さず喰らいなさい」
「姉さん。無茶言わないでよ。僕の食事は顕現を喰らうこと。人の血肉を食べる趣味はないんだから」
ビャクヤの捕食は、自然界における蜘蛛とかなり似通っている。
自然界の蜘蛛の捕食は、獲物を毒殺した上で、内部に消化液を注ぎ、溶けた中身を吸い尽くすというものである。
ビャクヤの捕食もほぼ同様であるが、蜘蛛と違うところとして、獲物の生死は関係無い所がある。顕現という中身を啜るのだ。
蜘蛛もビャクヤも、空っぽになった獲物には手を付けない。蜘蛛であれば、吸い尽くした死骸はそのまま放置するか、巣網にかかった場合であれば巣から放り捨てる。ビャクヤも同様に、死んだ人間の人肉を喰らう事はするはずがなかった。
「私の言う事が聞けないのかしら?」
「そうじゃなくって。ほら。僕らの普段の食事を思い出してよ。器までは食べないだろう? それと同じで……」
ビャクヤはふと、何かがここに近付いてくる気配を感じた。
「姉さん。何かが近付いてきてる。これは……『偽誕者』? いや。それにしては……」
苦笑を浮かべていたビャクヤが、急に真顔になった。いつも大小あるものの、ほぼいつも笑みを浮かべているビャクヤの真顔は、惨殺体を見るよりもツクヨミの背筋を凍らせる。
「なっ……急に何事なのビャクヤ! 人を不安にさせるような真似は悪趣味だとさっきも言ったでしょう!?」
吠えかかるようなツクヨミの言葉はひとまず流し、ビャクヤは気配を探った。その正体は次第に明らかとなっていく。
ーーこれは……そうか。あの……!ーー
ビャクヤは、迫り来るものの正体を把握した。
「姉さん。ちょっと下がろうか。片付けも。きっとあいつがやってくれるよ」
「ちょっとビャクヤ?」
ビャクヤは、ツクヨミの手を引いてヒルダの死体から離れた。それとほぼ同時だった。
窓ガラスが破られ、辺りに耳障りな破壊音が響いた。
真っ黒に包まれた異形の存在は、辺りの物を破壊しながら部屋の内部まで下りてきた。
「一体なに……!?」
「しー」
ビャクヤは、片手でツクヨミの口を押さえ、ウィンクをしながら鼻の前で人指し指を立てる。
シャンデリアも破壊され、部屋の中は一時暗闇に包まれた。闇の中で突然闖入してきた異形は、二つの眼光と思われる真っ赤な光を持ちながら、床に転がっていたヒルダの死体をバリバリ音を立てながら貪っていた。
ツクヨミは、混乱の中にいるしかできなかったが、ビャクヤは闇の中、大きな笑みを口元に浮かべていた。
それは、ビャクヤがずっと待っていたものだったのだ。
作品名:BYAKUYA-the Withered Lilac-5 作家名:綾田宗